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2005年10月21日

木の建築塾報告〜紙の話〜

カテゴリー: 今日のできごと


今日は、経師屋の岩崎さんの話。

木の建築塾はスタッフとしてお手伝いさせてもらっているが、今回は私が担当。
これまで岩崎さんとは面識がなかったが、これを機会に何回か木場にある岩崎さんの作業場を訪れ、経師屋の世界を垣間見て、今日お話いただくことを楽しみにしていた。
というのも、経師屋には、紙、糊、貼壁、表具、掛軸、屏風…、と多岐にわたる世界が広がっているからだ。
紙一つとっても、実に深く広い世界である。
事前の打合せで、岩崎さんが「2時間で足りるかなあ」というようなことを言っていたが、実際本当に足りなかった。
話し方は職人らしいポツリポツリとしたしゃべり方だけど、次から次に話題が湧き出てきて、次に何が出てくるんだろう、と興味を引き続ける。2時間が本当にあっと言う間であった。
伝統構法に取り組んでいるとはいえ、実は経師屋とはあまり接点がなかったこともあり、とても勉強になった。

紙にまつわる岩崎語録を幾つか。

・紙は古い方がいい。
・今の紙は苛性ソーダで漂白しているので、悪い材料でもごまかすことができる。
・紙には、裏表だけではなく、縦横がある。
・いい和紙の音は、パリパリという音。
・サンプルに載っているものをそのまま使うな。自分で世界を作ってほしい。
(ちなみに写真に写っているのは、ある施主が自分で紙に柿渋で模様をつけた独自のもの)
・「冷やかし」という言葉は、吉原と紙作りから由来している?

荒壁が乾いてきました

カテゴリー: ピスカリア


先週塗った荒壁が乾いてきた。
家に壁がつくと、「ああ、家になってきたなあ」と感じる。
木組みだけの状態も、竹小舞の状態も、いいけれど。
そのままの状態でいいのに、せっかくだからこの状態でイタ飯屋開こうや、と思いつつ、次に進んだら進んだで、またニンマリとしてしまう。

2005年10月19日

外壁の中塗り?

カテゴリー: 目黒か邸


はんだ塗りから数日後の様子。
やはり黄色い土が混ざっているので、黄色を帯びた色をしている。

それにしても、堅くてなめらかでつややかで、これで仕上げでもいいんじゃない?と思うくらい。

いい仕事は、実は見えないところが勝負なんだな、と思う良い例である。

外壁工事中

カテゴリー: 目黒か邸


土佐漆喰と黄色い土を混ぜた、「はんだ」と称すもの。
これを外壁に塗る。

K邸の外壁は、荒壁の外に通気層のある大壁。
木ずりにラスモルタルをつけた後に、割れ止めのメッシュを仕込みながらこのはんだを塗る。
そしてその後、砂漆喰をかけ、追っかけ土佐漆喰を塗る。

樹脂製、あるいはモルタル混じりの仕上材を使わないがゆえの、昔ながらの手間のかけ方。

2005年10月11日

またまたみそぎ期間に突入

カテゴリー: 今日のできごと

通常は年に1度がいいペースなのですが、相当身体がけがれていたのか、またみそぎ期間に入っております。

先週、ブログにアップすべきできごとについては、夏休みの宿題の絵日記のようですが、後でアップしますので、もう少しお待ちあれ!

2005年10月10日

雨の祝日‘泥沼’にはまる4

カテゴリー: ピスカリア


実際に塗られた壁。

当初自分たちで泥を塗ることも考えていたが、やはりたてものの性質にかかわるので、実際に塗る作業は、左官職人の湯田さんにやっていただくことにしました。

その代わり、塗る以外の作業は、泥壁等に興味ある方々にお手伝いいただきました。たくさんの方に集まっていただいて、謝謝!
(お手伝いいただいた方たち)
・Ngさん(土壁博士)
・Kkさん(柿渋に引き続き)
・Szさん(柿渋に引き続き)
・Skさんご一家(朝早く飯能から…。ありがとうございます。)
・Ysさん(はじめてですね、ありがとうございます。)
・Myさん(K邸の焼杉に引き続き)
・エコヴィレッジ鶴川のKwさん(なんと自分の家でも…期待してます)

そして湯田さん、こうした取り組みを喜んで引き受けていただいてありがとうございます。
職人だけの方が、ほんとうは能率がよかったかもしれません。
しかし、いやな顔どころか、むしろいろいろなことを参加者に教えていただいたようですね。
やはりいい仕事をされる方は、「技」だけではなく、「心」も持ち合わせているんだ、と心底感じました。

