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2012年11月1日

体質

カテゴリー: 家づくりの理念

少し古い建物を
解体する時思うのですが、

その際出てくるゴミのうち、
燃やして土に還しても
差し支えないもの、

あるいは素直に
土に還るものが、

一体どれくらいの割合で
あるのでしょうか。

最近金属製品や石油製品は、
リサイクルできるようですが、

それを差し引いても、
合板、集成材、薬漬けの木、
ボードに糊で貼りついた
塩化ビニル製のクロス、

仮に燃やしたら、
目や鼻がよじれそうな
ものばかりです。

あるいは、
たまに出くわすアスベスト―。

施工性が高く、

また仕上材としても
一見美しく見えるそれらは、

大量生産が可能であったために、
経済的にも優れていました。

このため高度成長期を境に、
従来の木や土に替わり、
急速にそれらが
使われるようになりましたが、

しかし寿命を迎えた後のことは、
今の状況を見る限り、
あまり考えてこなかったように
思います。

これからますます、
壊される建物が増えてくるというのに、
土に還らないゴミの捨て場の容量は
大丈夫なのでしょうか。

それだけではなく、
新たに建物を建てるたび、
そちらからも
同じような大量のゴミが
出てくるというのに、です。

こうした懸念は、
最近とくに思うのですが、
別の産業の分野にも
あてはまりますね。

その一つが、原発。

原発が耐用年数を迎え、
あるいは昨年の震災の時のように
壊れてしまった時に、

原発の稼働に際し、
核燃料をはじめとする
廃棄物の処理の目途が
立っていなかったことを知った時は、
たいへん驚いたものでしたが、

しかし考えてみれば、
同時期に建築がしてきたことと、
さして体質は
変わらないように思います。

生産性、経済性、機能性、
それらはモノづくりの立場として、
とても大事な要素です。

ただこれまでは、
それらの最大値を
今だけ、目先だけを見て
追い求めてきました。

言葉は悪いかもしれませんが、

目先の経済さえよければいい、
今を逃げ切れればそれでいい、

という発想のように
私には映ります。

今ちょうどラジオから、
政治のニュースが流れてきましたが、
政治の世界も
まさしくそうだな。

これまでは、
それで何とか
やってこれましたが、

そろそろ手に負えないほころびが
目立ち始めています。

仕事柄、
子どもたちと接することも
あるのですが、

そのたびに子どもたちから
楽しさと癒しをいただく一方で、

私たちはこの子どもたちのために、
美しい未来を残すことが
できるのだろうか、

それでええんか、オレたちは!

という思いがよぎります。

子どもたち、
そしてその子どもたち、

はたまたずっと先の
百年千年先の子孫たちも、
楽しく笑って暮らせる、

そんなことも見据えて
私たちの行動を選ぶ体質に
変えていきたいものです。