栗の厨房と沖縄土の磨き壁
藤沢ひ邸にて。
栗の厨房と、
その先に見える
赤い沖縄土の磨き壁。
鎌倉て邸にて。
住み始めてから約5カ月。
今までインターホンなどを
取り付けるための門柱は、
仮のものが立っていましたが、
今日は庭師の遠山さんが
本設のものをこしらえました。
主な材料は、
支柱の枕木以外、
元々敷地に転がっていた石と、
別の現場で余った
ウッドデッキの切れ端。
つまり、
あるもの生かした
庭づくりです。
予算の都合
というだけではなく、
もしかしたら行き場を失い、
捨てられる運命にあったものたちが
こうして活き活きと
輝く場所が見つかると、
なんだかとても
うれしくなります。
とくに石は、
不思議なほど
生まれ変わりますね。
またそれに
緑が添えられると、
さらに輝きを増しました。
空間を作るうえで
やはり草木は偉大です。
急激に寒くなり、
お風呂がいつにもまして
うれしい季節になりました。
私はいつも家族の中で
いちばん最後に入ることになっているので、
夜起きてられない時は朝風呂にしたり、
入る時間はまちまちですが、
基本的に毎日入っています。
そしてここ数年、
我が家のお風呂で
続けていることがあるのですが、
それは石けんを使わない、
ということです。
そのかわり、
湯船には最低15分以上浸かります。
浸かっている間に
じわりと汗が身体から沁み出してきて、
汗とともに
身体にたまった老廃物が
汗とともに溶けて出てくるような
感覚を覚えます。
これは意識的に
取り組み始めたというよりは、
例によって家族の中で
いちばん最後となると、
子どもが大きくなればなるほど、
お風呂に入れる時間が遅くなり、
そうなると
身体を洗う気力がなくて、
たびたび湯船の中で
深い眠りに落ちてしまう、
ということから始まったのが
正直なところです(笑)。
しかし続けているうちに、
どんなに埃まみれ、
泥まみれになったとしても、
この方法で大きな問題はない
ということに気づき、
さらには、
問題はない、どころか、
むしろ肌の調子がいいとすら
思うようになりました。
この数年の間、
何度かだけ石けんで
身体をこすったことがあるのですが、
もちろん老廃物が
根こそぎ洗い流された一方で、
それ以上のものも
落ちてしまったような感じがして、
確かそれは夏場だったのですが、
しばらくするとかえって
それを修復するように
新たに肌に何かまとわりつくような感じが
気になったりもしました。
もちろんこの方法が合うかどうかは
体質次第だと思いますし、
もしかしたら私の知らぬところで
周りにご迷惑をおかけしているのかも
しれないのですが(笑)、
そんな懸命に
汚れを洗い落とす必要はあるのか、
とも思っています。
そして湯船の中で長い時間、
瞑想(?)するようになり、
お風呂を設計するうえで
やっぱり湯船は大事だな、と、
改めて感じている次第です。
今はおかげさまで、
木のお風呂を作る機会を
数多くいただいていますが、
ホントは自分が
いちばん入りたい(笑)。
今日は久しぶりに、
「湯」の集い。
何人いたか分かりませんが、
鎌倉できらくなたてものやが手掛けた仕事の
住人たちを中心とした人たちと
きらくなたてものやの
仲間の職人たちが
四年以上前に改修した
鎌倉の古民家に集合して、
おいしい楽しい時間を
過ごしました。
最初は泊まり込みで
ここから近い「食堂ぺいす」を作る職人たちのために
「お風呂入っていきなよ」と始まった「湯」ですが、
それから数年後には
まるでずっと旅していたきょうだいたちが
久しぶりに一つ屋根の下に集まるような
大家族のような楽しい場になり、
今となっては
酒と話が楽しくて、
誰も風呂に入ろうとしない
「湯屋」でございます(笑)。
いずれにしても
形のあるものづくりは
それそのものが
楽しいだけではなく、
その物語を共有することによって
人と人とをつなげてくれる力を
