コウヤマキの腰掛
手広た邸の玄関の脇に、
腰掛があります。
腰掛の下には、
足固めが入っているのですが、
それを利用して、
玄関先で友だちたちと
茶飲み話でもする時にあればと思い、
座れるように板を取り付けました。
板の樹種は、
耳付のコウヤマキ。
なかなか手に入らない木ですが、
ご縁でこの場所に来ました。
香りのいい木なので、
玄関先で香りを
楽しんでいただければと
思います。
昨日の建前は、
人数が少なかったこともあり、
私も地下足袋履いてお手伝い。
そして無事昼前に上棟。
午後はゆっくりするかな、
と思っていたのですが、
駐車スペース確保のために
泥箱を小さくするか、
という話が持ち上がり、
そこからがさあ大変。
大工衆が屋起こししている間、
言いだしっぺの大工Kさんと、
見学しに来たはずなのに
なぜか手伝うはめになった
鎌倉か邸の‘か’さん、
そして私とで、
泥まみれになりながら悪戦苦闘。
最後は全員を巻き込んで、
ぎりぎり日暮れ前までに
泥箱の移動に成功しました。
上棟の日に泥まみれになるのは初めて、
「なんでやねん」とか言いながら
作業しましたが、
正直に申し上げれば楽しかったし、
いい思い出になりました(笑)。
しかし夜の上棟祝いは、
水洗いして濡れた服を
そのまま来ていたので、
寒かったー。
終わった後、銭湯に直行しました。
建前が始まる朝。
これから立ち上がる
静かなワクワク感が、
現場に満ち溢れます。
職人が刻む木組みの建前は、
カケヤで響く音がサイコー!です。
きらくなたてものやの
もはや恒例、
最後の棟木を
建主自ら叩いていただきました。
朝は小雨が
パラついていたのですが、
上棟した昼には、
雲の合間から、
青空が覗いていました。
ああ、美しい空。
上棟直後。
足場に座り込む職人たちから
安堵の心持ちが伺えます。
日が暮れると、
現場に紅白の幕を巻いて、
上棟のお祝い。
今回は建主さんが料理人を
現場に連れて来てくださり、
その場で料理を
振舞ってくださいました。
お味はもちろんのこと、
盛付も華やかで、
よりお祝い気分が
盛り上がりました。
ありがとうございました!
なお料理人の方は、
近々横須賀の秋谷で
お店を出す予定とのことです。
ぜひ伺いたいですねー。
建前といえば、
仲間の大工や、
棟梁と縁のある大工が
集結するわけですが、
きらくなたてものやの場合、
もう一人欠かせぬ人がいます。
それは森田水工の森田さん。
屋号の通り、水道屋です。
「森田水工」といえば、
この場でご記憶にある方も
いらっしゃるかと思いますが、
彼が屋外の配管工事を行う場合、
必ず雨が降るという人です。
しかし建前の時は、
雨が降らないので、
助かります。
もしかしたら「水道屋」らしく、
念力で水の道を
開けたり閉めたり
できるのかもしれません(笑)。
冗談はさておき、
彼は建前となると、
大工衆に混じって、
ひょっとしたら大工よりもたくさん
カケヤを振っているかもしれません。
雨の中穴掘って仕事しているので、
足腰ができているからでしょう。
また技術だけではなく、
持ち前の明るさで、
現場がより賑やかに、
楽しい雰囲気になるのも
ありがたいことです。
そうなれば、
コミュニケーションも
円滑になりますからね。
だからこそ、
声がかかり続けるのだと
思います。
※左が森田さん
今晩、神奈川公会堂で行われた
横浜しんさい市民ミュージカル
トキノキズナを観てきました。
友人が振付、
またその娘さんが出演するご縁で
観る機会をいただいたのですが、
歴史とは何か、
今を生きるとは何かを
考えさせてくれる内容で、
多くの皆さんに
観ていただければと思いました。
過去の精一杯の上に、
私たちの今がある。
だからこそ
伝統工法という手段に
活路を見出しているのですが、
伝統工法に取り組んでいると、
昔はよかった、と思いがちだし、
社会の仕組みも、
昔は循環型社会でよかった、
という声を聞くこともあります。
しかし昔は昔で
たいへんな時代で、
当時のなまなましい現実に
目を向けると、
決して「楽園」では
なかったと思います。
私が伝統工法に取り組むうえで
心がけているのは、
過去の経験や知識は、
今を生きる上で
たくさんのヒントを与えてくれるけど、
その再現を目的化してしまうと、
今を、未来を
見失ってしまうことがある
ということ。
つまり「伝統」は、
今を心地よく暮らすための
手段の一つであって、
決して目的ではない、
ということです。
あくまでも
大事なのは、今。
一方、
これは問題ではないか
と感じる事象が、
建築でも社会全体でも
あるわけですが、
しかしその存在には
必ず理由があります。
その存在を
やみくもに批判せず、
過去、なぜそれが産み出されたのか、
その背景に思いを馳せることにより、
今を、未来を、
考えるという姿勢が
大切なのではないかと
思うのです。
単なる批判だけでは、
決して物事が前に進むとは
思えないからです。
このように、
ミュージカルを観終わった後、
過去と今、過去と未来の
つながりを思いながら、
夜家路についたのでした。