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2014年7月4日

受け入れて流す

カテゴリー: 横浜す邸

横浜す邸にて。

今日は朝から
雨が降ったりやんだり。

お昼時にも、
シトシト雨が降っていました。

屋根から落ちてくる雨の様子を
注意深く見ていたら、

瓦がまだ葺かれていないところは、
ぼたぼたと雨が
滴り落ちていましたが、

瓦が葺かれているところは、
ほとんど雨が
流れ落ちてきませんでした。

昔ながらの製法で焼いた
瓦のスポンジのような吸水力に
改めて感嘆。

雨風をの一切を
遮るのではなく、

一度受け入れて
じっくり流す。

気候風土に培われた
日本文化の哲学を
垣間見たような気がしました。

瓦を焼く達磨窯。

高度成長期以前は、
全国各地に点在していましたが、

今は日本広しといえど、
もう数基しかありません。

2014年7月2日

階段ができるよ

カテゴリー: 逗子せ邸

逗子せ邸にて。

階段のできあがりを心待ちに、
ずっと見守る少年N。

階段通行第一号は、
彼でした。

2014年7月1日

横浜す邸の竹小舞かき隊(八回目)

カテゴリー: 横浜す邸

横浜す邸の竹小舞かき隊は、
6月の間6回行い、

だいぶ進んだようにみえて、

竹小舞かきと同時進行で
窓などが付いて、

新たに細かい部分の
作業が生じ、

まだまだあと数回かな、
という感じです。

というわけで、
7月に入っても続きます。

今日は、
建主さんご家族と、
きらくなたてものやのみの作業。

例の細かい部分の壁ばかりで
進み具合もじりじり、
という感じでしたが、

夕暮れ後も粘って、
なんとか子ども室棟は
全て終わりました!

母屋のほうは
まだ残っていますが、
作業後は夜景の撮影大会。

皆さん、
遅い時間までおつかれさまでした。

今日のお昼ごはんは、
うなぎ!

本格的な夏も、
すぐそこです。

思し召し?

カテゴリー: 横浜す邸

横浜す邸にて。

小屋裏で夢中になって
竹編んでたら、

ポケットから
シャープペンシルがポトリ。

すると約2.3m下の根太に、
ダーツのように
見事突き刺さりました。

この奇跡は、
今日をもって
国から独立せえという
思し召しでしょうか(笑)。

2014年6月30日

44

カテゴリー: 今日のできごと

44になりました。

こんな私のために
ホントにたくさんの
お祝いのお言葉、
ありがとうございます。

何の因果か
一年の折り返し地点で
生を受けた私は、

皆さんの温かい言葉を励みにに、
引き続き下半期も
張り切っていきたいと思います。

お祝いの食事は、
家族みんなで
家でいただきました。

夕方遅くまで仕事にもかかわらず、
希望に応えてくれて
手作りの焼売三昧の献立。
ホンマにありがたいことです。

こうして誕生日は、
たくさんの人に支えられて
生きていることを再確認する日。

それに応えらるよう、
歳を重ねていきたいと思います。

2014年6月28日

横浜す邸の竹小舞かき隊(七回目)

カテゴリー: 横浜す邸

本日、横浜す邸の
竹小舞かき隊七回目。

今日は建主さんと
きらくなたてものやと、
いつもに比べれば、
こじんまりと。

しかしあと残っている壁が、
窓の上だったり、
幅の狭い壁だったり、
という感じで、

また私も大工と
打ち合わせが必要だったので、

結果的にほどよい人数でした。

面積の小さい壁は、
かかる手間のわりに、
進んだ感じがしませんが(笑)、

しかし今日は皆さん、
日が暮れるまでがんばったので、

子ども室棟は、
九割五分終わりました。

作業終了後の
ジュースがうまい!

