Nさん、木に愛を注ぐ(3回目)
今日はとてもよいお天気。
柿渋を塗るには絶好の日だ。
今日から小屋の部分。四寸角の垂木を塗る。
今までは土台や大引だったため、「化粧」となる部分はごくわずかだったが、今回からは基本的に全て化粧材。
つまり、すべて見える部分である。
Nさんたちも「緊張する」と言いながら、とても丁寧に塗っていた。
Nさん、木に対する愛があれば大丈夫ですよ。
今日はとてもよいお天気。
柿渋を塗るには絶好の日だ。
今日から小屋の部分。四寸角の垂木を塗る。
今までは土台や大引だったため、「化粧」となる部分はごくわずかだったが、今回からは基本的に全て化粧材。
つまり、すべて見える部分である。
Nさんたちも「緊張する」と言いながら、とても丁寧に塗っていた。
Nさん、木に対する愛があれば大丈夫ですよ。
家族揃って初めてピスカリアに行く。
相変わらずの美味の食事。
魚も野菜もうまい。
ヨメによると、「野菜の見方がかわる」そうです。
ナチュラルハーモニー発の無施肥無農薬の野菜を中心とした食材と、Iさんの料理の賜物だ。
子どもたちもピスカリアの味がすっかりお気に入りだ。
さて、お客が誰も居なくなってから私が写真を撮っていると、子どもがカメラを貸せというので貸すと、ところかまわず写真を撮りまくる。
あとで画像を見ると、子どもの目線というのもなかなかおもしろいので何点か紹介します。
手洗所の天井。
廊下に陳列する魚を激写。
子どもの目線だと魚が近い。
開店祝いの花。
やはり目線が低い。
クリの大黒柱の横のカウンター。
やはり目線が低い。
今日は遣り方作業。
建物の位置を決める作業だ。
大工と鳶とで現場で作業。
途中、建主のNさんも合流。
Nさん自ら、写真のとおり水貫を支えるなど、積極的に手を貸してくれた。
鳶の若い衆も、
「建主と設計者にこうしてじっくり見守られて作業するのははじめてです」
と笑いながら言っていた。
この緊張がありつつも楽しい現場の雰囲気は、建主参加型の家づくりならでは、だ。
それにしても伝統構法の現場は、通りがかりの人によく話しかけられる。
京都のまちは、社会の教科書に載っていたとおり、基本的に碁盤の目。
だからそれぞれの道に名前がついていて、住所はその道の名前にしたがって付けられる。
例えば、河原町通りと四条通が交わる地点は、「四条河原町」
またその四つ角に対して、「上ル」「下ル」「東入ル」などによって住所が定められる。
それもあって、京都の住所は非常に長い。
京都の後横浜に住んだが、横浜の住所もたいがい長かったけど、それでも自分の住所が短くなったことを実感した。
それと郵便番号帳を見るがよい。
この京都の複雑な住所の仕組みにより、郵便番号もすごいことになっていて、京都市だけでかなりの頁を割いている。
最初この仕組みに戸惑ったものだが、しかし慣れるととても便利だった。
夏の1週間、街なかの寿司屋で配達のバイトをしたことがある。
当然住所を頼りに配達するわけだが、道の名前を覚えると行く方向の見当がつくし、複数のお客さん宛に配達するときは、わざわざ地図を見なくても、効率的に回る順番を見出すことができた。
つまり、‘一見さん’には不便に感じるかもしれないが、そのまちに居る人にとっては実に便利な仕組みだった。
さて、その中でも今日歩いた中で印象的な路地を紹介。
まずは「錦」。
ここはたいへん有名な街なかにある京の商店街である。
日曜日の雨模様のお昼、人でごった返していた。
あるいは、人が多かったのは事実だが、道が狭いから余計に賑わっているような感じがして、目的もなく歩いている自分も、何となく楽しい気分になってくる。
それに人がたくさんで先が見えないので、「この先はどうなっているのだろう」という好奇心が芽生える。
