縁木
自然のかたちは、
何かの縁。
縁を大事に、
使ってゆきたいのです。
ボクたちは
この自然界に、
何かの縁で
ここに居るということを、
家の中でぼんやりと、
二本の不思議な木を
眺めながら、
そう思うのです。
堅くて柔らかい、
強くて繊細、
ピスカリアのテイブルは、
そんな不思議な
栗の板で
できています
骨太で軽快、
遠くて近い、
栗の板の上で味わう、
葉山のシチリア料理。
一見すると相反する
二つの世界を、
栗の板は、
大きく包み込むのです
前も書きましたが、私は子どもの頃から広島カープを応援しています。
昨日は広島カープを応援する者にとって、実に嬉しいできごとがありました。
エースの黒田が、FA宣言をせずに球団に残留することを宣言したのです。
http://www.carp.co.jp/hedline_flame/08_f.html
その理由がまた感動的です。
育ててくれた球団や人たちへの愛情と、
ファンへの感謝の気持ち。
嬉しいではないですか。
もし自分の利益のみ追求したならば、彼の今の実力ならばFA宣言した方がよほど有利だったと思いますが、彼はいろいろ考えた末、きっぱりと「愛」と「感謝」を選びました。
もちろん、人にはいろいろな価値観があるでしょう。
むしろ、今の野球選手の一般的な動向から見たら、いささか奇異にすら映るかもしれません。
しかし間違いなく、彼の決断は多くの人たちに感動を与えました。
広島カープ。
他と比べてお金の無い球団ですが、
いやだからこそかもしれませんが、こうして「愛」と「感謝」に満ち溢れた選手とファンが多い。
だから私は、広島カープファンであることを誇りに思うのです。
ひょんなことで、家族で鶴川周辺の里山を遊ぶことになりました。
NPO樹木・環境ネットワークが主催する、「子どもワクワクプロジェクト里山編―秋の森芸術展!―」に参加してきたのです。
この時期の里山は気持ちいいだろうな〜、と思っていましたが、本当に気持ちが良い。
実は来る前、子どもたちは別の思惑があったようで乗り気ではなかったのですが、里山に入った途端、朝のできごとは一体なんだったのだろうか、というくらい、楽しんでいるではないですか。
「来てよかっただろ」というと、
何事もなかったように、「うん」という子どもたち。
やはり里山は、子どもにとって楽園のようです。
しかし私が子どもの頃、わざわざ遠くまで出かけなくてもこうした空間が身近にあって、探検したり、基地を作ったり、よく遊んだものでした。
(考えてみれば、あれば多分民地でしたが…)
東京も、探せばまだこのような里山が残っているようです。
保存のための保存ということではなく、楽しくて気持ちがよいのでぜひ残していきたいですね。
里山を散策する子どもたち。
探検気分。
里山の産物で、色彩ビンゴゲーム。
里山には多様な色があることを改めて気づかされます。
我が家の犬も、里山を楽しみました。
焚き火で焼いた焼き芋を楽しんでいます。
「箱膳を体験しよう」という食育イベントに参加してきました。
場所はみずがき山の麓。
「みずがき…」といえば、「えがおつなげて」の主催です。
ちょうど去年の今頃ここへ来たときすごく寒かったのですが、今日はそうでもなく、むしろ暖かいくらい。
今年の11月はやはり暖かく感じます。
しかし紅葉はもう始まっていて、山々が美しく彩られています。
空気も澄んでいて、赤や黄色や緑などの向こうに、神々しいみずがき山を望むことができます。
さて「箱膳」。
「箱膳」とは、昔農村で行われていた食器の管理方法のようで、尺角の箱の中に自分が使う食器を収め、管理します。
そして箱膳により、自ずと食事作法が規定されます。
まずは食事の量。
箱膳の中に納められた料理が、自分に配分された食事の量です。
次に食べ終わった食器の洗浄。
食べ終わったら白湯を流し、残してある漬物でこすって洗います。
その白湯を飲み干した後は、布巾で水気をふきとって箱に収めます。
(食事前)
箱の中に食事が収められています。
(食事中)
箱の蓋をひっくり返して、そのうえに食事を並べます。
(食後)
食後は白湯と漬物で食器を洗い、その食器を箱に収めます。
ということで、箱膳にて食事を体験してみました。
まず印象的だったのは、参加者が10人ほど居たかと思うのですが、食事を始めて暫くの間、実に厳粛な雰囲気の中で、誰もしゃべることなく、黙々と食事をいただいていました。
箱膳でいただくときは、しゃべってはいけないという規則があるのか、思ったほどです。
