生の声を聞くこと
生の声を通じて得たことは、
身に沁みる。
昨日、それを実感しました。
車椅子の通行路の話。
私たちは、
車椅子を使う人が通れるように、
できるだけ段差がないように設計します。
高低差がある場合は、
それを斜路によって、
解決しようとします。
かといって、
それが解決策の全てかというと、
そうでもない。
実は長い長い斜路を作るより、
車椅子が昇れる程度の段を随所に作ってもいいから、
できるだけ平らな部分を作ってくれたほうが、
通行が楽、という話を、
昨日現地を目の前にして、
いただきました。
ああ、なるほど、
と思いました。
私も昔、
車椅子生活を
体験したことがあるのですが、
斜路って確かに、
昇るのにものすごく手の力が要る。
そして下るとき、
下る速度が加速するので、
けっこう怖い。
だから余計に、
その話に共感を覚えるのでした。
人間には、
言葉があります。
言葉によって、
今を生きる人たち、
そして昔の人たちが体験してきたことを、
私たちは感じることができます。
しかし同じ言葉でも、
生の声と、
活字の情報とでは、
感度が違う。
できるだけ野に出て、
生の声を聞く。
この大切さは、
幾ら情報手段が発達しようとも、
変わらないのだと、思います。