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2017年1月13日

新春早々怒涛のたけきり隊のご案内

カテゴリー: イベント 告知・連絡

今年に入り、
初めてのご案内となりますね。

今年もたくさんの方々と共に
学びや作業を楽しみたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。

さて今回のご案内は、
さっそく怒涛のように(笑)
週に三度行う竹伐り作業の
ご案内です。

なぜ「怒涛」かというと、

竹を伐る日が
秋から節分の頃までの
下弦から新月の間と
相当限定的で、

しかも今年は
ありがたいことに
竹を使う機会が多く、

伐れる時に
伐ってしまおう
ということで、
そのような日程設定と
なりました。

竹伐りは、
竹小舞に必要な材料を得るため、
という目的はもちろんですが、

竹林整備という側面もあるので、
人手はあればあるほど助かります。

手を入れた分だけ、
竹林が風と光の入る場に
再生する達成感は、
とても気持ちがよいので、

ぜひ皆さま、
一度でも何度でも、
お越しいただけると
うれしいです。

それではご検討のほど
何卒よろしくお願いいたします。

なお人数確認のため、
ご参加いただける方は、
事前に日高宛にご連絡を
お願いいたします。
tamotsu.hidaka@kirakunat.com

【新春早々怒涛のたけきり隊】

■日時
①2017年1月21日(土) 9時~日没まで
②2017年1月25日(水) 9時~日没まで
③2017年1月28日(土) 9時~日没まで
■場所:小田原市沼代1215(みかん農園「あきさわ園」の一角で作業します。)
■集合:現地9時集合(公共交通機関ご利用の方はご相談ください。)
■持物:作業できる服装、運動靴、タオル、軍手、昼食
■雨天中止となります。
(当日6時までに作業実施を決定します。)

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2017年1月10日

ぼくなりのギフト

カテゴリー: 今日のできごと

今日長女が
成人式を迎えました。

去年8月の誕生日に二十歳となり、
その時ピスカリアでたっぷりお祝いし、

その時にもう十分に
成人になったことを
満喫したのですが、

今日晴れ着姿を見ると、
それはそれで
感慨深いものが
ありました。

二十年もの間、
関西の帰省以外は
どこか楽しいところに
色々連れて行くわけでもなく、

父ちゃんらしいことは
ほとんどして来なかったのですが、

「お父さんの洗濯物と
いっしょに洗わないで!」といった
ありがちな展開はほとんどなく、

いつまでも仲良く接してくれて、
それだけでありがたいことです。

確かに、モノやコトで、
ほとんど何もしてやれなかった
私ですが、

二十年かけて
与えることができたものが
一つあるとすれば、

無垢な肌、でしょうか。

と申しますのも、
彼女が生まれて数年間、
とくに1歳になる前後の頃は、
肌がボロボロでした。

ほっぺはいつも
じゅくじゅくしていて、

布を当てると
体液が染みついてしまうほど
肌が荒れていました。

治まる気配もなく、
この状態のまま
大きくなってしまうのかな、
とすら思っていたのですが、

その後、
木と土の家に暮らし、

できるだけ
生きた食材を提供し、

合成洗剤での洗濯は
一切取りやめ、

自然界と調和した
暮らし作りを試みることで、

しばらくすると
荒れた肌がおさまり、

それだけではなく、
生き生きとした肌を
まとうことができました。

それらの試みは、
正直申せば
彼女の肌のため、
というよりは、

私たち家族が
いかに気持ちよく暮らすかを
追い求めた産物ですし、

またそもそも因果関係は
それだけではないと思いますすが、

しかしそうした試みも、
決して無駄ではなかったのかな、
と思っています。

何はともあれ、

子どもの頃あまり
旅ができなかった分、

これから数十年と続く
大人の世界の旅を
たくさん楽しんでください。

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2017年1月4日

素材の生命をいただく

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

皆さまはどんなお正月を
お過ごしになりましたか。

私はといえば、
正月に体調を崩したこともあり、

テレビでラグビーを観ながら、
寝込んでいました。

ゆっくりラグビーが観れるのも、
ゆっくり寝込むことができるのも、
正月ならでは、ですね。

明日から仕事始めなのですが、

体調のほうは
うまい具合に間に合いそうなので、
大丈夫です。

さて今年の年賀状は、
以下の写真に、
「素材の生命をいただく」
という言葉を添えました。

黄土を横に引き摺って
掻き落とした土壁と、

五十嵐さんが
達磨窯で焼いた
一枚一枚表情の違う敷瓦。

職人たちの手による
土という素材を
様々な手法で生かした
表現です。

土は無機質で、
それ自体恒久的に存在するものですが、

職人が手塩にかけて育て上げたものは、
まるで生命が吹き込まれたようです。

事実まるで命あるもののように、
日によって見え方が変わり、

あるいは少しずつ
時の経過に伴って、
表情が変化していきます。

さて、話は変わりますが、

昨年末の大掃除で
アルミサッシの網戸を
洗ったところ、

十数年前とほぼ同じと思えるほど
きれいになりました。

よかったよかった、と思う一方で、
これは木の建具では
ありえないことだと思いました。

アルミサッシに限らず、
現代の建築を見てみると、

外部に使われる素材の多くは、
洗い流したら簡単に元に戻る、

つまり「永遠」を追求した
素材に囲まれているように思います。

そういえば昨年末に
誰かと何度か、

現代的な住宅が、
同じ素材に統一されて
ずらりと並んでいるまちなみを
たまに見受けますが、

それが美しいと感じるかどうか、
という議論になりました。

そこで聞こえてきた意見の多くは、
あまり美しいとは感じない、
というものでした。

一方で例えば、
日本の伝統的な建物が
立ち並ぶまちなみは、

木や土といった素材で
統一されていて、

その統一感がむしろ
美しいと感じさせるのですが、

現代の素材は
どうしてそう思わせて
くれないのだろうか。

ちょうどそんな疑問を
抱いていたところなのですが、

アルミサッシの網戸を洗ったあと、
自分の中でなんとなく
答えを得たような気がしました。

それは、
私たちはいつかは朽ち、
いつかは消えゆく
命あるものを美しいと感じる
本能があるのではないか、
ということです。

例えば一般論として、
美しいと感じる度合いは、

如何に均整の取れたマネキンも、
命ある生身の人間には
かなわないのと同じです。

この現代は技術が発達して、
ほぼ「永遠」の素材や工法が可能となり、

その集積として今の住宅は、
おそらく耐久性が
格段に上がっているのだと思います。

それはそれで、
いい面もあるのだと思うのですが、

正直ワクワクしない、
というのが本音です。

そこで
本能に素直な私は(笑)、

その本能にしたがい、

ワクワクすると感じる
‘生きている’素材の命をいただき、
‘生きている’職人の手で作り、

心地よい、美しいと思う場作りを
今年も試み続けていきたいと思います。

それでは今年一年、
よろしくお願いいたします。

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