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2007年2月23日

古い民家を見ておもう

カテゴリー: 今日のできごと


先ほど書いたとおり、
湯田さんのお誘いで
土間をたたきがてら、
大和市の泉の森公園内にある二棟の古い民家を
見て回りました。

あたたかな灰色に色づいた茅葺の屋根だったり、

ほおずきなどがぶら下がっている軒の下だったり、

あるいは風雨によって洗い出された土壁だったり、

なぜでしょうか、
建ってから長い年月が経った今もなお、
‘アジ’という言葉以上に、
私たちを惹きつけてやまない
魅力がそこにあります。

そしてさらに不思議だったのは、
壁は少なく、
(基本的に壁は外壁だけといっていいくらい)
思った以上に梁や桁がとび、
その割りに材寸が小さく、
さらには
目分で六尺以上とんでいるにもかかわらず、
何と外壁側に小屋梁を受ける柱がない!
(そのうえにさすがに小屋束はなかったような気がしますが…)
ところがあったりするのに、

あるいは防水的な観点から見ると、
こりゃ雨が漏ったり染みるのではないか、
と思う納まりもありましたが、

百年以上も、
もちろん関東大震災も乗り越えて、
今ここにたてものが生き続けているのです。
(近所から移築した建物だそうですが)

そのかわり、
柱の足元を継ぎ換えたり、
壁を塗りなおしたり(湯田さんの仕事だそうです)、
その建物に手を入れ続けてきた跡が
随所にあります。

私は、建物が長く持つかどうかは、
いわゆる今「耐久性」として評価される
物理的要素もさることながら、
そういった要素が大きいのではないか、
と思っています。

愛ある手、愛ある人たちに包まれた建物は、
残そうと思えば建物は残していけるのです。

むやみに包み隠さず、
割と容易に手を入れられる建物かどうか、
また、直す職人の技術があるかどうか、
そして、使い続けたいと思える建物かどうか。

古い建物を見て回るたび、
そうした背景が、その建物にあるかどうか、
これらが建物の生きる長さを決める
大きな要素なのではないかと思うのです。

‘伝統’を踏襲し、
‘伝統’を超え、
そうゆう建物を、
作り続けて、いきたい。

古い民家の小屋裏を見上げながら、
そうした想いを、
いっそう強くするのでした。