持っているということ、
そしてそこから楽しみ合い、
助け合う関係が生まれるということを
改めて思いました。
間もなくこの「湯」に
家族が一人増えるため、
次に大々的な「湯」を開くのは
しばらく先になりそうですが、
また別の場で「湯」が
開かれるのではないかと思います。
最近人を引き寄せる
「木のお風呂」率が高いですし(笑)、
「湯」の場の拡散も楽しみです。
今日は一日、
改修現場で「きらくなおそうじ隊」。
午前中は一人で
養生を剥がし、
念入りに掃除をした後に
蜜蝋ワックス塗り、
午後は大工の北山さんが合流して
家財道具の移動を行いました。
こうして工事がほぼ終わり、
最後ゲンバからイエにする作業は、
基本的に私か所員が
行います。
今日も養生を剥がしていたら、
「そんなことまであなたがするのね」
的なお言葉をかけていただき、
またそのお言葉は、
今日に始まったことではないのですが、
私からすれば、
このゲンバからイエになる
劇的な瞬間を
見ることができる楽しい仕事を
他の人に委ねるなんて
もったいない、と思います。
それもありますが、
管理する立場として
隈なく最終点検を行える
という側面もありますからね。
ということで
これを書いている今は、
心地よい疲れ、
いつにもまして
ぐっすり眠れそうです(笑)。
神田え邸にて。
洗面所は、
桧の天板の上に
銅の流しと
真鍮の水栓。
きょうだいのような関係の
金属が共存しています。
ところで最近
流しと水栓の関係について
水道屋といろいろ考えるのですが、
水栓の操作は、
流しの器の中で、
もしくは
流しの器の真上で行えるほうがよい
という結論に達しています。
と申しますのも、
手や顔を洗ったあと、
水栓を閉める前に
手をタオルで拭く人はまれで、
たいていの場合
濡れた手で操作しようとします。
すると水栓の操作部の真下に
水滴が飛び散るわけですが、
その水滴を
流しが受け止める位置関係にあれば、
天板はあまり
濡れずに済みます。
木で天板を作る場合、
濡れてもかまわないように
桧など水に強い木を選びますが、
それでもあまり
濡れないにこしたことは
ありませんからね。
なので、
流しの器の中に
水栓を設置できない場合、
水栓の形状は、
壁出しの胴長のものが
今私の中で理想です。
しかも今は
給湯器が適温のお湯を
作ってくれるので、
単水栓で十分です。
壁出しの単水栓は、
安価な傾向にあるというのも
うれしいですね(笑)。
そんなことを
考えたうえでの
この組み合わせです。
神田え邸にて。
杉の箱に
壁を瓦で仕上げた
小さな厨房が
できあがりました。
ここにこもって
一枚一枚表情の違う
瓦と対話しながら
ジャム作りたいです(笑)。
神田え邸にて。
土間の照明器具は、
元々あった器具のデザインに近い
黒いマリンランプにしました。
そして器具への配線は、
元々Fケーブルが際を這い、
化粧モールをかぶせていたのですが、
改修を機に、
碍子引きにしました。
天井裏がなく、
かといって木を掘り込むわけにもいかず、
どうせ配線が見えるのだったら、
目立たないようにする、というよりも、
かえって配線を「見せる」
この碍子引きが好きです。
まだ電気などなかった時代に
建てられたたてものは、
その後目の前に電気がやってきて
後から電気を配線しなければならないという時に、
この碍子がよく使われていましたが、
今はほとんど
見かけなくなりました。
現代では、
電気配線の量と種類が
昔と比べて格段に増えたため、
碍子引きが難しくなった
という事情もあります。
しかし新築の場合でさえも、
電気配線が複雑でなければ、
(実は今ここが難しい)
デザインとして積極的に
取り入れたいとすら
思っています。
「隠れる」よりも、
「見える」ほうが
なんとなく安心感がありますしね。
ちなみに照明器具の台座は、
大工が用意したクリの板です。