終炎
足かけ約7ヵ月続いたエコヴィレッジの焼杉作業も、本日をもっておしまいとなりました。
「おしまいの日」が3日続きましたが、今日で本当におしまいとなりそうです。
あまりに長かった期間のためか、未だ実感がわきません。
ところで今日はスギで「焼き柱」を作ってみました。
これがとてもいい!のです。
今度柿渋塗りの変わりに、どこかの設計で使おうかな。
【終炎(しゅうえん)】
→辞書には載っていませんでした。
N邸の外壁の足元の水切り。
ガルバニウム鋼板で作っております。
外壁が長いので、どこかで重ねて継ぐ必要があります。
重ねるということは、どちらかが上でどちらかが下になるわけですが、例えば左を上に重ねた場合、左側からみるとその継ぎ手はほとんど気になりません。
一方、同じ部分を右側から見ると、薄い金属の板ではありますがその小口が見えるため、
「あ、継いでいるな」ということが分かります。
そこで板金屋の鈴木さん。
よく見るであろう方向から見たとき継ぎ手が気にならないように重ねる向きを決めていただいています。
鈴木さんから提案があったとき、「なるほどな」と思いました。
こうした職人さんの気遣いと心がけ、とてもうれしいですね。
巾二寸三分の話ではありますが、こうした積み重ねが、よい家へとつながるのです。
小林保さんの家を後にした木の建築塾の一行は、藤岡にある共和建材の五十嵐さんのところに行きました。
五十嵐さんは、この場でもたびたび紹介させていただいていますが、昔ながらの「達磨窯」で一人燻し瓦を焼いている方です。
世間の大半の瓦が、釉薬を塗られガス窯の中で、同じ商品、どれも均一に生産される中で、この「達磨窯」で瓦を焼いている方は、日本全国見渡しても、ここを含めてもう2ヵ所しかありません。
私はその希少性だけではなく、自然にできる瓦の色むらと風合い、驚くほどの調湿効果とそれがもたらす耐久性、そして五十嵐さんの人柄に惹かれて、この瓦を使い続けさせていただいております。
「木の建築塾」を通じて、またここに来ることができてうれしい!
さて五十嵐さんの案内で、粘土に始まり瓦ができるまでの過程を一通り説明していただきました。
一枚一枚、手でこしらえる瓦の生板。
天日乾燥するときの土の収縮を読んで、瓦の生板を手でたたいて少し反らせます。
瓦をたたく手は、神のみぞ知る世界です。
家一軒で最低でも千枚以上は瓦を使いますが、これを一枚一枚やるのだから、驚きです。
後ろが瓦の生板。
手前が、天日乾燥させた板。
だいぶ収縮しますね。
また、生板の反りが天日乾燥によってほぼ真っ直ぐになっている様子がうかがえます。
これが達磨窯。
正面から見ると、達磨が座禅を組んでいるように見えるから、その名がついています。
これ自体、形の美しい芸術品ですね。
これに天日乾燥させた瓦を約千枚入れ、窯の両脇から薪をくべて、約千度の温度で瓦を焼きます。
1回につき薪を4t車に載る約半分の量使います。
その量を、何日間もかけて朝早くから熱い熱い窯の近くで一人でくべるのだから、本当に頭が下がります。
窯の中の様子。
天日乾燥した瓦を、窯の中に5段重ねて置きます。
その数約千。
窯の中の位置によって、微妙な色むらができるのです。
・・・・・
ここに来るたびに感嘆。
そして本日、五十嵐さんから思いがけない贈り物。
できることならばこの瓦でまちを覆いつくしたいと思うほど、提案し続け、使い続けていきたい瓦です。
望ム!後継者!
