「土のサンドウィッチ」の使いみち
横浜あ邸にて。
先日この場でクイズを出した、
「土のサンドウィッチ」の使いみち。
母屋と垂木とつなぎ梁に挟まれた
小さい三角形の部分に納めるものです。
横浜あ邸にて。
先日この場でクイズを出した、
「土のサンドウィッチ」の使いみち。
母屋と垂木とつなぎ梁に挟まれた
小さい三角形の部分に納めるものです。
横浜あ邸にて。
ここは産業廃棄物になる石膏ボードは
ほとんど使わない現場。
外周と1階の壁は竹小舞下地の土壁、
2階間仕切りは、木ずりの下地です。
竹小舞同様、
木ずりもこのままでいいかも(笑)。
産廃も大事、美も大事。
ここ最近開催している
エネルギーカフェなどでの
皆さんとの話し合いを通じて、
ぜひ取り組んでみたい
夢を持つようになりました。
それは地域の「エネルギー」を集めて、
「みんなのきち」を作ること。
以前ワークショップ形式で
木と土でできた
いわゆる伝統工法による小屋を
幾つか作ってきましたが、
そのように、
仲間たちが数万円と労力を
拠出し合い、
決して広くなくてよいから、
心豊かな厨房と食卓を
木で作り、
心豊かなお風呂を
木で作ったりして、
週に一、二度、
その空間をみんなで楽しむ。
この生活が楽しいことは、
大学時代の下宿生活で経験済み、
それをもう少し
きちんとした仕組みの中で
運用することで、
楽しさを生むだけではなく、
エネルギーの使用量を減らし、
廃棄物の量を減らし、
そして再生可能なエネルギーや、
循環可能な資源を活用することにより、
社会性を帯びた取り組みに
できればと考えています。
生きるエネルギーを集め、
エネルギーを共同利用して
明日を生きるエネルギーを
産み出す「みんなのきち」。
例えば先日の鎌倉路地フェスタ、
「鎌倉エネルギーカフェ&きらくなたてものや展」でも出展した、
四寸角百本による↓のような小屋を
作りたいのですが、
鎌倉でいい場所ないかなあ。
すみません。
恋愛話や夫婦論ではありません(笑)。
先日5月1日、
鎌倉長谷の一花屋さんで行われた、
〜あるものいかす電6生活楽校・ニッポン再発見ツアー〜
「『できた!電気代600円生活』 人力スライドトーク」
という催しに参加してきました。
申し訳ないことに仕事の都合で
大幅に遅れてまいりましたので、
話の流れに乗ろうと耳を立てていた矢先、
聴衆の間で回覧されていた幾つかの雑誌が
私の手元に回ってきました。
なにぶん話を聞くのが途中からで
どのような話の文脈で
それが回ってきたのかは
よく分からなかったのですが、
とにかく私は、
その雑誌の記事に
釘づけになりました。
その紙面で私が目にしたのは、
私たちが普段よく使う家電製品などの
廃棄物でまみれた南国のスラム街。
かつて日本が
富国強兵策のもと
各地で繰り広げられたであろう
厳しい労働条件のもと
工場で働く隣国の工員たち。
カカオ農園でこき使われる
南国の子どもたち。
私達がのうのうと
暮らしている向こうでは、
相も変わらず
社会の様々なひずみが
生じているということに、
頭が揺さぶられた思いでした。
今の世の中ってなんだろ、
「グローバル」という名のもとに
世界中の甘美なものを、世界中で奪い合い、
世界中のいやなものを、世界中で押し付け合い、
弱肉強食が生きものの掟とはいえ、
同じ人間として、どうなんだろう?
