15年来の話が続きますが
今日は珍しくずっと家で作業。
大学1年のときから使っている、事務机用の椅子がついにぶっ壊れた。
応急措置として、半径30cmないような円形の折りたたみ椅子に座っている。
ずっと座っていると、さすがに尻が痛い。
しかも、椅子が動かないということがこんなに苦痛とは思わなかった。
最近の椅子は、やっぱり人間工学的にちゃんと考えられているんだろう。
しかし、忙しいときに何でこうなるんじゃ〜。
たまらずアスクルで椅子を発注した。
今日は珍しくずっと家で作業。
大学1年のときから使っている、事務机用の椅子がついにぶっ壊れた。
応急措置として、半径30cmないような円形の折りたたみ椅子に座っている。
ずっと座っていると、さすがに尻が痛い。
しかも、椅子が動かないということがこんなに苦痛とは思わなかった。
最近の椅子は、やっぱり人間工学的にちゃんと考えられているんだろう。
しかし、忙しいときに何でこうなるんじゃ〜。
たまらずアスクルで椅子を発注した。
昨日は第10回目を数える総会。
エコヴィレッジ鶴川も、早いもので、といったらいいのか、ようやく、といったらいいのか、とにかく折り返し時点。
この間、いろいろなことがありました。
これから1年、今度はどんな物語があるのだろうか。
さて昨日の総会は、半分共用部分の議論、半分は住民同士で管理規約等の読み合わせ。
管理規約等の読み合わせのとき、こちらはやることがないので、子どもたちと遊ぶ。
鶴川の子どもたちはとても人なつっこくて元気。
だからこちらもだいぶ楽しんでしまう。
(そのかわり、どおりで足腰が筋肉痛…。まあ、いい鍛錬だ。)
夜は飲み会。今度は大人たちとの交流。
いつものとおり(?)、Hさんが住んでからの夢をとうとうと熱く語る。
これが聞いていてとても面白い。夢が拡がる。
結局母屋を出たのは、午後10時過ぎ。
4時間もしゃべっていたのか。
自分も少しノドが嗄れているような。
とまあ、総会は、事前の準備はたいへんだけど、子どもたちとも、大人たちとも、皆と交流できるので、実は楽しみだったりする。
それと、来るたびに季節の移ろいをくっきりと五感で感じることができるのも、楽しみの一つである。
写真は現地に立つ柿の葉の落葉。
寒くなってきたから、温かい色合いの点描の絵。
自然界も、乙な演出をしてくださいますな。
群馬藤岡の五十嵐さん。
達磨釜で瓦を焼いている人です。
今朝、K邸の外構工事用に、欠けなどが入って屋根には使えない瓦をたくさん持ってきてくれました。藤岡から朝の7時に。
そしてまた仕事があるから、と言って藤岡にとんぼ返りしました。
「瓦は人様の頭の上にのせるものだから、心を込めて」が信念の五十嵐さん。
初めてお会いしたとき、この信念に心打たれました。
まさにその言葉を地でいっている方です。
五十嵐さんが焼いた瓦をあちこちで使わせていただいて、ありがたい気持ちでいっぱいです。
今回は地べたで使わせてもらいますが、これからもよろしくお願いいたします。
外構も楽しみ。
今日の午前の葉山の様子。
空気が乾燥してきたので、江ノ島もよく見える。
富士山もたまに見えることがある。
この光景、何時の季節でも、葉山はあくまでも葉山である。
先週開催された木の建築塾の、鳶職人の話の続き。
まずは山口政五郎さんの印象。
典型的な江戸っ子風情。親分肌。
どちらかというといかつい感じ(失礼)だが、言葉がとても丁寧。
お客様を大事にしている心が伺える。
言葉の歯切れもよく、話を聞いていて気持ちいい。
鳶は一昔前はまちの調整・相談役。
コーディネーターといった方が分かりやすいか。
足場をかけたり基礎を打つといった建設作業だけではなく、いざというときは冠婚葬祭などまちのイベントの段取り役だったそうだ。
だから鳶は、「カシラ」とも呼ばれる。
次に印象に残った言葉を幾つか羅列。
「金を出す奴は口出すな。金がなければ知恵を出せ。何もなければ汗をかけ。
…金を出す奴が口出すと、下の奴がシラけてしまう。」
この言葉、とても気に入った。
オレは知恵と汗を出そう。
「大工は、無から有を生み出す。鳶は無から有を生み出し、そしてまた無に帰る。」
はかない。
この日本の美意識に合う仕事。
そういえば、今年の夏、葉山の海の家「ブルームーン」の竹組みを見てとても気に入ったが、あれは鳶の仕事の延長やね。
「日本の建築文化は関西から来ている。だから関西のやり方は合理的であることが多い。」
なるほど。
「縄は切ってはいけない。切らなければ何回でも使える。」
「古くなった縄は、荒木田に混ぜるといい。枯れているからちょうどいい。」
どんなものでも最後まで使い果たす精神。
これを当たり前のようにやっていた。
今僕らが、「エコ」とか「環境共生」とか言っていることは、昔はごく当たり前に取り組んでいた行動規範であった。
酒匂さんの話を聞くと、「パーマカルチャー」もそうだ。
「もったいない」という心がけ。
そういえば昨日、子ども(弟の玄)と椅子作りをした。
前々から「23日に椅子作ろう」と約束していて、子どもはこの日を待ちわびていた。
玄はまだ7歳なので、まだまともに工具を使えないが、横で「何かやることはないのか」とうるさい。といいながら、切れ端を積木代わりに、私の横で何やら夢中になって遊んでいる。
こちらも大工仕事を始めたら始めたで、夢中でとりかかる。
…痺れを切らした玄は、電動ドリルを意味もなく回したり、しきりに工具を使いたがる。
せっかくだから工具の使い方を教えるが、まだまだ危なっかしい。
とまあ、そんな午後のひとときを玄と過ごした。
こういう形で子どもと家で時間を共有したのは実に久しぶりだ。
自分も気分が落ち着くし、子どももなんだかうれしそうだ。
たまには、月に一度くらいは、こうした時間を作ろう。
昨今建築業界は、どこもあの話題でもちきりだ。
住まいは、「構造」ありきです。
なぜならば、字の如く、住まいは人が主(あるじ)だから。
大金はたいて手に入れるものがそう簡単に壊れちゃ人は困る。
ちょっとした自然災害で危険にさらされちゃ人は困る。
「法」で云々以前に、人として人様に建てる家を考えれば、その表現方法は人それぞれだろうけれど、「構造」は前提の一つになるはずだ。
一方、今の住まいづくりって、カネが中心となって回っとりゃせんか。
早く。安く。さらには目に触れないところは安いもんでごまかしちまえ。
今回の事件は、その象徴だ。
大工工事も9割8分がた終わり、養生を徐々に撤去。
床板が見えると、一気に‘工事現場’から‘家’になる。
床が露になって、改めてサワラの床板はほんのりとあたたかいことに気づく。
足の裏がじんわりと来る。
鶴川の現地の前にある古民家の風情。
ここの風景は変わらないが、この裏ではちゃくちゃくと工事が進んでいます。
今、根伐工事。
土が掘り進められています。
とてもいい土が出ております。