10/20、21と、今年度の木の建築塾の第二回目。
「現場を見よう」という今回の木の建築塾のお題のもと、瓦を巡って様々なしかけをしている「屋根舞台」の活動を見に行こうということで、今回は群馬県に行ってまいりました。
今回の案内人の一人は、「屋根舞台」世話人の小林保さん。
前回の案内人の一人は私なので、「タモツ」続きですね。
小林さんが「タモっちゃん」と呼ばれていると、私まで振り向いてしまいます。
さて私は遅れて到着したので、その小林保さんの家から合流。
その家は瓦屋である小林さんが設計されたようなのですが、瓦屋の域を超えてますね。
それとも、瓦を巡って家づくりの現場を知り尽くしているからなのでしょうか。
中も外も、木と土と光、そして瓦が見事に表現された。とてもよい感性の家です。
大きなうだつのある家。
これが家の中まで差し込まれ、中の空間を分節しています。
朝日に映える「離れ瓦」が美しい。
敷き瓦を裏向きに一面貼り付けた壁。
光の当たり方で様々な表情を見せます。
雪止瓦の型抜きした形を焼き、庭の舗装材として活用。
平に使ったり、横向けに使ったり、縦向きに使ったり。
普通なら使われない形をうまく使う、瓦屋さんならではの発想です。
これはいい!
剥離窯変した尺角の敷き瓦。
この色むらがよいですね。
唯一無二。
同じものなど二つとないのです。
自然界の本来の姿。
それをどうやってうまく使うか、ですね。
今回つくづく、木の建築塾等を通じて、日々自分の仕事に追われるだけではなく、他の方々のよい仕事に直接触れる機会はよいものだな、と感じました。
この家も雑誌等では拝見していましたが、やはり五感で感じる空間と空気は、伝わってくるものが違います。
また、今まで自分の‘引き出し’にはなかったよい空間に触れることで、改めて自分の創作意欲をかきたてられます。
これからも、時間の許す限り、生の空間を体感しに行こう。
NPOの会議で山梨のみずがきランドに足を運びました。
この地域で採れる材料で作った土壁小屋ですが、ここのところ晴天続きとのことで、良い感じで土が乾いていました。
ここで面白い試みを発見!
小川程度の水の流れを利用して電気を作ろう、というものです。
これ、まちの道路の下に流れている下水管や雨水管などで使えんかなあ。
いずれにせよ、安全性に配慮しつつ、エネルギーが身近なところで自給できるとよいですね。
東京へ出る用事があったので、先日の‘木に囲まれた音楽会’で知り合った方の下へ、ピアノを見に行きました。
‘木に囲まれた音楽会’に触発されたこともあり、ここのところ本物のピアノが家にあるといいなあ、と思っているのですが、この方は江戸川橋にあるピアノパッサージュというお店で「本物」のピアノを商っているのです。
いろいろ試し弾きさせていただきましたが、やはり本物のピアノはよい!
やはり電子ピアノとは比べ物になりません。
そして発する音の響きといい、指先の感覚といい、ピアノの上に置いてある値札の金額に比例するような気がします。
よいピアノは適度に古くて空気に馴染んでおり、また使っている素材も、一般的な無垢の木の家具と同様に化学系の塗装が施されてはいますが、ちゃんと広葉樹の無垢板です。
仕上げが木目調なので、家の内装にも合いそうです。
一方で、よく見かける安くて黒いピアノは、随所に合板やプラスティックが使われていることを知りました。
むしろ、音よりも価格を合理化するためにそのような素材を使っているとのことです。
家もそうですが、現代の普及品の宿命なのでしょうか。
それにしても、やはり本物の木の響きは、違います。
極めつけは、これが2〜3台分で家が一軒建ってしまいそうなほどの値段を付けていた、百数十年以上前のスタインウェイのピアノ(写真)。
恐る恐る、指一本で一つの鍵盤を鳴らしてみましたが、
おおっ、何という響き!
魂を揺さぶられるような、幻想的な響きを発します。
ピアノの価値は、音の響き。
その価値が金額として素直に表現されているようですね。
さて、これからどうするかは、これから考えよう。