草原の上に立つ黒壁
二宮し邸にて。
草原の上に立つ、
黒壁の家。
スギ板にこの黒色を
色付けする仕事も、
建主さんの手によるものです。
また焼杉にしても、
柿渋コートにしても、
自然な風合いの黒色は
緑が映えるので、
好きです。
気がつけばきらくなたてものやは、
最近外壁をこの仕上げとすることが
多いですね。
今後の外構工事により、
更に緑が深まる様子が
楽しみです。
撮影:畑拓
町田か邸にて。
今日は現場に大工三人の他、
群馬藤岡から五十嵐さん、
屋根屋二人、
それと水道屋一人と、
たいへん大賑わいの日でした。
その中でも
水道屋の森田さんは、
この場でもたまに登場しますが、
今日のような配管工事は、
デザインとして現れることが
ほとんどないということもあり、
世間一般にも
あまり光が当たることは
ありませんね。
しかし配管工事も、
先ほどの瓦の記事ではないですが、
家の「下地」として
とても大事なこと。
その中で森田さんは、
そのことをよく考えて、
仕事をしてくれています。
また、
給水、給湯管に使う素材は、
基本的にステンレス。
使う水やお湯の安全性や
配管の耐久性を
考えてのことです。
皆さんも家を作る時、
今後の修繕のことを考えれば、
まだ床が貼られていない状態で
配管の様子を知っておくと、
いいかもしれません。
町田か邸にて。
朝現場に着くと、
群馬藤岡の五十嵐さんと遭遇。
そう、達磨窯で焼いた燻し瓦が
現場に運び込まれていました。
そして早速
屋根屋の金子さんが
屋根に運び上げ、
瓦を葺く準備を整えています。
瓦を揚げる前に
まず縦方向に
厚さ7㎜の流れ桟を打ち、
次に横方向に
厚さ18㎜の瓦桟を打ち、
それが瓦を葺く下地となり、
その瓦残に
揚げた瓦の束を
引っ掛けていました。
だいぶ前にも
書かさせていただいたのですが、
この格子状に並んだ瓦の下地を見ると、
水気に晒される可能性のある瓦桟等は、
外国の木を使うと腐りやすいけど、
国産のスギは、そうそう腐らないね、
と、当時の屋根屋さんが屋根の上で
つぶやいていたのを思い出します。
ついでに申せば、
屋根が傷むのは、
たいていは下地から。
今の屋根は通気することを
考えていないので、
長年の間蒸れて、
下地のコンパネ等が傷んでいく、
という話も、
屋根の仕事をする人たちから
よく聞かされます。
見えないところの材の選定、
また「こもらない」下地をどう作るかが
いかに大事か、ということですね。
ということで、
あと一週間もすれば、
五十嵐さんの焼いた
美しい燻し銀の波を
楽しむことができる予定です。
町田か邸にて。
午前の休憩中、
めずらしい道具を見つけて
興味津々の「そ」ちゃん、
その道具とは
面取りカンナだったのですが、
やさしい大工たちの
ススメと手ほどきで、
木っ端に道具を
あててみることにしました。
お母さんが手を添えて、
しゅるしゅるっと削れると、
とてもうれしそうな顔。
せっかくならもっと練習して、
本当に使う材料も
面を削ってもらおうかな。
遠い遠い将来、
自分が削った面を見て
当時のことを憶えててくれたら、
私もうれしいです。
そして休憩時間が終わり、
職人たちが働き始めると、
現場にシャボン玉が
舞い始めました。
すると職人の顔がほころび、
現場が和やかな雰囲気に
包まれました。
ついこの前も書きましたが、
これもれっきとした
子どもの「仕事」です。
実は先週のことだったのですが、
町田か邸の現場に行くと、
どこかで見覚えのある
活きのいい男が、
仕事をしていました。
彼の名は石山友太。
調べてみたら、
現場で会うのは約4年半ぶり。
もうそんなに経つのか、
という感じです。
当時二十代前半だった彼は、
きらくなたてものやとともに歩む大工、
藤間さんの弟子として
働いていましたが、
思うところあって
色々な職場を渡り歩いた末、
今度は杏工匠の一員として、
(彼も藤間さんの元弟子)
再び私たちの仲間に加わりました。
こうして帰ってきてくれることは、
とてもうれしいですね。
しかも二児の父という
立場として。
相変わらず彼がいると
現場が賑やかですが、
すがすがしい、
気持ちのよい男です。
改めて私たちの仲間として、
よろしくお願いいたします。