泥の誘惑
Nさんの家に、半年前に仕込んだ泥が塗られ始めました。
当初赤っぽかった泥は、藁と混ぜて十分に発酵することにより、深緑色に。
その泥を、縦横に編みこんだ竹の間に、押し込むように塗っていきます。
泥が竹の間から団子状にむにゅっと顔を出すことになるわけですが、それを見ると指先でつつきたくなる誘惑に駆られます。
9時間半。
本日のコーポラティブ住宅の総会に要した時間です。
皆さん、本当によくお付き合いくださいました。
しかもここ最近で、最も出席率の高い総会。
完成3〜4ヶ月前となり、大切な決議事項がたくさんあったからでしょうか。
長い濃い、充実した総会でした。
今後の私たちの生活を考えるうえで、示唆に富む話が多い議論でした。
とくに電気やエネルギーの話。
私たちがエネルギーを使うということは、何かを犠牲にして成り立っているということ、だから使うとするならば大事に使おうということ、そのことを身をもって知りました。
皆さんから教えられること、多いなあ。
仲間が多ければ、なおさらです。
「仕事」でお客さんと飯能の材木屋に行きました。
この材木屋は、我が家を作るときにたいへんお世話になった材木屋です。
「仕事」で来ました、しかし会話の8割以上は音楽の話。
そのワケは、材木が積まれた大きな小屋の中にある2台のピアノ。
ここの主のKさんが大のクラシック好きで、それが興じてここにピアノを持ち込み、ここで定期的に音楽会を催す予定、とのことです。
弾いてみました。
最近ご無沙汰なので指の‘ロレツ’が回っておりませんでしたが、発する音が実にいい!
自然に囲まれた環境もさることながら、四方に積まれている材木が計算し得ない音響効果を発揮しているのでしょう。
事実、ピアニストもそのように音響効果のすばらしさを仰っていたようです。
そこに積まれ、家となることを待つ材木たちも、多くの人の目に触れ音楽を聴き、きっと悦んでいるんだろうなー。
胎教みたいなもんです。
ますます、ここに来ることが楽しみになりました。
追伸
こうして本物のピアノを弾くと、我が家の電子ピアノじゃ物足りん!
電子ピアノも本物のピアノにタッチを似せていますが、それでも指の感覚が違います。
先週土曜日の朝、久しぶりにK邸を訪れました。
K邸も、冬を越え、春を越え、夏を越え、今に至っているわけですが、しばらく見ない間に、緑がとても豊かになっていました。
しかも、食べられる緑!
東京のど真ん中でも、決して広い敷地ではなくても、こうして緑を豊かにし、食べ物を育てることができるのだと、改めてKさんに気づかされました。
そしてやはり緑は美しい。
焼杉色ともよく合います。
そういえば昨晩、焼杉板で仕上げるコーポラティブハウスに住まう予定のKSさんが、電話口でしきりに建物を緑で覆いたいと仰っておりました。
ぜひそうしましょう!
今週から左官屋の湯田さんのところの職人が4人入るようになり、竹小舞かきもだいぶ進んできました。
現在建物は、「竹籠」状態です。
夕方、作業用の照明を建物の中で点けていると、建物全体が竹であしらった巨大な照明器具のようです。
視線は遮るが風と光は通す細かい竹の格子、こうしてできるたび、この状態をどこか一部に残しておきたいと思ってしまいます。
建て主のNさんも、壁の一部を指差して冗談交じりにそのようなことを仰っておりました。
そうです、指を差した先は外の壁です。
しかし、古い民家を見てみると、竹小舞を一部残した小窓をたまに見受けます。
昔の人たちも、「やっぱりここは風と光を通すか」とか言って、せっかくだから竹小舞の部分を残したいと思ったのかな。
Nさん、本気でやってみます?
実はここ数日、身体が重くて仕方ありませんでした。
原因は、数日前の現場交流会で飲んだ1本の缶ビール。
「有機」と書いてあったし美味そうだったので1本いただいてみたのですが、舌とノドは喜んだのも束の間、やっぱり身体は受け付けなかった…
ビールを飲んだ夜、全身に激痛が走ったのです。
痛さのあまり、寝ることもままなりません。
ビール(ただし自然麦酒以外)を飲むと昔から必ず出る反応で、以前は酒全般がダメなのかと思っていましたが、ここ数年ビール(ただし自然麦酒以外)が原因だと気づいたのです。
やはりボクは基本的に日本の酒に生きようと、心に決めた週の始めでした。
本日は現在建設中のコーポラティブハウスの現場見学会を開催した後、入居予定の人たちと現場で働く人たちとの交流会を行いました。
築約130年の民家に50名は居たでしょうか。
子どもたちもたくさん。
途中、隣接してお住まいの元地主さんも合流して、さらにいっそう賑やかに。
この民家、こうして多くの人たちに見守られる中使い継がれて、幸せだなあ。
交流会の雰囲気は、今年2月に引き続き2回目の開催なので、以前よりいっそう和やかな様子でした。
また、鉄筋コンクリート造の現場ではお互いに滅多にない機会なので、酒を片手に、それぞれの話に耳を傾けている様子がうかがえました。
設計屋は提案者であるとともに、橋渡し役。
現場で働く人たちの多大なる協力もあって、時代と世代、住まい手と作り手が結ばれる楽しい場を設けることができたことを、とてもうれしく思います。