(そういえば小学2年生のとき、「給食の時間はおしゃべりしてはいけない」という規則があったなあ)
確かに箱膳を前にすると、いい加減に食べてはいけない、と箱膳が言っているような、何か背筋が伸びる感じがします。
次に、建築的な視座から。
箱膳による食事様式がもし根付いたとするならば、家は小さくて済みます。
まず「食堂」というものが要らない。
みんなが集いくつろげる、居間的な空間があれば、そこで食事することができます。
それと食器があれこれ必要ないので、台所の収納も小さくて済みます。
箱膳とは、食事作法を教えてくれるとともに、小さな空間を豊かにしてくれる装置のような、そんな気すらしてきます。
さて、その箱膳。
実はもともと、地域の森林資源をどのように活用しようか、いろいろ議論をしているうちに出てきた発想が派生して今のイベントにつながっています。
森林資源を身近なものにするために、近くの山で採れた木を身近に使ういろいろなものに使っていこう、という考えのもと、いろいろな物語のある「箱」を作っていこうという話の一環でもあります。
ということで、森につながる今後の箱膳の展開、ぜひ楽しみにしてください。
今日の昼、久しぶりに家族と葉山のピスカリアに行きました。
相変わらず、季節の素材を生かした美味しい食事。
そしてここは本当に居心地がよい。
主のIさんをはじめ、いつも笑顔でもてなしてくれるMNさん、厨房の仕事人Iくん、週末本業の合間に客席に立つMSさん。そこで働く人たちのもてなす心といいますか、
来ていただいたお客さんに美味しい食事を味わってほしい、楽しんでほしい、という気持ちが、料理に、空間に、にじみ出ています。
事実、Iさんは料理を出した後、必ず厨房を出てお客さん一人ひとりに声をかけ、もてなしの意を表します。
また料理人の立つ厨房が、お客さんの通過動線の途にあり、開放的なので、お客さんと料理人の距離が近く感じます。
こじんまりとした広さということもありますが、ここは動線上、また意識の上で、お店に対して親近感のある関係を感じることができます。
そうなんです、ここの気持ちよさのカギの一つは、他の飲食店では殆ど感じることのない、あるいは成すことのできない、お客さんと料理人の「関係性」にあるのではないかと思うのです。
一方、居心地の基礎となる空間については、ここは気候風土に根ざした伝統的な建築構法に基づいて構成されています。
こうした先人の知恵に基づく伝統的な建築構法による空間は、本質的に人間にとって心地よいものであると、私はピスカリアを作って改めて思います。
歩いて1分もするとそこは海。
森戸海岸です。
感性に素直な子どもたちは、夏でも秋でも冬でも春でも、海をよろこびます。
今日も子どもたちは、秋の夕焼空に光る海を楽しみました。
ここ葉山は、海だけではありません。
里山があり、落ち着いた街並みがあり、
そして、人生を楽しもうとする人たちがたくさん住んでいます。
ここの居心地のよさは、建物で完結するのではなく、まちにつながっているのです。
いやこのまちが、ピスカリアの居心地を生んだのかもしれません。
10月上旬、我が家に新たな家族が来ました。
ムスメの夢がかなったのです。
ムスメは幼い頃から動物が大好きで、物心ついたときから、
「しょうらい何になりたい?」
と聞くと、
「じゅういさん」
と答えるのでした。
だから当然のことながら、かねてより動物、とくに犬を飼いたがっていて、今年10歳という歳になって、その願いはいっそう強まるばかりでした。
一方で、新たな家族を迎え入れるには、いろいろ課題や心構えが必要であると、話をしてきました。
しかしそれらを克服するにはどうしたらよいか、その解決方法をことあるたびに相談してきました。
そしてここ数ヵ月もの間、執念すら感じるほどその実行に努めてきたのです。
まだまだ全て解決したというわけではないのですが、今回、その成果が結実しました。
実は里親制度によってその新たな家族を迎え入れることになったのですが、迎え入れることを希望している方が複数いらっしゃったようで、我が家に来る確率は数分の一だったのです。
しかしその涙ぐましいムスメの努力が、我が家を選んでくれたのでしょう。
「神様」はいたのです。
夢や希望は、継続して強く持ち続ければきっとかなうのだ、ということを、子どもに教えられました。
さてそのムスメ、その新たな家族との生活の記録としてブログを始めました。
更新はボチボチですが、見てやってください。
http://ameblo.jp/jetan/