隠れない
伝統構法で隠れない場所といえば、小屋(屋根の構造体)の部分もそのようなことが多い。
そのほうが空気環境が気持ちよいし、また構造体そのものが意匠上美しいので、そもそも隠すのがもったいない。
構造体がしっかりと見える安心感もあるのではないだろうか。
あるいは天井を貼るにしても、いつも厚板を貼るのでロフトにしてしまえばいい。
なお、写真の下のほうに見える突起物は伝統構法ならでは。
渡りアゴといわれるもの。
渡りアゴもうまくデザインすれば、おもしろい。
後から内法の材を入れたので、小舞竹がはみ出している。
もちろん後から中塗りでふさぐことになっているが、
これはこれで野性的な雰囲気でよかったりして。
そういえば、よく左官屋さんにいくと、見本として竹小舞下地から仕上げまでの工程が分かるように竹小舞から少しずつずらして塗り重ねていくサンプルがあるが、それに少しだけ似ている。
あのような中のしくみが分かる図やサンプルって昔から好きだ。
きっと好奇心をそそるものであるということと、中がどうなっているかが分かる安心感なのであろう。
伝統構法の場合、構造体も含めて隠れるところが極めて少ない。
職人の技が問われる理由でもあるし、また建物側が作り手の姿勢に影響を及ぼすことは間違いない。
作っている間、自分の身の回りの材を傷つけないように、十分に気を使う必要があるからだ。
とくに、電気屋や設備屋などのたまに入る業者にとっては、とてもやりにくいかもしれない。
しかしそうした緊張感の連続が、よい家に結びつくと信じている。
ここ3ヶ月以上ご無沙汰していたが、ここ数日間、一日15分程度鍵盤と戯れている。15分といえば、一日の約1/100。
鍵盤と戯れる時間を作れているかどうかで生活のゆとりの度合いを測ることができるが、今ようやく落ち着いてきたということであろうか。
いやむしろ、一日中ずうと張りつめているよりは、1%でも十分気晴らしになるので仕事の生産性はよかったりして。
テンパっているとなかなかそのことに気づかないが、実際少しでも弾いてみるとそんな気がする。
弾く曲といえば、昔から馴染んだ曲+10年来陶酔しているBEN FOLDS FIVEのPHILOSOPHYをダカダカダダンと数曲。
もともと器用な生き様ではなく、新たな曲を弾くには膨大なエネルギーを要するので、とりあえずはそれで十分満足。
その勢いでKORGからDELLのキーボードに乗り換えておしまい。
今日は夕方まで自宅で作業の後、I邸に出かける。
大工の後藤さんやIさんと打ち合わせ。
訪れた習慣で、一人海に足を運ぶ。
午後7時半頃だっただろうか。
世間は夕餉を楽しんでいる時間帯。
しかし秋の夜の海は、予想以上に深い闇の中だった。
波の音が闇の中で迫るように強く響く。
波の音にかき消されるためか、他に何も聞こえない。
足元は砂浜なので、思うように歩が進まない。
向こうでは、灯台がせわしなくくるくると光って回っている。
闇の中で暴れているようにも見える。
秋の夜の海は、恐怖さえ感じる空間だ。
打ち合わせが終わりかけた頃、隣のHgさんが現場に来てくれた。
現場に入ると開口一番、「あたたかいですね」。
まだ吹きさらしに近い状態なのに。
白熱球が照らす赤い色がそう感じさせてくれるのか。
それとも、乾き始めた土壁の保温効果なのか。
言われてみれば、肌寒くなってきた外に比べれば、ほんのり心地よくあたたかい感じがした。
海の様といい、「あたたかい」という言葉といい、間違いなく季節が移ろいでいる。
もうさすがに葉山にも夏の残像はない。
少し寂しい気がした。
来週の泥壁ワークショップの準備のため、山梨を訪問。
車を降りた瞬間、寒い。
気温10℃前後。東京と約10℃違う。
冬の到来が近づいていることを感じる。
さて目的を果たすため、泥壁作りに必要な資材、材料について現地で打ち合わせ。
そこで現地で稲藁を発見。
自分にとって今や大げさでなく‘お宝’にみえる。
以前も書いたが、予想以上に稲藁は入手困難。
なぜならば、農家の方々も稲藁を田畑に敷きこんだり家畜の飼料にしたりと、余すことなく使うことが多いからだ。
農家の方々は、資源の循環を当たり前のように行っている。
その中にそう易々と入り込んで大量に分けてもらうことは難しいし、それに無理を強いることになるかもしれない。
やはり時間をかけて、無理なくその循環のしくみの仲間に入ることが必要だ。
そうしたことも踏まえて自分の「数」の計画も決まってくる。
やはり一つ一つ大事に、という結論になる。
※ワークショップの概要は以下のとおりです。
http://www.npo-egao.net/b/information/20051015/info_0420051015.html