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2006年6月29日

夏の夜の風を感じながら

カテゴリー: 今日のできごと

この季節、仕事部屋で頭上をかすめる風が、なんとも気持ちがいい。

というわけで、風に乗って、風の話を思いつくままに。

毎週、杉板を焼いています。
杉を上手に、早く焼くコツは、火を風に乗せること。
風に乗った見えない火は、遠くまで、柔らかく板を焼きます。
板を焼いていると、客観的には灼熱の世界で過酷ともいえる状況なのかもしれませんが、風を感じ時を忘れ、一人別の次元の世界に行ってしまったかのような気になります。

自転車で旅に出ると、常に風と会話することとなります。
逆風のときのつらいことつらいこと、
そして風に乗ったときの、なんとも気持ちよいこと。
とくに海沿いの道を走るときは、風とケンカしたり、仲直りしたり、と頻繁に繰り返します。北海道を走ったときは、海沿いではケンカばかりでしたけどね(笑)。
別に旅という非日常ではなくても、日々のちょっとした自転車の利用でも、風とは‘トモダチ’になります。

‘ルララ、宇宙の風に乗る’という言葉で締めるこの歌は、私の大好きな歌の一つです。
この歌を聴くたび、この歌の詩が表す意味を空想するのですが、夢のある、楽しそうな空間や状況が思い浮かびます。

そう、風に乗れば、夢見心地。
一方で、風は、「風土」という言葉から連想されるように、その土地固有のものでもあります。
昔から、なぜというわけでもなく、「風」という字の形と意味、「カゼ」という響きが好きでした。
そして今、私は夏の夜の風を感じながら、風土、風景、風情、風流…、そして周りから目立たなくても夢を感じ、存在感のあるような、風のような仕事をめざしていきたいと、一人そうつぶやくのでした。

2006年6月28日

「基本」をもう一度おさらいせえということですね

カテゴリー: 今日のできごと

建築士制度に関する改正案が発表されたようです。

一級建築士の勉強をしているときに、誰に言われたかは忘れてしまったのですが、「今勉強していることは、設計屋としてやっていくうえでの基本中の基本。資格を得るために勉強する何倍の知識が必要なんだから、そう思って勉強せえ」という言葉が心に残っています。
(実際、まさにその通りです。)
あの事件を機に、私たちは基本をもう一度おさらいせえ、ということですね。

一方で、知識や資格制度の強化も大事ですが、今回私たちに最も突きつけられた課題は、文化や姿勢や理念だと私は思うのです。

そして、今の建築関連法規の流れを眺めていると、対処療法的に、細かい技術や設備の規則が増えるばかりで、今度の建築士制度の改正の流れも含めて、いささか窮屈な感じもします。
理想論かもしれませんが、安全で気持ちよい空間を作ろうという考え方が定着すれば、規則はもっと大らかでよいのではないか、と思っています。
シックハウス用の24時間換気設備などがまさにそうですね。

それと、建物の高さにしても、日影規制だ、天空率だ、なんてややこしくて細かい規定はしないで、例えば「最大10mまで」って決めりゃよいのです。
(北側斜線などは残したほうがよさそうですが)
そうすれば、構造設計だってそんなややこしくなくて済みそうです。
エレベーターにも依存しなくていい。
しかも、建物の高さを低く抑えれば、都市機能の一極集中、などといった社会問題も、解決できるような気がします。
(社会問題は、そんなに単純に解決するものではありませんけどね。)

とまあ、持論はこのへんにして、いずれにせよ、今後の建築行政の動きには目が離せませんね。

2006年6月26日

これも電磁波の影響?

カテゴリー: 今日のできごと

ラジカセを仕事部屋に置いていて、音楽を楽しみながら仕事することが多いです。
最近は、もっぱらrakiraさんのピアノのやさしい音色。

さて、ラジカセに関して最近不思議なことが一つあります。
私はFMラジオを楽しむことも多いのですが、ラジオを聴いているとき、パソコンの電源を入れると、とたんにラジオが受信できなくなるのです。
これもパソコンから発する電磁波の影響なのでしょうか。
距離は1間ばかり離れているのですが。

今まではほとんど問題なく、ここ最近の話なので、なおさら不思議に感じます。

ということもあって、仕事ではパソコンのお世話になることがどうしても多いので、ラジオでなくrakiraさんのCDを聴いてばかり、ということになっています。

それはそれで、ですが、たまにはラジオも聴きたいですし、電磁波の影響ならばなおのこと、対策を考えなければ、ですね。

2006年6月25日

Nさん、木に愛を注ぐ(9回目)

