目の前のものの使い道を考える
私の属するNPOの活動拠点の一つ、山梨県北杜市の山奥にある山村に行ってきた。
標高が高いので寒いだろう、と覚悟していたが、ここももう春だった。
いつもながら、土地もそこで活動する人たちも気持ちいい場所だ。
さて、その施設の周りの山は、カラマツの植林地。
日本中どこでもそんな状況だが、手入れはあまり行き届いていない。
カラマツの森というのは、スギ・ヒノキの森と違って落葉するし、葉の色がそれらよりも淡い緑なので、森に居て何となく明るい感じがする。
しかし森の雰囲気は良いのだが、材となると一般的に言えば建築ではあまり使われない。
私は軸組に使ったことがないので聞いた話だが、非常に‘やんちゃ’な材で、あっち向いたりこっち向いたりして、とても使いづらいそうだ。
さらに今の森の現状では、建築で使うにはかなり木が細すぎる。
じゃあ、薪などで燃せばいいじゃないか、と思うが、カラマツは脂っ気が多いので、薪には向かない。
だから山に手を入れたとしても材の需要が少なく、高く売れるわけではないので、ますます山に手を入れる意欲がそがれるのであろう。
しかし、そんな状況だからこそ、何か良い手はないか考えてみたいのである。
このままにしておくのは、もったいないではないか。
目の前にこのようにしてたくさんあると、余計にそう思う。
地元の製材所の意見を聞いたりカラマツの歴史をヒモ解くなどして、使い道をいろいろと考えてみよう。
とはいえ、カンカンに乾燥させてシュウセイ材やゴーバンといった面白くない道では考えたくない。ケーザイだけ考えればそれが手っ取り早いかもしれないが、ケーザイのことだけ考えた世界は、結局取り合い、奪い合いの世界になるので心がスサむ。せっかくのこの気持ちよい場所がつまらなくなってしまう。
カラマツを使って人と人とがつながるような、そんな使い道を考えてみたい。
山を歩いた帰り道、黄色い花をつけた木を見つけた。
何か明るい灯が見える兆しだといいな。