残っている壁は、
こういうところ。

今日のお昼ごはんは、
建主さんの営むトンカツ屋さんから
配達されたトンカツ。

汗をかいた後だから、
よりおいしく感じます。

十時のおやつは、
建主さんお手製の
桃のゼリー。

これもたまりませんでした。

なお今日で、
当初予定していた
竹小舞かき隊の日程は、
終わりましたが、

少し残りましたので、
来週火曜日、七月一日も、
建主さんたちと作業します。

空の下に出よう

カテゴリー: 家づくりの理念

先日某所にて、
江戸時代の古い民家を
拝見させていただきました。

お茶をいただきつつ、
その家の当主の方から、
数十年前、
その方が子どもの頃の
冬場の暮らしぶりについて
お話を伺う機会を
いただきました。

冬は家の外と中とで
ほぼ気温が同じ、

しかも家の方針が、
室内ではできるだけ
火を使わないという
暮らしだったらしく、

家の中は本当に
寒かったようです。

しかし当時、
それが当たり前だったので
何とも思わなかったと、

当時を懐かしむように
仰られていました。

とはいえきっと、
当時の暮らしぶりに戻そうとは
考えておられないでしょう。

しかしそのお話しを聞いて
改めて感じたことは、

私たちがその環境下で
暮らしていけるかどうかは、
「慣れ」の要素も
大きいのではないか、
ということです。

四六時中、
「快適」であるように
機械仕掛けで空気加工された
室内環境が当たり前の
私たち現代人は、

もうそれに
慣れてしまっているので、

恐らくその古民家には
暮らせないでしょう。

それともう一つ、
これは私の仮説なのですが、

冬場でもなぜ、
家の中と外とで
ほとんど気温の差がなくても
大丈夫だったかというと、

現代よりも圧倒的に、
外で身体を動かして過ごす時間が
多かったからではないかと
思っています。

これは夏場も然り、です。

例えば現代でも、
現場の職人さんは、
屋根が架かってるとはいえ、
基本的に吹きっさらしの
空調機械などない場所で
一日仕事していることが多いです。

だからやはり、
寒さ暑さに強い傾向を感じます。

一方で多くの現代人は、
建物の中で過ごす時間、
とくに机やパソコンの前にいる時間が
圧倒的に増えました。

建物の中で
ずーっとじっとしているので、
機械仕掛けで空気加工された
安定した快適さがないと
不快に思う。

そしてその環境に慣れて、
ますます機械仕掛けの空気加工が
手放せなくなる。

それはエアコン普及率
9割という実態が
物語っていると思います。

現代の家づくりの方向は、
家の外皮を分厚くし、
外に開く窓も小さくして、
家の内と外とを
できるだけ遮断しよう、
ということになっていますが、

ある程度は、
そういったことも
考えなければならないでしょう。

しかし
「省エネ」を求めるならば、

やみくもに外を
「遮断」するのではなく、

散歩したり走ったり、
畑に行ったり森に行ったり、
海に行ったり山に行ったり、

空の下にいる時間を
仕事や暮らしの中で
増やすことにも
目を向けようでは
ありませんか。

さあこれから現場。

2014年6月26日

第1章完結

カテゴリー: 熊谷た邸

熊谷た邸にて。

朝現場に行き、
検査での指摘事項等を
対応して、

今日をもって
施工のためにここへ来る機会は
最後となりました。

この場所と関わり始めて約4年。

当初はここへ来るのに
3時間半かかりましたが、

圏央道が徐々に伸び、
現在は約2時間半。

今日も6時半に家を出て、
9時に到着。

ずいぶん短くなったなあ。

しかしあさってには、
圏央道の相模原愛川と高尾山が
つながって、

計算上は2時間で
到着できることになります。

その二日前に
物語が終了するとは、

またそちら方面で
別の物語があることを
期待したいと思います(笑)。

それはさておき、
家づくりの物語は、
まだまだこれから
家が家でなくなるまで続きますが、

とりあえず第一章が
完結しました。

やった!という達成感も
あるのですが、

やはり寂しさのほうが
数段上回るものです。

自分の子どもが家を巣立つ時と、
きっと同じような感覚なんだろうなあ。

建主さんが秋に竣工祝いを
開いてくださるというので、

物語が次章に移り、
「子ども」の更なる成長ぶりを
見るのが楽しみです。

2014年6月24日

横浜す邸の竹小舞かき隊(六回目)

