代用品の時代
このまえの森林に関する本の感想の続きです。
産業が発達し、人口が増え、経済が成長すると、いよいよ生きるための資源を供給する森林は、減り続ける一方となりました。
森林は、自然界の賜物ですから、安定的に資源を供給してくれるとは限らず、また再生可能とはいえ、その時間も数十年かかります。
産業の発達に伴い、石油の利用やプラスティックの開発が進みましたが、当時の人たちは森林の減少と資源の枯渇に危機感を抱いたために、人類が長い間使い続けてきた資源の「代用品」を考えざるを得なかった、という見方をすることができるのではないかと思います。
私は家づくりの仕事において、極力石油商品やプラスティックに頼らないで家を作るように努めています。
というのも、「代用品」はやはり代用品であって、人類の身体にはあまり合わなかったようで、今それが化学物質過敏症やシックハウスという現象で顕在化しているからです。
とはいえ、私は石油をたくさん消費する車に乗りますし、木と土の家の中でも見渡せば生活用品の中で相当プラスティックが使われていますので、それらの存在を全否定することは説得力に乏しいといえるでしょう。
そして、それらは森林を守るための身代わりだったのだ、という見方をすれば、不覚にも(?)かなり情が沸いてきたりもします。
どんなものであれ、モノには命がありますからね。
しかし、今の世の中いくらなんでも「代用品」ばかりになってしまいました。
さらには、代用品の代用となる代用品、またその代用となる代用品を作り続けています。
そして人までもが、仕事でも遊びでも、どこまでも身代わりがいるような世の中になってしまいました。
やはりできることならば、人間は「本物」しか居ないわけですから、存在の吐息を感じることのできるような「本物」の世界を提案し続け、いつまでも「本物」がこの世に存在し続けられるようにしていきたいと思います。
あるいは代用品を選択せざるを得なかったとしても、より「本物」に近いものを選択するという見方で判断していきたいと思います。
「本物」は、私たちから遠ざかっているとはいえ、きっと私たちのことを覚えてくれているでしょうから、私たちに合う世界を作ってくれるような、そんな気がするからです。
例えば、ガスコンロと電磁調理器…
例えば、無垢板と合板フローリング…
様々な選択の判断基準になろうかと思います。