誰がための環境問題
私たちの文化と
それを取り巻く環境は関係が深い、
と常々思っていましたが、
最近読んだ著書「環境考古学事始(安田喜憲著)」で、
それを確信しました。
いや環境が文化を作る、
といってもいいかもしれません。
例えば私たち日本人は、
とかく東日本と西日本に分けて、
文化の対立軸を設けようとしますが、
それは何万年も前から、
東日本と西日本で
森の相が違っていたこと、
氷河期や温暖期を迎えても、
その構図はあまり変わらず、
その中でそれぞれの時代の
森の相に即した生活文化を
作り出していたことによる
歴史の必然だったようです。
しかも東日本と西日本の境界線が、
太古の昔も静岡県の大井川だったという話は、
たいへん興味深かったです。
調査によると大井川は、
気候や地形も手伝って、
森の相の変位点だったようですね。
縄文時代には、
その西方が照葉樹林、
その東方が広葉落葉樹林、
そして大井川周辺は、
スギ林で覆われていたようです。
現在もその地域は
天竜をはじめとして
スギの産地ですが、
この時代からとなると
感慨深いものがあります。
またもう一つ、
その著書のたいへん興味深い指摘として、
農耕は森林の破壊に
他ならないということ、
それが西洋では農耕に家畜を伴い、
また比較的乾燥した気候のために
農耕が一方的な森林の消滅を招き、
だからこそ
森林「保護」という思想が生まれたのに対し、
日本では農耕が平地で行われ、
その周辺部に「里山」という
人間の生活、人間の文化を支えてきた
「共生」の森が人の手によって作られ、
しかも数千年もの間、
維持されてきたという点です。
現代日本では、
とくに高度成長期以降、
この里山が消滅の一途をたどり、
日本史以来初めてのできごとに
危機感を覚えて、
皮肉なことに、
西洋の「森林保護」の思想を
輸入せざるを得ませんでした。
しかし残念ながら、
私たちの支えであった里山は、
さらに壊され、放置され、
放射能に侵されて、
ますます危機を迎えています。
環境が、森が
私たちの文化を形作るのだとすれば、
今の状況が続けば、
それに伴って私たちの文化は
どうなってしまうのでしょうか。
今の環境は今の私たちの文化を
支え続けてくれるのでしょうか。
そう考えると環境問題は、
地球にやさしいかやさしくないか、
という問題ではなく、
私たちがこの地球上で
生き続けることができるかどうか、
他ならぬ私たち自身の
問題と言えそうです。