カテゴリー: 横浜す邸

今日は横浜す邸で竹小舞かき隊。

参加者は、
建主さん3名、
最近常連さんの、
‘く’さんと‘な’くん、
横浜の家具職人‘う’さんご夫婦、
きらくなたてものや3名、

合計10名で作業を行いました。

皆さん経験者ばかりなので、
本当に助かります。

今回も順調に進み、
八合目まで来た、
という感じです。

母屋の東面が
今日でかなりできました。

なので作業終了後、
道路から夜景を撮影。

10時は建主さんお手製の杏仁豆腐、
3時はケーキ。

これだから○○隊はたまりません。

ちなみにケーキは、
最近常連さんの
参加者の就職祝いを兼ねて。

今日もあたたかいなあ。

2014年6月23日

ヤマネ湯誕生秘話

カテゴリー: 今日のできごと

先日発行されたカジュ通信に
「往復書簡」というコーナーがあるのですが、
そこに寄稿させていただきました。

最近話題?の「ヤマネ湯」誕生秘話が
綴られていますので、

どうぞご覧ください。

私の往信のみ、
以下転載させていただきます。

・・・・・・・・・・

あのユカイな物語から、もう二年ですか。

つい最近のできごとと思う一方で、
しかし山根さんのご家族とは、
なんだか昔からの古い
お付き合いのような感じがします。

それだけ物語を紡いだ約半年間が
濃密だったということでしょう。

山根さんとの、ときに日付をまたいだこともある打ち合わせ(「打ち合わせ」とは言いながら、半分は雑談だったような(笑))、そして戦前に建てられた古民家を改修する仕事だったのですが、大工が‘ホネ’になるまで家をめくっては頻繁に電話がかかり、場合によっては急きょ現場に足を運び、その都度その場で問題の解決を迫られ、まるでドラマの中の刑事さんのような、機動力と瞬発力が問われる日々でした。
また、きらくなたてものやならではの自主施工の提案に快く乗ってくださり、当時お住まいだった東京から毎週のように現場に駆けつけ、同じく東京にお住まいのご両親やお姉さん、またお友だちもたくさん集まって行った竹小舞、荒壁土塗り、そして漆喰塗り…、みんなが輪となって、この家に愛情を注いでくれました。
 正直、予算の厳しい仕事でした。打ち合わせの大半は、減額案を絞り出すことだったような気がします。しかし予算に限りがある中で仕事を成立させるためには、何が大事で、何が要らないのかということを、改めて見つめ直すよい機会になります。また予算を落とすために考え出した設計上の発想がけっこうイケてたりして、例えば雨戸を省略するために考え出した、防犯と通風が両立した「格子網戸」は、その後きらくなたてものやの定番となりました。それと予算を落せるならば、自分で手間をかけようかという気持ちに火がつきますね(笑)。新たに家を建てる場合でもそうですが、大事なことはおカネの多寡よりも、この仕事に関わる人たち全員のあきらめない情熱と愛情。そしてそれを出し合う中で育まれる理念の共有。このことを改めて感じた仕事でした。
このような過程を経てできあがった2012年4月末、私たちにとってたいへんうれしいプレゼントが待っていました。この仕事に関わる人たち全員が一同に会した竣工祝い。そして記念品としていただいた、家づくりの様子を描いた絵が染められた手ぬぐい。たっぷり手をかけてくださったことが伝わるたくさんの料理を味わい、また山根さんのお友だちの歌手NUUさんの歌から始まり、たまたま楽器ができる職人が集まっていたこともあって、「これがホンマのカーペンターズ(笑)」による延々と続く音楽。「楽しかった」の一言では納まらない、本当に夢のような一日でした。
この日をもう一度味わいたい、という思いがきっとどこかにあったのでしょう。その約一年後に山根さんの家作りに関わった仲間が、近所で「食堂ぺいす」を手がけることになったのですが、現場で寝泊まりして仕事していた職人たちがお風呂に困っているという口実で、毎週のように山根さんの家に集まり、夜更けまで楽しいひと時を過ごすようになりました。予算の厳しい中、山根さんの家に気持ちよい木のお風呂を入れることになったのは、このためだったのです!(笑)。
そんなことを繰り返しているうち、いつしかここは「ヤマネ湯」と呼ばれるようになりました。そして「ぺいす」ができあがってもなぜか会員制銭湯「ヤマネ湯」の営業は続き、さらに「ぺいす」のご家族までもその会員に。そういえば昔まちなかにあった銭湯は、地域内のコミュニティの輪を育てる役割を果たしていたそうですね。「ヤマネ湯」を通じて育ち、深まる、心地よさと美味しさの輪。それは今、私たちの本当に大切なタカラモノの一つになっています。

日高 保