雨の祝日‘泥沼’にはまる3

カテゴリー: ピスカリア


泥を配る人。

混ぜた泥を、実際に塗る左官職人さんたちに木のへらなどで配る。

泥の質量を身体全体で感じる作業。
しかも塗るときにたっぷりと塗るので、すぐに左官職人の手元に泥がなくなるため、ぼんやりとはしていられない。思いの外の重労働。

雨の祝日‘泥沼’にはまる2

カテゴリー: ピスカリア


泥をこねる人。

予め作った泥と稲藁を容器に入れて混ぜる、混ぜる、混ぜる。
混ぜ方は簡単。
容器に、泥をドサッと入れ、稲藁を多めにバサッと入れる。
そして長靴を履いて、容器の中に入って足でひたすら踏むだけ。

って楽しそうに見えるが、実際にやってみると…。
1時間もやると、ウェスト細くなりますよ、きっと。
実際、先日自分が2時間ばかり泥踏みをやった後、心なしかベルトがゆるくなっていたような気がする。
それだけ体力を使います。

雨の祝日‘泥沼’にはまる1

カテゴリー: ピスカリア


藁を刻む人。

泥壁は、泥だけではない。
とにかくたくさんの稲藁を使う。

泥作りから数えると、一体どれだけの藁を使っただろうか。
塗る前に混ぜるために用意した藁も、今日だけで底が見え始めたので、夜に急きょ葉山から鶴川の石川さんのところに行き、藁を調達した。

しかし、今はたまたま石川さんからありがたく稲藁をいただいているが、今や都市部では稲藁はとても手に入りにくいものになってしまった。
今年の冬、時期が悪かったこともあるが、いろいろ手を尽くして、ようやく満足のいく量を集めることができたことを思い出す。
昔は周りに稲藁がたくさんあったから、たくさん使うことを前提にしていても何ら不都合はなかったのであろう。

昔は、暮らしとたてものづくりが、如何に密接な関係にあったか、そして一方、現代では暮らしとたてものづくりが、如何に疎遠な関係になってしまったか、自分たちが実際に手を動かすことでうかがうことができる。

2005年10月7日

ゆるやかな家具作り考

カテゴリー: 家づくりの理念


家具は、文字どおり、家の中の道具。
道具だから、日常生活の中で身近に頻繁に使うものなのに、今の無垢の木でできた家具はお値段が高すぎやしないか、ましてや、糊や塗装などを安全な材料で作ることをお願いしようものなら。

以上の家具の存在を否定するわけではない。いやむしろ家の中に、存在感のある広葉樹の一枚板のテーブルがほしいくらい。

しかし何十万円もするんだな、これが。
家の中全ての家具がそのようなものだったら、とてもじゃないが、お金がついてこない。きっと家族もついてこない。

やっぱり家の中の日常の道具なのだから、お手軽に手に入れることができないものだろうか。
そう言うなら、100円ショップ行けば、プラスティック製のものがあるじゃないか、と思うかもしれないが、いかにも無表情だし、心豊かな感じがしない。
何とか、家具の世界で「お手軽」と「心の豊かさ」を両立できないか。
前からそう思っていた。

しかし、今日はそうした世界に出会うことができた。
その世界の主は、日野でカフェをやっている山崎さん。
カフェを営みながら、その辺の雑木を使って自作で家具を作っている。
例えば椅子。
椅子って、その辺で拾ってきたような木で満足のいくものがまともに自分でできるんだろうか、と思うけれど、作り方を聞くとなんだか自分でもできそうである。
しかも、生木を使ってもいい、という。
全てがそうとは限らないが、生木は生木の使いようがあるとのこと。
これはさすがに軽いカルチャーショックを受けた。
家具の常識とは明らかに異なる世界だけど、しかし本当に自分の手でいろいろできそうな気がしてきた。

では、デザインはどうなんだ?やっぱり素人なりのものしかできないんじゃないの?と思うかもしれないが、いやいやこれがなかなかいいのだ。むしろ手が込まないから、素朴な風情のものができる。

確かにプロから見ればいい加減な作りかもしれない。
しかし、自分の生活を、自分たちの手で、身近にあるものを使って豊かにする術の一つとして、こうした家具の世界もあっていいと思う。
何もトラックや船に乗ってやってきた立派な銘木を使わなくても、その辺りの木だって生活を豊かにすることができるのだ。

実は、山崎さんの世界を里山に持ち込んで、里山を楽しむしかけの一つとして考えている。そうした目で里山を見れば、里山は資源の宝庫に変わる。
里山の維持・再生は、人との適切な関係、人の適切な手入れが不可欠である。
こうしたことが一つのきっかけとなって、再び里山と人との関係を取り戻すことができれば、と思う。