南無のうた
先日葉山でともに
楽しい時間を過ごした
南無さんのCD,‘輪郭’。
とてもいいです。
アコギと
パーカッションという
シンプルな構成なので、
耳に優しく、
仕事中のBGMにいいし、
一方、
ゆっくり聴きこむと、
歌い手のMarさんの書く
抒情詩の言葉
一つ一つを
かみしめた歌が、
身体に沁みます。
そういえば、
毎日のようにボクは、
隣の部屋で
祖母や母が
呪文のように唱える、
‘南無’ではじまる
お経を聞いて、
育ちました。
先日の日記の続きです。
誰しもが多かれ少なかれ、
美しい街並みのまちに
住みたいと思っているであろうのに、
今の日本の街並みが
(私にとって)
美しくなるどころか、
醜くなっていくのは、
なぜなのだろう、
今ここそこで
作られている風景は、
本当に皆が心から、
求めていたものなのでしょうか、
もしそうでないとしたら、
なぜそうした風景が
作られ続けているのか、
その原因は、
まちなみけんさんの
おっしゃるとおり、
風景の一粒一粒を
作る側の「心」の問題が
大きいと思います。
それぞれのまちの中には
風景を何とかしようと
考える人たちがいるのに、
なぜその心が
つながっていかないのか、
あるいは、
その心をつなげていくには
どうしたらいいのかを
考えていきたいと思います。
一方、
今私がたどり着きつつある解の一つは、
それも元をたどれば、
「心」の問題になろうかと思うのですが、
場所への想い、
あるいは関わりが希薄なのに、
縄張り意識は強いという、
日本人の土地に対する意識、
そして、
そうした意識の上に立つ
住まう場所を提供するしくみや制度が
日本の風景を
貧しくさせているのではないか、
ということです。
心の問題、土地の問題、
いずれもそれらを今すぐ
根っこから変えていこうと思うと
あまりに大きすぎる話で
途方に暮れてしまうのですが、
とはいえやはり、
一つ一つ、
心のこもった風景の一粒を
しっかりと作り続けるとともに、
その根っことなる部分を
何とかしていきたい、
常にその想いを心の片隅に置き、
その方法論を
探っていきたいと思うのです。
まず私たちにできることは、
自分の住むまちからですね、
同じ鎌倉に住む
まちなみけんさん、
これからもよろしくお願いします。