今日の森戸海岸
夏から秋にかけて、だんだんと空気が澄んでくる。
夏は江ノ島の輪郭がぼんやりとしていたが、だんだんとはっきり見えてくる。
そのうち富士山も楽しむことができるんだろうなあ。
葉山は桜花園。
ここには古材と古建具がたくさんある。
とくに建具の在庫が多く、見てるだけで時間が早く経つ。
かつての職人たちの美的感覚と細やかな仕事ぶりを見ることができる。
膨大な技術の倉庫。
その中でNさんは、長い欄間を気に入り、購入することにした。
この欄間を、住宅の設計の一部に取り込むことに。
エコヴィレッジ鶴川の住民の皆さんの主催で、北の大地でパーマカルチャーを実践されている酒匂さんをお招きし、パーマカルチャー公開講座を開催。
住民の主催でこうしたイベントを開催するということ自体がすばらしい。
住民の皆さんのパワーと情熱を感じます。
おかげさまで、250名程度の応募をいただきましたが、会場の都合で残念ながら人数を50名に絞らせていただきました。
会場はすごい熱気!皆さん真剣な眼差しで、講義に聞き入ってました。
・・・・・
自分はずっと裏方だったので、内容についてはあまりよく聞けなかったが、最後酒匂さんが質問に答えた回答の内容が私にとってはとても印象的だった。
「衣服(線維)も含めて、自給自足をめざしてないのか」という問いに対して。
酒匂さん曰く、
「自分はそこまではめざしていない」
「しかし、地域全体でそうした作物を自給できればいいと思う」
自給自足は、方向性としてはとてもすばらしい理念。
やろうと思えばできるのだ、という考えがある一方で、人間一人の作業量には物理的に限界があるのも事実。
自分の適正作業量以上のことをやろうと思うと、精神的な負担が大きくなり、むしろ継続性を失う。それが人間というものだ。
自分でできない分は、地域で補えればいい。
地域として自立した生活圏が成り立てばよいのだ。
その方向性がむしろ、地域内での生きた交流を産む。
その方が、楽しいではないか。
そう、生活や暮らしを楽しむという考え方が、全ての活動の原点だと思う。
あとで酒匂さんとそんな話をして、意見が一致した。
やはり実践者の言葉は、力強い。
この先、家づくりの考え方を徒然なるままに。
今日は、自分がこの仕事をしていくうえでの禁句を一つ。
それは、「ユーザー」、または「エンドユーザー」という言葉。
いつだったか、材木屋のOkさんの前で自分がこの言葉を発したときに、
「その言葉は建て主をバカにしている言葉だよな」と言われた。
はっとした。まいった。まさにそのとおり。
それ以来、絶対に使わない言葉。
家づくりは、建て主、様々な職種の職人、材木屋、金物屋などの材料屋、そして設計者の共同作業。
家づくりに関わる誰もが、家づくりという物語で、重要な役どころを担う。
その中でも建て主は、この物語の傍観者ではない、文字通り「主」、主役なのだ。
家づくりの完成をただただ待ち、その建物を単に「使う人」では決してない。
話はそれるが、現在家づくりを取り巻く世界では、様々な問題が起きている。
例えば、シックハウス症候群。
現在の仕事と立場から、ここ数年、その問題について深く関わってきたつもりだが、その中で気づいたことがある。
それは、シックハウス症候群の原因はいろいろあるが、その根幹を成すものの一つは、作り手と住まい手の関係があまりにもはっきりしすぎている、あるいは乖離してしまっていることではないか、ということである。
家を作る立場の人たちが、住まい手(=建て主)と近い関係にあればあるほど、良い仕事をする。もうけ抜きに、いい建物を作ってあげたいと思う気持ちが強くなる。これは絶対に間違いのないことである。ましてや、「これは身体に悪いかもしれない」と知っててその材料を使うことはまずない。
また作り手は、どんな立場であれ、不備の指摘(=クレーム)を恐れる。
一方で住まい手は、家づくりの世界から遠ざかり、単に使う人、つまり「ユーザー」になり下がってしまった。それにより、家に住んでいくうえでの手入れの知識と技術を総じて失っていった。
すると、至極簡単に自分で直せるようなことでも、クレームになる可能性が高まる。
だから、そんなに技術がなくても見栄えのする、あるいは手入れの不要な建材が発達する。
それを可能としたのは、歴史上地球上にほとんど存在しなかった様々な化学物質の開発と使用。そしてそれらがシックハウス症候群の原因となる。
いい家づくりの絶対必要条件。
それは、家づくりに関わる全ての人たちの信頼関係を築くこと。
家づくりを提案する側の自分が、家づくりの世界からの拒否を宣言するような「ユーザー」という言葉を使うようでは、こちらから信頼関係をお断りしているようなものだ。
たてものやの役割の一つは、家づくりの世界と建て主の関わりを深めること。
いろいろ課題はあるが、私が直営方式による家づくりに取り組むゆえんである。予算を安くするための手段では、決してない。
そして、単に建築設計だけが仕事ではない、という思いが、屋号で「たてものや」と称しているゆえんでもある。