木格子屋根?
横浜す邸にて。
屋根に木の格子が
取り付けられていきました。
これで仕上げでいいと思うほど、
いい感じはありますが、
これは瓦を葺くための
下地です。
昔は土で葺きましたが、
軽量化のため、
今はこれを下地に
瓦を引っ掛けていきます。
連日の報道で、
「ヤジ」が取り沙汰
されています。
大事なことを
話し合ったり、
決めたりするところで
そんな言葉を聞くとは、
まさかあるまい、
といったような
中身だったようです。
その中身も
さることながら、
大事なことを
話し合ったり
決めたりするところで
そもそも「ヤジ」は
必要なのでしょうか。
私はものづくりを
生業としております。
ものづくりで
生きていくためには、
それを人から頼まれ、
それを喜んでくれる人がいて
成り立つのですが、
そこで私が
相手に喜んでもらうために
いちばん、と言っていいほど
心がけていることは、
頼んでくれた人の話を
「聞く」ということです。
「家」という
生涯、といっていいほど使い続ける
大事なものを作るために、
とにかく「聞く」。
少なくとも
何も条件のないところから
デザインの発想が湧き出てこない
凡人の私は、
人から、
素材から、
職人から、
「聞く」ことがなければ、
ものづくりの発想が
生まれない、といっても
いいほどです。
さて議会とは、
私たちの暮らしの
大事な仕組みを
作るところです。
その過程で、
様々な立場の人、
様々な考えの人から
真摯に話を聞く必要が
あるはずです。
様々な考えの人が
いるとするならば、
様々な条件の中で、
仮にそれらの声を
全て反映できなかったとしても、
そういう考えの人が
いるんだ、ということを
知ったうえで
ものごとを判断してほしいと
思うのですが、
そのためには
とにかく「聞く」ことから
始めてほしいと
私は思うわけです。
そうだとすれば、
人が話し終わった時ならまだしも、
人が話している最中に、
それを遮るような「ヤジ」は
要らないはずです。
あ、もしかしたら、
選挙で選ばれし人は、
さすが選ばれし人、
言葉の理解力が弱い私は
きちんと聞いていなければ、
飛び込んできた言葉を
なかなか消化できないのですが、
その人たちは
一聞けば十を知ることが
できるのかな?
また考えようによっては、
「ヤジ」の言葉で
人間性を推し量ることが
できるので、
選挙の際の
たいへん分かりやすい
判断材料ともいえますね。
とはいえ、
たとえそうだったとしても、
いちばん大事なことを
決める場でのやりとりは、
テレビにも映る。
すると
子どももマネをする。
子どもは大人の行いを見て
育ちます。
将来美しい、
多くの人が幸せと感じる
未来を作るために、
子どもたちには、
人の目を見て、
人の話を「聞く」態度を
身につけてほしい。
そう願う私は、
そもそも「ヤジ」は
いらんやろ、と思うのです。
余談ですが、
結婚式や式典などでの祝辞の時、
あるいは会議での発言の際、
その人の話そっちのけで
隣の人たちと
ヒソヒソ話している場面を
見かけることがあります。
あれもあんま
好かんのですわ。
そのヒソヒソ話の話題、
今じゃないとあかんのか。
その日、その時のために
一生懸命考えてきてくれた言葉を
一生懸命聞こうではありませんか。
熊谷た邸にて。
土で壁を作るには、
下地の竹小舞を作り、
その上に荒壁土を塗り、
さらに何層も
塗り重ねていくのですが、
この家の居間は、
荒壁土仕上げ。
つまり最初の一層が
仕上げとなっています。
この壁が不思議なのは、
まだ「現場」であるときは、
壁の施工が
まだ途中なのかな、
という印象なのですが、
他が仕上がり、
そこが「家」になると、
とても味わい深い
壁となります。
塗った季節、藁の配合、
乾く速度、土の成分、
土を寝かした年月…
人間の仕業では
どうにもならない
様々な要素によって、
一つとして
同じ表情のものはない壁。
だから、
一つ一つの壁の前に立ち、
ついずっと壁を
見つめてしまうのです。
実は施工上は、
気を遣うべき点が多く、
たいへんだったりも
するけれど(笑)、
やっぱ好きだなあ。
今年の鎌倉エネルギーカフェの企画を
仲間と進めています。
エネルギーカフェを始めた頃は、
地域単位でエネルギーの自給が
できないものか、
という夢を描いていて、
今もその夢は
持ち続けていますが、
それはそれで、
環境への負荷が大きそうだ、
ということを
感じ始めています。
一方でここ数年、
エネルギーと向き合って
強く感じることは、
エネルギーって、
お酒や珈琲と同じように
‘依存症’になりやすいものなんだな、
ということです。
例えば、
エネルギーとして電気を使う
様々な家電機器。
数十年前までは、
なくて当たり前の
生活だったのが、
今や大半の人にとって、
なければやっていけません。
例えば、
室内の温熱環境。
エアコンの普及が
9割まで達した現在、
私たちの身体は、
「快適」な室内環境が
当たり前のようになって、
暑い寒いの許容範囲が
狭くなっているような
気がします。
だとすれば
大切なことの一つは、
「エネルギー依存症」
を見直し、
そのうえで、
豊かと思える、
幸せと思える暮らしを
成り立たせることが
できるかどうか、
真剣にそのことと
向き合うことなのではないかと
思い始めています。
また、
エネルギーを作ることは、
どのような方法であれ
少なからず環境に
負荷をかけるのだとすれば、
食べものなどと同じように、
「いただきます」と手を合わせて
エネルギーをいただくことが
大事なのではないかと思います。
今年は、
そんなことを伝えられる
鎌倉エネルギーカフェに
したいです。