表の扉のひみつ
ピスカリアの入り口に、鉄製の扉とは別に、黒い色した木の扉がある。
鉄製の扉や金物や庇の色合いとよく合う。
しかしこの黒い木の色は塗装によるものではない。
スギを焼いたものなのだ。
しかもIさんによる自主施工。
昔から外壁などに使った焼杉の技術を、この扉に応用。
伝統的な建築手法は、未来への扉となり得る。
私の属するNPOの活動拠点の一つ、山梨県北杜市の山奥にある山村に行ってきた。
標高が高いので寒いだろう、と覚悟していたが、ここももう春だった。
いつもながら、土地もそこで活動する人たちも気持ちいい場所だ。
さて、その施設の周りの山は、カラマツの植林地。
日本中どこでもそんな状況だが、手入れはあまり行き届いていない。
カラマツの森というのは、スギ・ヒノキの森と違って落葉するし、葉の色がそれらよりも淡い緑なので、森に居て何となく明るい感じがする。
しかし森の雰囲気は良いのだが、材となると一般的に言えば建築ではあまり使われない。
私は軸組に使ったことがないので聞いた話だが、非常に‘やんちゃ’な材で、あっち向いたりこっち向いたりして、とても使いづらいそうだ。
さらに今の森の現状では、建築で使うにはかなり木が細すぎる。
じゃあ、薪などで燃せばいいじゃないか、と思うが、カラマツは脂っ気が多いので、薪には向かない。
だから山に手を入れたとしても材の需要が少なく、高く売れるわけではないので、ますます山に手を入れる意欲がそがれるのであろう。
しかし、そんな状況だからこそ、何か良い手はないか考えてみたいのである。
このままにしておくのは、もったいないではないか。
目の前にこのようにしてたくさんあると、余計にそう思う。
地元の製材所の意見を聞いたりカラマツの歴史をヒモ解くなどして、使い道をいろいろと考えてみよう。
とはいえ、カンカンに乾燥させてシュウセイ材やゴーバンといった面白くない道では考えたくない。ケーザイだけ考えればそれが手っ取り早いかもしれないが、ケーザイのことだけ考えた世界は、結局取り合い、奪い合いの世界になるので心がスサむ。せっかくのこの気持ちよい場所がつまらなくなってしまう。
カラマツを使って人と人とがつながるような、そんな使い道を考えてみたい。
山を歩いた帰り道、黄色い花をつけた木を見つけた。
何か明るい灯が見える兆しだといいな。
小学校二年生(7歳)になる息子がいる。
第三者の意見によると、自分と姿かたちが似ているようだ。
息子をどこかに連れて行くと、いろいろな人から「似てますね〜」と言われる。
髪の毛はパーマをかけたのかと思うほどクリクリ、容姿はまだ幼く、同級生の中でもいちばん背丈が小さく細身(まだ18kg)のほうなので、昔から中肉中背(子どもの頃はむしろデカかった)の自分と似ているとはそれほど思わないが、言動や行動を見ているとそうかもしれない、と思うときがある。
その特徴は、以下のとおり。
・感性に従って行動
・一つの物事に没頭し、好きなことなら同じことをし続けても飽きない
・何事も前向き、というかあまり細かいことを気にしない
・自分のことが大好き
・一文字違いをよくする
この前も、例のごとく甲高い甘えた声で、
「○○で読んだんだけど〜、‘がけぷっち’ってなあに〜」
と聞いてきた。
文字で書くと「がけっぷち」を読み間違えたんだと思うが、耳で聞くと、最初アニメのキャラクターなどのことを聞いているのかと思った。
それにしても、「がけっぷち」を「がけぷっち」か。
追い詰められたときでも、なんだか楽しそうな雰囲気だ。
やはり、何事も前向きなやつだ、ということにしておこう。
今日はとてもよいお天気。
柿渋を塗るには絶好の日だ。
今日から小屋の部分。四寸角の垂木を塗る。
今までは土台や大引だったため、「化粧」となる部分はごくわずかだったが、今回からは基本的に全て化粧材。
つまり、すべて見える部分である。
Nさんたちも「緊張する」と言いながら、とても丁寧に塗っていた。
Nさん、木に対する愛があれば大丈夫ですよ。
家族揃って初めてピスカリアに行く。
相変わらずの美味の食事。
魚も野菜もうまい。
ヨメによると、「野菜の見方がかわる」そうです。
ナチュラルハーモニー発の無施肥無農薬の野菜を中心とした食材と、Iさんの料理の賜物だ。
子どもたちもピスカリアの味がすっかりお気に入りだ。
さて、お客が誰も居なくなってから私が写真を撮っていると、子どもがカメラを貸せというので貸すと、ところかまわず写真を撮りまくる。
あとで画像を見ると、子どもの目線というのもなかなかおもしろいので何点か紹介します。
手洗所の天井。
廊下に陳列する魚を激写。
子どもの目線だと魚が近い。
開店祝いの花。
やはり目線が低い。
クリの大黒柱の横のカウンター。
やはり目線が低い。
今日は遣り方作業。
建物の位置を決める作業だ。
大工と鳶とで現場で作業。
途中、建主のNさんも合流。
Nさん自ら、写真のとおり水貫を支えるなど、積極的に手を貸してくれた。
鳶の若い衆も、
「建主と設計者にこうしてじっくり見守られて作業するのははじめてです」
と笑いながら言っていた。
この緊張がありつつも楽しい現場の雰囲気は、建主参加型の家づくりならでは、だ。
それにしても伝統構法の現場は、通りがかりの人によく話しかけられる。
京都のまちは、社会の教科書に載っていたとおり、基本的に碁盤の目。
だからそれぞれの道に名前がついていて、住所はその道の名前にしたがって付けられる。
