共同作業
今日も、よいお天気の下、焼杉作業。
共同作業は、自ずと会話と連帯感が生まれるから、楽しい。
子どもの頃からカープファンなのです。
そういえば今日、来月上海から帰ってくるK田の家の畳を上げていたら、畳の下から昭和63年4月のスポーツ紙が出てきました。
すると、カープ「連勝街道」の記事が。
当時は地味に強かったのです。
(しかしこの年の優勝は確かドラゴンズ)
当時のすばしこくてかしこい野球、戻るとよいなあ。
その他の記事にも、作業の手を止めて目を通してみました。
すると、原選手、落合選手、シブガキ隊などの姿が。
18年の年月を感じてしまいました。
建築設計を仕事としていると、仕事場は建材のカタログに押しつぶされそうになります。
一社のカタログだけで、横幅一尺以上とる、なんてこともあります。
設計の理念上、内装仕上にクロスや化粧合板等の既製の建材は基本的に使わないので、私の手元にあるカタログは比較的少ないほうかと思いますが、それでも延べの横幅は両手を広げたくらいまでに達します。
とはいえ、やはりあまりカタログに頼らないでたてものを作ることができれば、それに越したことはありません。職人さんたちの手作り、という手があるからです。
既製品をうまく使っていくことも大切ですが、しかし、職人の文化と技術を尊重し、それらを建築設計の中で積極的に提案していくことは、もっと大切だと考えます。
また私たちにとって、職人との対話の中でデザインを考える過程も楽しいものです。
さて、BLOOM柳楽さん。
ピスカリアの玄関扉と庇と看板を作っていただいた鍛冶屋です。
柳楽さんとの対話によるものづくりを通じ、金物にも無限の自由な世界があるのだ、ということを改めて感じました。
題:ありがとう
プレゼントもらってありがとう、
やさしくしてもらってありがとう、
きてもらってありがとう、
かみさまありがとう
いきることっていいな
こんどはぼくらがやさしくしよお
ありがとうありがとう
・・・
先日、この詩を玄本人に音読してもらいましたが、
前半部分、奥田民生と井上陽水の歌声が頭の中で聞こえてきました。
後半部分、不覚にもかなりじんとしてしまいました。
夜、大学時代の友人のYちゃんから連絡があった。
家づくりの方針がほぼ決まったとのこと。
よかった!
Yちゃんから数ヶ月前に連絡をいただき、これから家を建てる予定なんやけど、ということで相談をいただいていたのだ。
Yちゃんは関西在住なので、私は直接家づくりをお手伝いできない。
できることがあるとすれば、電話などで助言することくらいだ。
そしてその結果、先ほどの電話で一つの山を乗り越えたことを知らせてくれた。
しかし考えてみれば、家づくりは、生涯の中でとても重要かつ重大なできごとなのに、学校などで教えてもらう機会はほとんどない。
大学の専門教育の中ですら、家や木造に関して勉強する機会はほとんどなかった。
(と偉そうにいえるほど学校にほとんど行ってなかったですが…)
だとすれば、これからボクたちにとって、直接家を作る仕事ではなくても、気持ちよい家を作るにはどうしたらよいか、ということに関する知識を広めたり、あるいは家づくりの文化を深めたりする取り組みは、より重要性を帯びてくるような気がする。
Yちゃんのほっとしつつもうれしそうな声を電話越しに聞きながら、そう思った。
ましてボクらの仕事は、量と距離に限りがある。
年に数棟、という世界だし、気候風土をよく知らない遠方の土地の仕事は難しい。
だけど、徐々にではあるけれど、知恵をつなげ、仲間を増やしていくことは、今のボクたちにできるのだ。
幸い、各地域に骨のある職人さんは居る。
ボクたちや住まい手が足で探せば、必ず出会うことができる。
それではYちゃん、これから楽しみやなーー。
ええ家作りやーー。
焼杉作業を行い、民家の勉強をした後、夕ごはんは、へっころ谷でほうとうをいただきました。
家から北の方角に出かけた際には、ここがちょうど帰り道になるのです。
寒い冬もそうですが暖かくなったこの時期でも、ほうとう食べると疲れを忘れ、とてもさわやかな気分になります。
また、一人でぶらっと来ても、誰かしら顔なじみが居るのもうれしいですね。
身と心が悦ぶ店です。
こどもたちも大好きな店です。
とくに玄は、玄だけにここの玄米チャーハンが大好物です。
ワールドカップが始まりました。
ワールドカップが始まると、4年前のことを思い出します。
その頃私は病院に住んでいて、ほぼ全ての試合をテレビ観戦することができたのでした。
そう考えると、はるかかなた昔のできごとのような気がします。
人からはよく、冗談交じりに「計画的にケガしたんだろう」と聞かれますが、振り返ればその頃、私にとって必要な時間だったのかもしれません。
またその年は、大学からの親しい友人であり、我が家から徒歩2分のところに住んでいたK田一家が転勤で上海に発った年でもありました。そのK田が、今年の夏帰ってきます。
ということで、ワールドカップの時期は、自分も周りもよく動く年のようです。
そういえば、結婚することを決めたのも、「ドーハの悲劇」の年だったなあ。
さて前置きが長くなりました。
こどものうた、第三弾です。
・・・
題:いわ
火山は岩
でかいいいしも
山海のいしも
山も岩
今まで生きてきた人生の中で、幾つかとても影響を受けた本がある。
森にかよう道-知床から屋久島まで-(内山節著)がそのうちの一冊である。
いや、実社会に出て読んだ中では、最も影響を受けた本かもしれない。
この本とは、三年前に出会った。
三年前、木の建築フォラム主催の集会に内山節さんのお話を聞く機会を得、とても共感を覚えていたところ、渋谷の本屋で偶然この本に出会ったのだ。
本が私を呼んでいたというか、星の数ほどある本の中で、この本と私は目が合った、という感覚であった。
今でもたまにカバンに入れては、電車の中でパッと開いた部分から読んだり、あるいは初めて読んだときに、気に入ったり共感を覚えた文章のところに赤線を引いていたので、その部分のみ抜粋して読んだりしている。
著者の内山節(たかし)さんは、山村で暮らす哲学者である。
だからこの本は、森の本であると同時に、人生哲学の本である。
現代の森と人間の関係について問いただすとともに、私たちはなぜ生きているのか、私たちの生きるうえでの価値観は一体何なのか、それをも問いかける本である。
やはり、森は人間の鏡なのだ。
木の建物に携わる身として、多くの人にぜひ読んでもらいたい一冊です。