ブログ
2011年12月6日

階段は硝子の箱

カテゴリー: 葉山と邸

三階の屋上まで続く階段室は、
四層分の‘硝子の箱’です。

硝子の箱は、
夜景が美しい。

しかしここの光景は、
木組みと土壁による
伝統工法には見えませんなあ(笑)。

洗面台の骨格

カテゴリー: 鎌倉手広た邸

ヒノキによる
洗面台の骨格が
できあがりました。

これに洗面ボウルが入り、
棚板が入り、
鏡が入って、
できあがりとなります。

家具二点

カテゴリー: 葉山と邸

スギの造作家具を
木組みの中に
嵌め込みました。

割と廉価な家具ですが、
柿渋色を施したので、
スギの‘うるさい’感じが消え、
落ち着いた雰囲気の
家具になりました。

ナラと鉄の食卓。

野趣溢れる形状の
厚いナラの天板に、

至極シンプルな
鉄の四本脚を
付けただけです。

作り方がシンプルですので、
存在感の割に、
製作費はお手頃です。

2011年12月5日

休憩は海で

カテゴリー: 今日のできごと

今日は昼過ぎと夕方、
休憩は海で。

僅か数分の滞在でしたが、
やはり海は、
すっきりと疲れを
洗い流してくれます。

今日で大工はおしまい

カテゴリー: 葉山と邸

今日大工は、
階段の手摺を付けたり、
残りの板を貼ったり、
補修したりと、
細々とした作業で
現場の中を
夜遅くまで奔走、

そしてついに仕事が
一通り終わり、
今日で現場を
離れることとなりました。

まだ若干、
他の工事が残っていますが、
明日いよいよ引き渡し。

充実感と寂しさが
交錯する時です。

2011年12月4日

新旧‘JAPAN’の木組み

カテゴリー: 葉山と邸

家の中に入ると、
一番目立つところに
手のひらを広げた程度の太さの
クリの柱が立っています。

それ以外の柱・梁は、
2本の例外を除き、
ほとんどが柿渋を塗ったスギ。

クリは縄文文化が花咲いていた頃、
落葉広葉樹林で覆われた日本で、
建築用材として最も使われた木、

そして時代が遡り、
農耕文化が始まると、
建築用材の主流はスギへ。

実は例外のうち、
1本はクリの梁なのですが、

この家の木組みは、
縄文のクリと、
弥生以降のスギという、

時代を超えた‘日本代表’の
木によるものです。

ところで、
こうして太古の昔に
思いを馳せてみたものの、
当時はノコギリもなければ、
カンナもない。

基本的には石を道具に
建築を作っていたわけで、
その労力は、
想像を絶するものだったと
推測されます。

だからこそ
一本一本を大事に
使ったのでしょうね。

時代で比較すると、
こうした感謝の気持ちに
気づいたりもします。

2011年12月3日

ペダル漕いで仕事は夢なのか

カテゴリー: 今日のできごと

競輪選手になる夢、
ではありません。

少しでも
自分で使う電気をまかなう装置として、
自転車発電機がいいなー、
と思って探してみたら、

販売しているところ
あるようですね。

興味津々です。

昔の足踏みミシンのように、
足元でペダルを漕ぎながら、
パソコンの文字を叩く、

それが私の夢の一つです(笑)。

光が招く階段

カテゴリー: 葉山と邸

光に照らされた
階段の漆喰の壁が明るいので、

虫のように明るいほうへと
吸い寄せられ、

自然と階段に
足が向かうのです。

2011年12月2日

誰がための環境問題

カテゴリー: 今日のできごと

私たちの文化と
それを取り巻く環境は関係が深い、
と常々思っていましたが、

最近読んだ著書「環境考古学事始(安田喜憲著)」で、
それを確信しました。

いや環境が文化を作る、
といってもいいかもしれません。

例えば私たち日本人は、
とかく東日本と西日本に分けて、
文化の対立軸を設けようとしますが、

それは何万年も前から、
東日本と西日本で
森の相が違っていたこと、

氷河期や温暖期を迎えても、
その構図はあまり変わらず、

その中でそれぞれの時代の
森の相に即した生活文化を
作り出していたことによる
歴史の必然だったようです。

しかも東日本と西日本の境界線が、
太古の昔も静岡県の大井川だったという話は、
たいへん興味深かったです。

調査によると大井川は、
気候や地形も手伝って、
森の相の変位点だったようですね。

縄文時代には、
その西方が照葉樹林、
その東方が広葉落葉樹林、
そして大井川周辺は、
スギ林で覆われていたようです。

現在もその地域は
天竜をはじめとして
スギの産地ですが、

この時代からとなると
感慨深いものがあります。

またもう一つ、
その著書のたいへん興味深い指摘として、

農耕は森林の破壊に
他ならないということ、

それが西洋では農耕に家畜を伴い、
また比較的乾燥した気候のために
農耕が一方的な森林の消滅を招き、

だからこそ
森林「保護」という思想が生まれたのに対し、

日本では農耕が平地で行われ、
その周辺部に「里山」という
人間の生活、人間の文化を支えてきた
「共生」の森が人の手によって作られ、
しかも数千年もの間、
維持されてきたという点です。

現代日本では、
とくに高度成長期以降、
この里山が消滅の一途をたどり、
日本史以来初めてのできごとに
危機感を覚えて、

皮肉なことに、
西洋の「森林保護」の思想を
輸入せざるを得ませんでした。

しかし残念ながら、
私たちの支えであった里山は、
さらに壊され、放置され、
放射能に侵されて、
ますます危機を迎えています。

環境が、森が
私たちの文化を形作るのだとすれば、
今の状況が続けば、
それに伴って私たちの文化は
どうなってしまうのでしょうか。

今の環境は今の私たちの文化を
支え続けてくれるのでしょうか。

そう考えると環境問題は、
地球にやさしいかやさしくないか、
という問題ではなく、
私たちがこの地球上で
生き続けることができるかどうか、
他ならぬ私たち自身の
問題と言えそうです。