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2005年10月10日

雨の祝日‘泥沼’にはまる1

カテゴリー: ピスカリア


藁を刻む人。

泥壁は、泥だけではない。
とにかくたくさんの稲藁を使う。

泥作りから数えると、一体どれだけの藁を使っただろうか。
塗る前に混ぜるために用意した藁も、今日だけで底が見え始めたので、夜に急きょ葉山から鶴川の石川さんのところに行き、藁を調達した。

しかし、今はたまたま石川さんからありがたく稲藁をいただいているが、今や都市部では稲藁はとても手に入りにくいものになってしまった。
今年の冬、時期が悪かったこともあるが、いろいろ手を尽くして、ようやく満足のいく量を集めることができたことを思い出す。
昔は周りに稲藁がたくさんあったから、たくさん使うことを前提にしていても何ら不都合はなかったのであろう。

昔は、暮らしとたてものづくりが、如何に密接な関係にあったか、そして一方、現代では暮らしとたてものづくりが、如何に疎遠な関係になってしまったか、自分たちが実際に手を動かすことでうかがうことができる。

2005年10月7日

ゆるやかな家具作り考

カテゴリー: 家づくりの理念


家具は、文字どおり、家の中の道具。
道具だから、日常生活の中で身近に頻繁に使うものなのに、今の無垢の木でできた家具はお値段が高すぎやしないか、ましてや、糊や塗装などを安全な材料で作ることをお願いしようものなら。

以上の家具の存在を否定するわけではない。いやむしろ家の中に、存在感のある広葉樹の一枚板のテーブルがほしいくらい。

しかし何十万円もするんだな、これが。
家の中全ての家具がそのようなものだったら、とてもじゃないが、お金がついてこない。きっと家族もついてこない。

やっぱり家の中の日常の道具なのだから、お手軽に手に入れることができないものだろうか。
そう言うなら、100円ショップ行けば、プラスティック製のものがあるじゃないか、と思うかもしれないが、いかにも無表情だし、心豊かな感じがしない。
何とか、家具の世界で「お手軽」と「心の豊かさ」を両立できないか。
前からそう思っていた。

しかし、今日はそうした世界に出会うことができた。
その世界の主は、日野でカフェをやっている山崎さん。
カフェを営みながら、その辺の雑木を使って自作で家具を作っている。
例えば椅子。
椅子って、その辺で拾ってきたような木で満足のいくものがまともに自分でできるんだろうか、と思うけれど、作り方を聞くとなんだか自分でもできそうである。
しかも、生木を使ってもいい、という。
全てがそうとは限らないが、生木は生木の使いようがあるとのこと。
これはさすがに軽いカルチャーショックを受けた。
家具の常識とは明らかに異なる世界だけど、しかし本当に自分の手でいろいろできそうな気がしてきた。

では、デザインはどうなんだ?やっぱり素人なりのものしかできないんじゃないの?と思うかもしれないが、いやいやこれがなかなかいいのだ。むしろ手が込まないから、素朴な風情のものができる。

確かにプロから見ればいい加減な作りかもしれない。
しかし、自分の生活を、自分たちの手で、身近にあるものを使って豊かにする術の一つとして、こうした家具の世界もあっていいと思う。
何もトラックや船に乗ってやってきた立派な銘木を使わなくても、その辺りの木だって生活を豊かにすることができるのだ。

実は、山崎さんの世界を里山に持ち込んで、里山を楽しむしかけの一つとして考えている。そうした目で里山を見れば、里山は資源の宝庫に変わる。
里山の維持・再生は、人との適切な関係、人の適切な手入れが不可欠である。
こうしたことが一つのきっかけとなって、再び里山と人との関係を取り戻すことができれば、と思う。

こりゃ何だ?

カテゴリー: 今日のできごと


とある日野市のカフェにて。

いかにも何かしてくれそうな雰囲気を漂わす機械。
これは何をするものでしょう?

2005年10月4日

Nさんのこと

カテゴリー: えこびれっじ

先日の地鎮祭のとき、これまでのいろいろなできごとを思い出した。
とくに、本来ならばこの場に居たかもしれない人たちのことを思うと、こみ上げてくるものがあった。

そのうちの一人、Nさん。
この事業を心待ちにしていた方の一人だった。
初期の頃の説明会に来ていただき、早速申込みをいただいた。
自分たちも、そのお人柄もあって、ぜひ住んでいただきたかった。
そしてスタッフの誰もが、そのまま順調に皆さんの仲間に加わると思っていた。

