武相荘の向こう岸
鶴川街道から武相荘への道を振り返ると、エコヴィレッジ鶴川の現地がよく見える。
建物を建てるために木々を伐らざるを得なかったけど、隣の山を残したので、建物の背景が緑となり、建物が緑に包まれる印象となる。
建物の敷地もたくさん緑を配して、緑の中に焼杉張りの建物が埋没しているような、そんな感じにしたい。
それにしても、辺りに建つ住宅地はデコレーションケーキのようだ。
その先にある武相荘のように、建築素材が限定されていた時代のほうが豊かな空間と感じるのは皮肉だ。
冬の武相荘記録その5
門には縦樋がない。
雨水は、銅の軒樋から、端のアンコを伝って、そのまま地面に滴り落ちる。
滴り落ちた先には、葉をあしらった水甕がある。
その水甕の配置をよく見てみると、アンコの真下に来ておらず、葉の先に落ちるようになっていて、葉を伝って甕に水がたまるしくみになっている。
写真で、地面が濡れているところを見てみれば、それがよく分かる。
確かに、3m近く上から落ちてくる水を甕で受けたら、かなり騒々しいかもしれない。
そのための配置の妙なのだろうか。
現代の家づくりだと、雨の道の計画は往々にして疎かになりがちである。
一方で生活に根付いた文化とは、こうした生活の微細な一コマ一コマに至るまで、全身全霊を込めてよく計画されているなあ、と思った。
冬の武相荘記録その4
武相荘をさらに進むと、散策道がある。
あたりはコナラを中心とした雑木で覆われた林だ。
そして散策道の脇には、柵らしき装置がある。
木目を見るとナラ系に見えたので、たぶん目の前で伐ったコナラをそのまま使っているのだろう。
それは柵なんだろうけど、柵にしては低く、腰をかけるのにちょうどよい形と高さになっている。
本当ならばこのように、人の手が入るほどに世界は美しく、合理的となる。
しかし、どこまでも人工的な世界が続く現代日本の空間は美しいだろうか。
現代では往々にしてガードレールや金属製の手すりなどで作られてしまうその部分は美しいだろうか。
同じ「人の手」によるものでも、この差は一体どこにあるのであろうか。
冬の武相荘記録その3
縁台は日本全国どこにでもある建築装置。
しかし、そこで使われるのは自然の木や石。
木や石をそのままの形で使う。
この世界で唯一無二の造形。
だからこそ、切り方といい、配置といい、住み手および作り手の美意識がそのまま表れる。
エコヴィレッジ鶴川の現場に立ち寄った後、何人かの住民の方と白州次郎・正子夫妻が暮らした家「武相荘」を訪れた。
エコヴィレッジ鶴川に関わるようになって2〜3年経つが、こうして「武相荘」に足を踏み入れるのは恥ずかしながら初めてのことだ。
前々から行きたいと思っていたので、ようやく念願がかなった。
評判通り、行ってみてとても豊かな気持ちになった。
豊かな空間、品、ことばと出会うことができた。
そして一緒に行った方々と豊かな時間をすごすことができた。
その中で出会った豊かな空間や品を幾つか紹介。
写真は敷地内の店舗の置看板。
背景となる赤茶けたところは、鉄の錆だ。
鉄の錆も、使いようでとても美しい。
そして錆は時空を超えた深みを感じさせてくれる。
そういえば鶴川街道から武相荘に入るときも「錆」が出迎えてくれた。
「ぶあいそう」と「さび」。
端(はな)から白州さんの機知と美学とを感じた。
先日、ネット上のニュースで「6階(だったような気がする)の階段の踊り場から、誤って転落死?」という記事を読んだ。
この記事を読んでというわけではなく、前々からのことではあるが、高層マンションを本当に作る必要はあるのだろうか、そこは本当に人間の住む場所であろうか、という疑問を私は持ち続けている。
自分は高所恐怖症ではない(と思っている)。
小学生の頃、小学校の4階の窓の外に出て幅15cmほどの持ち出しスラブを平均台にようにして遊んでいたくらいだし(今やったら大問題?)、今でも建築現場で高いところに居ても恐怖感を感じることはない。
しかし以前、30階以上あるマンションのモデルルームに見学に行ったとき、バルコニーや階段の踊り場から下を覗くと、地面からとてつもなく大きな力で引き寄せられる感覚を覚えた。
地面からの呼びかけに素直に従ってみようかな、オレだったらきっと大丈夫、なんて想像してみるが、そんなことしたら間違いなく「死」だ。
そんな感覚を覚えたりするものだから、マンションの高層階に少なくとも自分は住もうとは思わない。
それでなくても、一歩間違えたら死がすぐに待ち受けている場所だ。
元来行動がそれほど正確ではないので(笑)、余計に一歩間違えたら…、ということを考えてしまう。
そのように、身近に「死」を意識しなければならない場所があることは、自分はどうも落ち着かない。
次に、巨視的な視点で高層マンションが必要なのかどうか調べてみた。
東京都の人口 1257万人(H15)
東京都の宅地面積 555k㎡(H15)
東京都一人当たりの平均宅地面積 44㎡
東京都一人当たりの有効平均宅地面積 35㎡
(有効率80%として)
神奈川県の人口 849万人(H15)
神奈川県の宅地面積 570k㎡(H15)
東京都一人当たりの宅地面積 67㎡
東京都一人当たりの有効宅地面積 54㎡
(有効率80%として)
東京都で考えると、容積率100%でも、3人家族で平均105㎡、4人家族で平均140㎡の住宅で暮らせることになる。
一般論で言えば充分以上の面積だ。
あくまでも「平均」の議論なので乱暴な計算ではあるが、仮に全ての土地が容積率100%でもそんなに窮屈ではない。
容積率100%で居住面積の確保が可能と仮定すると、東京でも平均せいぜい3階(層)建ての建物までで充分ということになる。
一方、現在空き家となっている住戸は全国で約650万戸。
全住宅戸数の14%に相当する。
7戸に1戸が空き家。
さらに今年あたりから日本の人口は減少するようだ。
今でも都心部を中心に、デカくて背の高いマンションがたくさん作られているようだか、一体この先どないするんやろ、と思う。いつか今のこのしくみが破綻するように思えてならない。
数字から判断すれば、これから新たに住宅を建てる必要性は、人口が増加傾向に転じない限り、間違いなく減り続けるということになる。
ということは、住宅の供給量を競う時代ではなく、住宅を新たに建てる意味と意義が一つ一つ問われる時代になるといえる。いやむしろ、そうなってほしいという願望のほうが強いかもしれない。
いずれにせよそのような状況を、とくに建築でメシを食う人たちは十分に見据える必要があるであろう。
自転車で葉山のI邸に向かう。
外はこんなに寒いとは知らず、自転車にまたがって5秒後に、自転車で行く判断をした自分を恨んだ。
耳がちぎれそうだ。
しかし5分も経つと身体も温まり、冷たい風が快感に変わる。
長谷のあたりで国道134号に出る。
海沿いの道を、海風にあたりながら走るのは何とも気持ちが良い。
家を出てから走ること35分。現場に到着。
車で来るのと所要時間はほとんど変わらない。
その後葉山に滞在すること約6時間。
この間葉山のまちなかで自転車で行く用事もあったのだが、このまちは基本的に道が「人間規格」の幅なので、車よりも自転車が便利である。
多少地形の起伏はあるが、それがむしろ心地よい。
Iさんのところに食事に来るときは、なるべく自転車で来よう。
それなら酒も飲めるしね。
(ほんとうは自転車も飲酒運転はあかんらしいが)