次に、四条河原町を北西に入った路地。
両手を伸ばせば届きそうな道の幅。
そこに所狭しと飲食店などが連なる。
実はこの右手に学生時代たまに飲んだ店(部の宴会がよく行われた場所)があったのだが、今はこぎれいな店に様変わりしている。
この道は例外的に曲がりくねっているのだが、それもあって余計にここも「この先どうなっているんだろう」という好奇心が芽生える。
このように京の街なかを歩くと、道路が車のためではなく、そのまちに住む人間にとって便利なように、楽しいように設計されていることに気がつく。
昔の人たちの設計だから、歩く人間が主役なのだ。
だから、景観が多少現代的に変わろうとも、歩いていて楽しいのかもしれない。
先ほどの続編。
今度は土壁について。
土壁のみに視点をあてて京都のまちを歩くのも面白い。
まず色が多様である。
漆喰の白い壁、黄色の土壁、浅黄色の土壁。黒い土壁…
建て主の美意識と個性がここにもふんだんに表れている。
そして芸が細かい。
さすが日本の都、職人の腕も最高峰が集結しているのであろう。
いつだったか左官屋の湯田さんも、左官工事の技能は「京都は最高だよ」と言っていた。
それでは、まちで見かけた土壁を幾つか紹介。
今回見つけた中で気に入った壁の一つ。
大小混ざった砂などが味を出しています。
また、板金に頼らない、こまやかな左官仕事による水切り。
微妙なふくらみが柔らかい印象を与えます。
少し灰色がかった土壁。
この写真は、上の板壁にも注目。
自然にできた(であろう)目透かしが、長い歴史を感じさせるとともに不思議な印象を与えます。
黄色いです。
黒いです。
街なかで見つけた土塀。
土塀に掘り込んで落書きとは、京都ならではです。
皆さんは絶対に真似しないように。
土壁のきずも、いくところまでいくと味があります。
(我が家の壁を見るよう…)
最後に、板壁がはがれたところから見え隠れする下地の土壁を発見。
昨日京都動物園を歩いても感じたことですが、京都の土は白っぽいようです。
ヨメの帰省のため、年に2〜3度は関西に行くのだが、その度に一日は一人京都に足を運んでいる。
毎回だいたいの方面は決めるものの、目的もなく、気の赴くままにぶらぶらと歩くことにしている。
今回は、三条〜四条の間、まさに街中を歩くことにした。
京都の街中だから、碁盤の目をジグザグに歩く。
京都の街中を歩くと気がつくことだが、そこに建っている古い建物はだいたいが、
・前面には細かい間隔の格子
・前面の壁は腰までが板壁、その上が左官壁
・妻側の壁は縦張りの板壁
・屋根には瓦
という構成。
それしかないといっても言い過ぎではないくらい定型化されている。
しかし、その定型化された建物の一つ一つをよく見ていくと、壁にせよ瓦にせよ一つ一つ微妙な差があることに気がつく。
その中で建物の持ち主は、自分の美意識と個性を表現している。
もしくは、時代ごとの流行が反映されているのかもしれない。
いずれにせよ建物の意匠の微妙な差を発見していくことは、街なかで宝探しをしているようで、本当に面白い。
デジタルカメラでそれらを採取して歩いていたら、あっという間に3時間が経っていた。
まずは京の瓦の世界を紹介。
軒先の意匠に注目してみる。
以下の写真は全て何百mも離れていないところで採取。
鎌の軒先。
鎌の軒先はどちらかというと細く緊張感のある印象を与えるが、ここでは漆喰の曲線の影響で柔らかい感じがする。
鎌の先に唐草模様が入っている。
唐草模様が入っていることで、こちらも柔らかい印象がある。
また、唐草模様が入っているということは、格式も高いのかな?
模様がたくさん入っている。
派手ですね。
この模様は家紋かな?
