夕暮れ時の厨房
熊谷た邸、
カメラマン畑拓さんによる写真、その6。
夕暮れ時の
クリと銅と敷瓦の厨房。
クリも銅も
好きな素材ですが、
とくに達磨窯で焼いた
一枚一枚違う敷瓦が
面となった時に
全体に放つ幽玄な表情が
気に入っています。
熊谷た邸、
カメラマン畑拓さんによる写真、その5。
といっても、
竣工時ではなく、
これは竹小舞の時の写真です。
少し話が
飛躍するかもしれませんが、
私は浪人している時、
大学受験の勉強のため、
というよりも半分趣味で
「大学への数学」という
月刊誌を定期購読していました。
お目当ては、
巻末のコンテスト用の問題。
とにかく論理的思考を問う
問題ばかりで、
問題は二、三行だけど
回答欄はA4の紙いっぱいに
設けられている、という感じ(笑)。
それらを説くにあたり、
答え自身も大事だけど、
如何に説く過程が美しいかも
評価の対象でした。
これが何だか楽しくなって、
夢中になって取り組んでは、
応募していました。
あれから二十数年。
その後、自分探しの旅の結果見つかった、
木造建築という自分の道。
その道の中でも、
過程の美しさを
大事にしたい自分があります。
その答えの一つの手段が
この竹小舞。
こじつけかもしれませんが、
自分自身にその哲学が
身についたのは、
浪人の時のその経験も
多少なりとも
影響しているのだと思います。
今、我が子たちは、
これから本格的に
大学受験の準備が
始まります。
どの道に進むかは、
まだ迷っているようですが、
しかしどうせ取り組むのならば、
この「今」という時間を
大事にして、
仮に今目の前の教科書に
載っていることが
直接自分の将来に
関わることでは
ないかもしれないけど、
その取り組み自体が
将来の糧になると信じて、
乗り越えてほしいものです。
あ、今自分の後方に
子どもたちがいるもので、
つい熱くなってしまいました(笑)。
過程が美しい、
竹小舞の話でした。
熊谷た邸、
カメラマン畑拓さんによる写真、その2。
朝陽を浴びる、
敷瓦の土間。
小屋組はいたって
シンプルな構成ですが、
カヤの柱と、
マツとクリの梁が
静かにその存在を
主張しています。
熊谷た邸にて。
朝現場に行き、
検査での指摘事項等を
対応して、
今日をもって
施工のためにここへ来る機会は
最後となりました。
この場所と関わり始めて約4年。
当初はここへ来るのに
3時間半かかりましたが、
圏央道が徐々に伸び、
現在は約2時間半。
今日も6時半に家を出て、
9時に到着。
ずいぶん短くなったなあ。
しかしあさってには、
圏央道の相模原愛川と高尾山が
つながって、
計算上は2時間で
到着できることになります。
その二日前に
物語が終了するとは、
またそちら方面で
別の物語があることを
期待したいと思います(笑)。
それはさておき、
家づくりの物語は、
まだまだこれから
家が家でなくなるまで続きますが、
とりあえず第一章が
完結しました。
やった!という達成感も
あるのですが、
やはり寂しさのほうが
数段上回るものです。
自分の子どもが家を巣立つ時と、
きっと同じような感覚なんだろうなあ。
建主さんが秋に竣工祝いを
開いてくださるというので、
物語が次章に移り、
「子ども」の更なる成長ぶりを
見るのが楽しみです。
熊谷た邸にて。
土で壁を作るには、
下地の竹小舞を作り、
その上に荒壁土を塗り、
さらに何層も
塗り重ねていくのですが、
この家の居間は、
荒壁土仕上げ。
つまり最初の一層が
仕上げとなっています。
この壁が不思議なのは、
まだ「現場」であるときは、
壁の施工が
まだ途中なのかな、
という印象なのですが、
他が仕上がり、
そこが「家」になると、
とても味わい深い
壁となります。
塗った季節、藁の配合、
乾く速度、土の成分、
土を寝かした年月…
人間の仕業では
どうにもならない
様々な要素によって、
一つとして
同じ表情のものはない壁。
だから、
一つ一つの壁の前に立ち、
ついずっと壁を
見つめてしまうのです。
実は施工上は、
気を遣うべき点が多く、
たいへんだったりも
するけれど(笑)、
やっぱ好きだなあ。