ほどよい感じで
平塚は邸にて。
今日のきらくなとそうやは
梁の塗装。
改修部分は
昭和の家、
天井裏に
隠れていた梁は、
古民家にあるような
重厚感のあるもの、
というわけではないですが、
磨いて塗ると
重すぎず、
ほどよい感じで
存在感を放つように
なりました。
鎌倉佐助い邸にて。
土で家を作るのは
むっちゃ楽しいですが、
悩みはないわけではありません。
その一つは
注文する土の量。
少し足らなければ
あせるし、
余らせても
現場を進めるには
そのほうがいいのですが、
しかしそこから
運び出すのが
さあたいへん。
しかも運び出すのに
道路まで遠かったり
高低差があったりすると
丸一日は
覚悟しなければなりません。
この現場は
まさにそうで、
ここのところ
たくさん図面も
書かなあかんし
どないしようと
思っていたところ、
なんと植木屋の遠山さんが
外構工事のために
ユニックを使うというでは
ありませんか。
しかも土を置いたままだと
外構工事が進められないという
事情もあり、
手元の職人さんたちが
自分の仕事の手を止めて
重い重い土の運び出しを
手伝ってくれました。
もうありがたいの
なんのです。
ちょっと前だと
ま、トレーニングがわりに
やるか、などと思っていましたが、
齢五十にもなると
もうその発想は
要らないです(笑)。
ムリが利かなくなった分、
助け合って現場を
進めていきたいと思います。
扇ガ谷の
ちっちゃな小屋にて。
最後の工程、
本日入口の建具が
入りました。
やはり一本でも
建具が入ると
締まります。
定期的に
竹林の中で
仕事をしていると
ずっと見入って
いたくなるような
美しく精緻な
自然の造形に
よく出会います。
それは竹林に限らず
川を旅したり
浜辺を歩いても
よく感じること。
全てが規則正しく
並んでいるというわけでもなく
まっすぐな線は
一本たりともないけれど
全体として見ると
なぜこんなにととのって
見えるのでしょうか。
一方で
私たちの手がけている
デザインが
とてもちっぱけなものに
感じます。
しかし人の手が
入ることで
場が気持ちよくなり、
こうした自然の造形美にも
目がいくようになったのも事実。
今年の年賀状の
所信表明と関連しますが、
そんな人の手で
あり続けたいと
思います。
今日はここだねさんと
竹仕事の日。
竹小舞に使う竹は
10,11月の新月手前に
伐っているので、
それらを
引っ張り出して
玉切りする作業を
行いました。
それが
第一の目的なのに
少しずつ竹林から
青空が見えてきて
それが気持ちいい
ものですから
枯れた竹や
寄りかかっている竹なども
引きずり出すことに
つい夢中になってしまいます。
だけど毎回
手をかけただけ
それに竹林が応えてくれて
当初は途方に暮れるしかないほど
木に絡まっていたところも
だいぶスッキリしてきました。
ああ他の仕事がなければ
毎日のように来て
続きを進めたい(笑)。
今日まで松の内。
すっかりお正月気分は
遠い昔のようですが
あけましておめでとうございます、
と申し上げられるのも今日までなので
今年の年賀状を紹介。
空の中に書いたとおり、
この家に限らず、
その土地で
たてものを考える時に
常に心の片隅にあるのは
それがその場になじむ
造作かどうか、ということ。
人の造作である以上
自然に溶け込むことは
とても難しいことですが、
あたかも昔から
その場にあったかのように
感じられる造作を
試みています。
このたてもの
(とブランコ)の画像で、
少しでもその試みを
感じていただければ
幸いです。
2021年が始まりました。
新年あけましておめでとうございます。
今年は
コロナ禍のため
例年のように
妻の実家のある
関西には帰省せず、
家で大掃除に
じっくり取り組み、
その後はテレビで
ラグビーや駅伝の観戦を
楽しみました。
例年初詣は、
京都の伏見稲荷に
参るのですが、
そんなわけで今年は
地元で。
佐助の現場に
立ち寄りがてら
稲荷つながりで
まずは佐助稲荷、
その次に
銭洗弁天へ。
やっぱり
お参りすると
今年一年が
始まった気持ちが
高まります。
それと神社の空間って
やっぱり神秘的だなあ。
それではこの一年
みんなの健康と平和とともに
木と土と結の
たてものづくりが
発展的に
続いていきますように。