分厚い一文字の軒先。
重厚感がある。
格式の高い家柄なのだろうか。
一文字の変形。
(きっとこの形状に正式名称があるに違いない。)
この形状は初めて見た。
すっきりしてなおかつ柔らかい印象である。
同じく一文字の変形。
お寺さんの塀で採取。
一つ前の写真よりも角ばっていて、カチッとした印象である。
昨日から4月3日まで、子どもの春休みを利用して、また私の友人の結婚祝いへの出席を兼ねて、滋賀県にあるヨメの実家に滞在。
この日は、子どもといとこを京都動物園に連れて行くことにした。
滋賀県にあるヨメの実家から京都に入るのに、国道1号がどうも混んでいたので、山中越えを使うことにした。
そうすると、私が学生時代住んでいた下宿の近くを通ることになる。
めったにない機会なので、立ち寄ってみる。
古い建物だったし、あれから10年以上経っているのでどうなっているかと思ったが、全く変わっていないことに安堵する。
横に流れる白川のせせらぎの音の中で、しばしそこに佇みながら、当時の生活ぶりを思い出す。
10年以上前の時間旅行だ。
まさかここに子どもを連れて来ることになろうとは。
ここの住まいは、家賃が14,500円/月であった。
そしてその家賃は、毎月大家さんに手渡し。
毎月お金を渡しに行く度に、大家のおばあちゃんの昔話を聞いたものだ。
10年以上前のことだが、かなり珍しい家賃設定と送金方法。
そういえば、当時グランド通いのためにポンコツ車を持っていたが、その駐車場代が17,000円/月だったから、車のほうが「高級」なところに住んでいた。
仕送りは決して潤沢ではなく、しかし当時ラグビーに明け暮れ、十分にバイトなどできなかった私としては、とてもありがたい話であった。
しかも環境はというと、白川のせせらぎが聞こえてくるばかりで、とても閑静。
で、どんな住まいだったかというと、5.5畳(京間)の居室+0.5畳の押入、便所と炊事場は共同。洗濯機も共同。風呂はなし。エアコンはもちろんなし。
当時はこれで十分満足だったし、楽しかった。
風呂は京都のそこらじゅうにある銭湯を利用すればよかったし、むしろ毎日いろいろな風呂を楽しむことができたりした。
そして洗濯機が共同で使える、というのは隠れた長所だった。
こうした下宿の場合は通常コインランドリーに頼る必要があったからだ。
まあ、たまに大きな蜂が入ってくるのと、隣で何のテレビ番組を見ているのか分かるくらい隣と音が筒抜けだったのが難点だったが。
それでもかまわず、そこにみんな女の子やたまに地元から来る友だちを呼んでいた。
「お互い様」の世界だったし、本当に迷惑だと思ったら「うるさいで!」と言えばよかった。
狭いし、夏は暑いし、冬は寒いし(とくに京都は)、客観的に見たら現代日本の中では決して良い生活とはいえなかったであろう。
しかし「足るを知る」ことで幸福を感じ、その中で生活を豊かにしようとする術を学んだ。
そして共同で暮らすことの楽しさ、共有することの合理性を体験として得ることができた。
「住まうとは何なのか」
「幸せとは何なのか」
私は今、たてものやとしてこれらの問いを考え続ける日々だが、ここでの愉快な生活体験は、その解を得るうえでたくさんのヒントを与えてくれる。
下宿から南側を望む。
右は白川、その先にちょっとした桜並木がある。
東よりも西のほうが寒かったのか、まだ開花していない。
ピスカリアの玄関を入って右手に階段の上り口に、写真のとおり小さな壺が壁に掛かっている。
これは左官屋の湯田さんの仕事。
お店の壁の仕上げと同じ、土佐漆喰で作っていただいた。
素材といい、容姿といい、湯田さんのセンスがここに凝縮されている。
壁と同じ素材なので、こうして壁に掛けるとよく合うし、空間がしまる。
今日は、朝は湯田さんの子どものように笑い合う一面、そして夜はこうして現場で近寄りがたいほど真剣な眼差しでコテを握る姿を髣髴とさせる仕事を見た。
湯田さん、平成17年度厚生労働大臣の名工受章者(卓越技能者)である。
昨日刻んだ藁と粘土を、耕運機でよく混ぜる。
それを「保存箱」に入れ、水をたっぷりと入れてよく撹拌する。
耕運機があるのでまだましだが、何しろ粘土が6立米ある。
スコップで鉄板の上に移動し、そこで藁と混ぜる作業をするのだが、スコップを動かしても動かしても、減った気がしない。
「特盛ジャンボラーメン」に手を付け始める、幸せとともに途方にくれるあの気分だ。
私も少し時間があったので、少しでも足しになればと思って一緒にスコップを手にし、粘土の山を崩す。
こりゃたいへんだ。
自ずと左官屋の湯田さんたちとたわいもない会話が生まれる。
「こんな‘楽しい’こと、大勢でやるべきだよなあ!」と、お互い子どものような笑いを浮かべて、そんなことを言いあっていた。
というわけで皆さん、荒壁土作りたい人は是非!
あ、明日あたりには終わっているか。