カテゴリー: 横浜な邸

梅雨らしい空でしたが、N邸の柿渋塗りを決行。
大テントの下をかいくぐって、2階の床梁を中心に塗りました。

本日のお手伝いさんは、
S藤さん(3回目!)
O黒さん(山梨から!)
ありがとうございます。

今日は大きな木材ばかりだったので、運び役の私はさすがに腰と腕と手首が疲れました。
おかげで最近、土曜日は焼杉作業だし、運動不足とは無縁の生活です。
また、直接持ってみることで、「おまえは少し水太りだな…」とか、「お〜、絞れた身体になっとるな!」とか、「自分は素直なやつやの〜」とか、それぞれの木と対話する機会を得ることができるので、材の運搬は設計者の立場として楽しいですね。

そもそも柿渋塗りは、大工の手仕事の凄味を肌で感じる良い機会です。

下の写真は、2階床梁の一つ。
尺5寸間隔に甲乙梁をワタリアゴでかけていくので、それを受ける床梁はこんな形となります。律動的ですね。
Nさんは、「汽車のようだ」と言っておりました。

休憩時間は、「CAFE FUJIMA」による珈琲を楽しみます。
何よりもNさんがこの美味しい珈琲を心待ちにしています。

ちなみに、テーブル代わりになっているのは、金輪継(追っかけ大栓か?)の落としの材。つまり、建物を作るには不要の材です。
そんな木っ端が片隅にゴロゴロしています。
これらは無用のゴミになるのではなくて、薪などの用途に有効利用されています。
オガクズも、牛舎や鶏舎の方々が引き取ってくださるそうです。
こうして無垢の木は使い尽くすことができるのがよいですね。

それと、工作用に木っ端が欲しい方!
早めにおっしゃっていただければ、差し上げますよ〜。

2006年6月24日

継続は力なりを実感

カテゴリー: えこびれっじ

土曜日恒例の焼杉作業
焼く作業だけならば、ようやく半分を越えました。
作業も10数回を数えると、やはり作業が速く、うまく、なりますね。
初めて経験することによって気づくことも多いですが、同じことを繰り返し行うことで得るものも大きいです。
継続は力なり、を実感します。

2006年6月23日

体内時計

カテゴリー: 今日のできごと

今朝はW杯のブラジル戦でしたね。

昨晩の段階で、試合を見よう!と心に固く決めていたわけではなく、2時前だったでしょうか、コンタクトレンズをしたままいつの間にか仕事机の足元の板の間で寝てしまい、しかも目覚まし時計を仕掛けていたわけではないのですが、起きたらなんと3時56分!
不思議な体内時計に自分でもビックリです。
もちろん、テレビの前で観戦することにしました。

ついさっきまで寝ている目にコンタクトレンズが入っていたので、テレビを観ながら終始涙がポロポロ…。
端から見たら、前半は感動の涙、後半は悔し涙を始終流していた、と映っていたことでしょう。

ところで、たまにこうしてサワラの板の床の上に寝てしまうことがあります。
たまに、のことでしたら、寝ている間に背筋が伸びた感じがして、悪くありません。
ただし、板の床の上で寝る場合コツがあって、必ず直立不動の姿で寝ることです。少しでも歪んだ体勢で寝ると、いくらサワラの板が柔らかいからといって、起きたとき身体がとても痛いです。

私は朝どうしても早起きしなければならない場合、あるいは寝てる場合ではないほど仕事量がたくさんある場合、このカタチで仮眠をとることがありますが、朝の寝起きがとてもよかったりします。

皆さん、オススメ、というほどではありませんが(笑)、柔らかい木の板の上で一度いかが?

2006年6月22日

代官山駅にて

カテゴリー: 今日のできごと

代官山駅で電車を待っているとき、足元を見ると、線路のところに木が敷き詰めてありました。
今まで気づかなかっただけかもしれませんが、意外なところで木と出会ったような気がしました。
そして、石が敷き詰めている線路よりは、温かい感じがしました。

2006年6月19日

梅雨どきの様子

カテゴリー: 今日のできごと

梅雨が来ました。
床の板を見ると、梅雨というか、夏の到来を感じます。
冬場には板と板との間に数㎜隙間ができのですが、この時期になると、その隙間がなくなってくるからです。

さて、引き続き温度湿度を計測中ですが、梅雨どきの我が家の中は、朝も昼も夜も、気温がだいたい24〜26℃、湿度が60〜75%くらいと一定しています。
料理を作り終えた頃、少し台所近くの湿度が高くなるかな?

木と土の家は、驚くほど気温や湿度の調節機能があるわけではありませんが、梅雨どきも、人間が不快でない程度に、外よりもゆるやかに変化する環境の中で、季節を程よく感じながら暮らすことができます。
とくに厚いサワラの板の床は、空気よりもサラッと感じて、気持ちいい〜です。

それではまた、真夏の季節に。

2006年6月18日

議論

カテゴリー: えこびれっじ

今日はコーポラティブハウスの総会
議論は友情を育む。

私も十分楽しませていただきました。
一日かけての総会が終わると、終わったー、という爽快感と、心地よい虚脱感を感じます。