2007年9月4日
今日は、
神奈川の森や木に関して
相談すべく、
厚木のほうへ行ってきました。
その中で耳に残ったのが、
木が「高齢化社会」を迎えている、
ということ。
つまり、
せっかく植えた木が
ぜんぜん使われないので、
新たに木を植えることができず、
また、
若い木に対して手入れがなされないので、
彼らが‘おとな’になる頃、
使える木が今よりとても少なくなってしまう、
と、そういうことらしいのです。
じいさんたちが植えた木を使い、
孫の代のために、
私たちが森を育てるという、
三世代にわたる森の循環。
木を使うということは、
気が遠くなるほど長い長い年月の、
循環の恵みをいただくことなのですね。
この循環が今、
途絶えようとしているのです。
これは先日うかがった、
飯能の岡部さんも、
同じことを仰っておりました。
戦後、目の前のことに必死だった、
必死にならなければならなかった時代から
一つ階段を上がり、
食も住まいも着るものも、
遠い世代を想い、
そして今、何をなすべきかを
考えなければならない時代に
来ているということを、
改めて感じました。
その中でも、
森に触れ、木に触れるということは、
遠い世代、長い時間を
想うきっかけになり得ます。
木の建築を設計するという、
森とまち、木と人の橋渡しする立場として、
家づくりを契機に、
いや家づくりという、
一生に一度きりのことではなくても、
身近なところ、日々の生活の中で、
森に触れ、木に触れる機会を
提案していきたいと思います。