…しかし、プレ総会の当日の朝。
Nさんから電話が鳴った。
「申し訳ありません、急な事情で行けません。」
そのときは、Nさんも忙しい人だし仕事の急用ができたのかと思い、とくに気にも留めなかった。
しかしその数日後、詳しい事情を聞く機会をいただいた。
実は、笑って治せるとはいえ一般論で言えば深刻な身体の異変だった。
まさにプレ総会の当日、気づいたことのようであった。
世の中、こんなことってあるのか、と思った。
あんなに、ここに住むことを心待ちにしていたのに。

実は地鎮祭の前日、準備のために某店を訪れると、Nさんの奥さんと偶然遭遇した。
少し世間話をした。
今、何してるんですか、という話になって、私は「明日鶴川の地鎮祭で、その準備なんですよ」と言った。私の口からその言葉が放たれた後、あっしまった、と思った。もう遅かった。
彼女はすぐさま、「あ、これから工事なんですか。だいぶ時間がかかるんですね」というようなことを言った。記憶の中から遠ざけようとしていたかもしれないのに、思い出させてしまったように感じた。
そしてその後、
「住みたかったです…」と、無念そうにポツリとつぶやいた。
思い出させて申し訳ない気持ちと、残念な気持ちと。
なんともいえない気持ちになって返事に窮してしまった。

この仕事は、実際に住む人だけではなく、さまざまな魂のうえにある。
間もなく生命を摘み取られる、ここに生える木々たちも含めて。
彼らのためにも、この仕事を絶対に、喜びの中で成就させなければならない。
次につなげるために。

物思いに耽る秋。様々な想念に想いを馳せる。それらの重みをかみしめる次第。

2005年10月2日

黄色い花?

カテゴリー: ピスカリア


出陣を待つ泥たち。
泥は、現場とは2キロほど離れた場所でこしらえたので、こうして袋につめて現場に運ぶ。

袋が黄色いので、蝶が間違えてひらひらと。
遠くから見ると、確かに黄色い花が咲き乱れているように見える。
ビニル袋なのにね。

外の壁も完成間近

カテゴリー: 目黒か邸


焼杉がちゃくちゃくと貼られてきた。
腰から上の、漆喰の部分の下地塗りも完了。

早く足場が外れないかな。

夜に踊る子たち

カテゴリー: 今日のできごと


地鎮祭から夜遅く酔っ払って帰ると、次の日が休みということもあり、子どもたちはまだ起きていた。
先日の運動会の余韻が残っているのか、運動会での踊りを深夜に披露。
今日はどこも楽しくてにぎやかだ。

地鎮‘祭’

カテゴリー: えこびれっじ


今日はエコヴィレッジ鶴川の地鎮祭。
ようやくここまでたどりついた。
組合を設立してから、早1年が経とうとしているが、本当に早かった。
その間、いろいろなことがあったなあ。
30近い住民に集まっていただく過程の悲喜こもごも、脱退された方々を含めた、一つ一つの家族模様、設計作業の苦悩(とくに、躯体の予算が合わなくて)、あげるときりがないが、それらのできごとを思い返すと、こみ上げてくるものがある。

そして地鎮祭。
このような盛大な地鎮祭は初めてだった。
出席者の数。要した時間(3時間!)。準備にかけた手間と時間。
しかし、物理的な数量では計り知れない、心に残る、そして心から土地に感謝し、工事の安全を祈願する、そんな地鎮祭だった。
まさに「祭」。

直会のときに、出席者全員からお言葉をいただく。
1分間をめどに、ということだったが、平均するとみんなその3倍以上は話していただいただろうか、しかしもちろんその時間をさえぎる気にならなかった。
皆さんも、時間を気にすることなく、私語もなく、真剣に一人一人の言葉に耳を傾けていた。
それほど一つ一つの言葉に全て力があった。
自分も聞いていてとても楽しみだったし、うれしかった。

さて、いよいよ工事だ。
身が引き締まる思い。
この悦びを、1年かけて空間に昇華させなければ。

精霊は宿る

カテゴリー: えこびれっじ


建物を建てるにあたり、残念ながら木々を伐らなければならないので、地鎮祭の一環として、現地の木々を慰霊する。
30近い世帯の住民が手分けして、木々にお神酒を捧げ、祝詞をあげる。
祝詞の読み方はさすがにたどたどしいが、みんな心がこもっていて、その姿はとても美しかった。
それとこの儀式を、大人も子どもも、みんな楽しんで臨んでいる。

その日の夜、住民たちと酒を飲んでいたときに話していたのだが、木々を慰霊したあと、風で木がざわめく音が明らかに静かになったようだ。
それと、前日の夜ほとんど寝てなかったので、正直なところそれまで身体とまぶたが重かったのだが、この儀式を境に、とても調子と気分ががよくなった。

やっぱり精霊は宿るのだ。