この惨状をすぐには
解決できないかもしれませんが、
私たちは目の前にあるものが
誰が作ってどこからやってきて、
そしてそれを使い終わったら、
これはどこへ行くんだろう?という
ものが辿る物語に対して
どの分野においても
強く関心を持つ必要を感じました。
そしてモノに溢れたこの時代、
私たちに本当に必要なものは何なのか、
これから私たちが
手に入れようとするモノに対して
長い間愛し続ける物語を
描くことがができるだろうか、
そのことを
より深く自問する意識が
必要のように思います。
もちろん私が携わる
住まいの世界も、
現代の住まいづくりは、
作る時も壊す時も、
下地材からも仕上材からも、
土に還らない、
あるいは還すことのできない
たくさんの廃棄物が
出てきます。
廃棄物への
関心を持ちつつ、
愛に溢れた物語を、
提案し続けて
いきたいと思います。
今日は立夏。
大好きな夏が始まりました。
立夏といえば、
二十四節気の一つ。
一、二、三…、で示される暦は、
数えやすくて便利かもしれませんが、
こうして宇宙を意識し、
言葉で表現する暦も
大事にしたいですね。
さて、
暦の話に触れたついでに、
少し暦と私が携わる建築の話を
しようと思います。
かつて建築と暦は、
とても縁の深いものだったと
思われます。
今でも地鎮祭や契約の日は、
なるべく大安の日など、
縁起のよい日を
厳選する傾向がありますね。
しかし建築が、
とりわけ住宅が
あっという間に建ってしまう
この時代、
暦との関係は、
以前に比べて
希薄になりました。
それは工期が短くて、
そんなこと考えている余裕がない!
ということもあると思いますが、
それに加え、
今の建築に使う素材のほとんどが、
‘生命’を感じるものではなくなった、
ということも
少なからず関係していると思います。
一方で、
かつて私たちが暮らす
風土で育まれた建築は、
木や土や竹といった
‘生命’ある素材で
作られていました。
そのため、
例えば木や竹といった植物は、
秋冬の生命活動が静かな季節、
しかもできれば、
下弦の月から新月の間までという
月の暦も加味して、
生命をいただく日を決めました。
そしてこれから数十年以上続く、
新たな生き方の「慣らし運転」として、
伐ってから使うまでに
一定期間以上の時間も必要です。
また生命の源の一つである
土に目を向けてみると、
季節の変わり目である「土用」の時期に、
土を掘り起こすことは、
できるだけ避けるようにしてきました。
さらに壁に塗る土は、
凍結の恐れのある
厳寒期に塗ることは、
ご法度です。
このように、
生命をいただくにあたっては、
それを活かすのに
相応しい季節というものがあって、
それを踏まえると、
何時頃工事を始めて、
何時頃上棟したほうがよい、とか、
それほど厳密ではないにしても、
「建築の歳時記」というものが
見えてくるような気がします。
だから先人たちは、
建築という祭の儀式の日取りの吉凶を
暦の中で詳しく定めたのだと思います。
そしてこの
「歳時記」への意識。
建築だけではなく、
暮らしのどの分野においても、
四季豊かなこの日本において、
四季を楽しむ、暦を楽しむ、
四季と対話する、暦と対話する、
これが結果的に
暮らしの合理性を生み、
暮らしの中で使うエネルギーを減らすことに
つながるのではないかと考えています。
これもエネルギーカフェを通じて
学ばせていただいたことの一つです。
本日立夏。
今年立春の日に、
きらくなたてものやのブログは、
新たなページを立ち上げました。
理由は、
今日から新たな家づくりの物語が
始まったのですが、
このブログ記事の「カテゴリー」が
いっぱいになってしまったからです。
「カテゴリー」がいっぱいになるということは、
ご支援いただいた皆さまのおかげです。
引き続き、
新たなブログページ
「きらくなたてものや2」でも、
よろしくお願いいたします。
なお、
カテゴリーの関係上、
こちらのブログも
書き込むことがあると思いますので、
しばらくは両方を
よろしくお願いいたします。
ゴールデンウィークの鎌倉は
すごい人です。
私はまちなかを
自転車で移動していましたが、
車がピクリとも動かない道も多々ありました。
この時期は、
車で鎌倉に来るもんじゃありません。
そんな中、私たちはフツーに仕事。
土曜日ですからね(笑)。
鎌倉大町ほ邸では、
土間廻りの木組みが差し替えられ、
建物を仮に支えていたサポートが取れて、
だいぶすっきりした印象になりました。
それにしても、
安養院さんのツツジがきれいだなあ。