例えば、河原町通りと四条通が交わる地点は、「四条河原町」
またその四つ角に対して、「上ル」「下ル」「東入ル」などによって住所が定められる。
それもあって、京都の住所は非常に長い。
京都の後横浜に住んだが、横浜の住所もたいがい長かったけど、それでも自分の住所が短くなったことを実感した。
それと郵便番号帳を見るがよい。
この京都の複雑な住所の仕組みにより、郵便番号もすごいことになっていて、京都市だけでかなりの頁を割いている。
最初この仕組みに戸惑ったものだが、しかし慣れるととても便利だった。
夏の1週間、街なかの寿司屋で配達のバイトをしたことがある。
当然住所を頼りに配達するわけだが、道の名前を覚えると行く方向の見当がつくし、複数のお客さん宛に配達するときは、わざわざ地図を見なくても、効率的に回る順番を見出すことができた。
つまり、‘一見さん’には不便に感じるかもしれないが、そのまちに居る人にとっては実に便利な仕組みだった。
さて、その中でも今日歩いた中で印象的な路地を紹介。
まずは「錦」。
ここはたいへん有名な街なかにある京の商店街である。
日曜日の雨模様のお昼、人でごった返していた。
あるいは、人が多かったのは事実だが、道が狭いから余計に賑わっているような感じがして、目的もなく歩いている自分も、何となく楽しい気分になってくる。
それに人がたくさんで先が見えないので、「この先はどうなっているのだろう」という好奇心が芽生える。
次に、四条河原町を北西に入った路地。
両手を伸ばせば届きそうな道の幅。
そこに所狭しと飲食店などが連なる。
実はこの右手に学生時代たまに飲んだ店(部の宴会がよく行われた場所)があったのだが、今はこぎれいな店に様変わりしている。
この道は例外的に曲がりくねっているのだが、それもあって余計にここも「この先どうなっているんだろう」という好奇心が芽生える。
このように京の街なかを歩くと、道路が車のためではなく、そのまちに住む人間にとって便利なように、楽しいように設計されていることに気がつく。
昔の人たちの設計だから、歩く人間が主役なのだ。
だから、景観が多少現代的に変わろうとも、歩いていて楽しいのかもしれない。
先ほどの続編。
今度は土壁について。
土壁のみに視点をあてて京都のまちを歩くのも面白い。
まず色が多様である。
漆喰の白い壁、黄色の土壁、浅黄色の土壁。黒い土壁…
建て主の美意識と個性がここにもふんだんに表れている。
そして芸が細かい。
さすが日本の都、職人の腕も最高峰が集結しているのであろう。
いつだったか左官屋の湯田さんも、左官工事の技能は「京都は最高だよ」と言っていた。
それでは、まちで見かけた土壁を幾つか紹介。
今回見つけた中で気に入った壁の一つ。
大小混ざった砂などが味を出しています。
また、板金に頼らない、こまやかな左官仕事による水切り。
微妙なふくらみが柔らかい印象を与えます。
少し灰色がかった土壁。
この写真は、上の板壁にも注目。
自然にできた(であろう)目透かしが、長い歴史を感じさせるとともに不思議な印象を与えます。
黄色いです。
黒いです。
街なかで見つけた土塀。
土塀に掘り込んで落書きとは、京都ならではです。
皆さんは絶対に真似しないように。
土壁のきずも、いくところまでいくと味があります。
(我が家の壁を見るよう…)
最後に、板壁がはがれたところから見え隠れする下地の土壁を発見。
昨日京都動物園を歩いても感じたことですが、京都の土は白っぽいようです。
ヨメの帰省のため、年に2〜3度は関西に行くのだが、その度に一日は一人京都に足を運んでいる。
毎回だいたいの方面は決めるものの、目的もなく、気の赴くままにぶらぶらと歩くことにしている。
今回は、三条〜四条の間、まさに街中を歩くことにした。
京都の街中だから、碁盤の目をジグザグに歩く。
京都の街中を歩くと気がつくことだが、そこに建っている古い建物はだいたいが、
・前面には細かい間隔の格子
・前面の壁は腰までが板壁、その上が左官壁
・妻側の壁は縦張りの板壁
・屋根には瓦
という構成。
それしかないといっても言い過ぎではないくらい定型化されている。
しかし、その定型化された建物の一つ一つをよく見ていくと、壁にせよ瓦にせよ一つ一つ微妙な差があることに気がつく。
その中で建物の持ち主は、自分の美意識と個性を表現している。
もしくは、時代ごとの流行が反映されているのかもしれない。
いずれにせよ建物の意匠の微妙な差を発見していくことは、街なかで宝探しをしているようで、本当に面白い。
デジタルカメラでそれらを採取して歩いていたら、あっという間に3時間が経っていた。
まずは京の瓦の世界を紹介。
軒先の意匠に注目してみる。
以下の写真は全て何百mも離れていないところで採取。
鎌の軒先。
鎌の軒先はどちらかというと細く緊張感のある印象を与えるが、ここでは漆喰の曲線の影響で柔らかい感じがする。
鎌の先に唐草模様が入っている。
唐草模様が入っていることで、こちらも柔らかい印象がある。
また、唐草模様が入っているということは、格式も高いのかな?
模様がたくさん入っている。
派手ですね。
この模様は家紋かな?
分厚い一文字の軒先。
重厚感がある。
格式の高い家柄なのだろうか。
一文字の変形。
(きっとこの形状に正式名称があるに違いない。)
この形状は初めて見た。
すっきりしてなおかつ柔らかい印象である。
同じく一文字の変形。
お寺さんの塀で採取。
一つ前の写真よりも角ばっていて、カチッとした印象である。