野地板
暑さ38㎜のスギの野地板が張られました。
このうえに通気層があります。
断熱材は入れませんが、厚板と通気層とこれから載せるいぶし瓦のおかげで、風通しを確保すれば、夏でも小屋裏が爽やかな感じがします。
しかし、「野地板」って、漢字だけ読むと地べたに張る板という気がしますが、実際は、屋根の下地に張る板のことなんですね。
コトバの不思議を感じる単語の一つです。
軒樋の取付。樋は銅。
銅は、写真のように、最初はまばゆいほど妖しい輝きを放つのですが、1週間もするとくすみ始め、ゆくゆくは、赤銅色に落ち着きます。
ですので、この妖しい輝きを拝めるのは、最初の頃だけ。
私はこの輝きを放つ銅を見るのをひそかに心待ちにしていたりもします。
まるで桜のように、短い間しか見ることができないということもありますが、じいさんの家が実は板金屋で、この輝きを放つ銅の色を見ると、じいさんの家によくお世話になった幼い頃を思い出したりもするからだと思います。
幼少の頃の体験が往々にして人の将来を左右しますが、銅板に囲まれ、職人さんたちと接した自分の幼少の頃の経験が、実はたてものづくりの道に入る動機の一つになっているかもしれません。
7月上旬から1ヵ月間、訳あって車を運転することができませんでしたが、その間必然的に自転車での移動が多くなりました。
今年3月に念願のボルボ850を手にして以来、車ばかり乗る日が続き、自転車とは疎遠になっていましたが、やっぱり足腰は衰えていて、たまに乗る自転車のペダルの重さを感じつつありました。
しかし強制的に車が乗れないとなると、自転車に乗らなくてはいけないわけで、車に乗れない初期の頃はつらくて仕方ありませんでしたが、不思議なもので身体が慣れてくると、自転車の日々を楽しめるようになってきました。
車に乗れないなら乗れないなりに、仕事と生活は何とかなる(する?)ものです。
(ただし、愛知万博にピアノ持っていくのは、あれはしんどかった…)
とくにこの季節、鎌倉周辺の交通状況では、目的地までの所要時間は車とほとんど変わらないかもしれないですしね。
実は、自転車と自分とはとても深い縁があり、とくに学生の頃、自転車にはたくさんの思い出があります。
(それについてはまたおいおい)
こうして自転車に乗る日々が復活し、自転車に乗りながらそんな日々を思い出したりもしました。
8月になり、晴れて車に乗れるようになっても、自転車を楽しむ日々を続けています。
先日もI邸の建前のとき、家から葉山まで10数キロの道のりを自転車で2回行ってみました。
とくに海沿いの道(134号)はなんとも爽快で、また逗子のあたりでは意外とアップダウンがあり、昇りはもちろんきついですが、下り道の実に気持ちいいこと。
ただし2回とも暑い日に走ったので、かなりバテてしまいましたが。
最近そんな日々なので、やっぱり身体は相当疲れていているようです。
夜が深まると猛烈に眠くなり、早々に寝てしまうことが多くなりました。
健康的といえば健康的ですが、一方で体力の回復の遅さを痛感し、やっぱりもうトシなんやな〜、と感じる次第です。
あっという間の夕暮れ。
上棟祝もお開きに。
祭の後の寂しさ…
まだ余韻を引きずっています。
・・・・・・・
今年の夏は、上棟祝いに始まり、上棟祝いに終わる、そんな夏でした。
7月7日は、独り立ちしてはじめてのK邸の上棟、そして昨日はI邸の上棟。
上棟祝は、工事の通過点の一つですが、今まで刻んでいただいた大工をねぎらい、そして今後の工事関係者一同が会し、今後の安全を祈願するとともに相互の関係を深める、とても重要な儀式です。
また、木の建築は「構造≒意匠」でもあるので、上棟は設計者としても特別の感慨があります。
こうした特別の儀式が、ひと夏に2回も経験でき、建て主さん、職人さん、ボランティアで手伝ってくれた方々、近所の方々、そして家族の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。こうした建物は、大工だけではなく設計者だけではなく、関係する皆さんの協力があってこそ前に進むものですからね。
この夏2つの上棟祝を経て、この感動をここで終わらせるのではなく、関わっていただいている職人さんたちとこのような建物を一つ一つ作り続けていこうという意を強くした次第です。
8月上旬に塗った荒壁も、徐々に乾きつつあります。
今日のような雨の日でも、家の中は空気がサラッとしてます。
潜熱調整装置。