伝統構法なのにイタリアン続編
先日塗った土佐漆喰混じりの砂漆喰。
乾いて少し白くなった。
それでもほんのり黄色を帯びていて、真っ白よりも品がある。
昼休み、建具屋の新井さんと話していたのだが、湯田さんが塗ると、粗い感じで塗っても端正に感じる。
先日塗った土佐漆喰混じりの砂漆喰。
乾いて少し白くなった。
それでもほんのり黄色を帯びていて、真っ白よりも品がある。
昼休み、建具屋の新井さんと話していたのだが、湯田さんが塗ると、粗い感じで塗っても端正に感じる。
客席に通じる廊下に、マリンランプが取り付けられる。
今まで、どちらかといえば照明器具はできるだけ存在感がないように設計することが多かったのだけど、この照明器具を見て考えが変わった。
マリンランプ。
「葉山」によく合う。
照明器具が取り付けられるということは、あともう少しで完成!!
待ち遠しいが、さみしいなあ。
湯田さんによる左官仕事が終わった。
2階は白土塗。
1階のお店になる部分は、砂漆喰(土佐漆喰と白漆喰を混ぜてます)。
いわば日本で伝統的に使われる仕上だけど、ガサッと塗ってもらうと一気にイタリアンな雰囲気となる。
これが左官仕上のおもしろいところだ。
左官だけではない。
日本の伝統的な手法だけを使っても、空間を作るうえで様々な実験、挑戦は可能だ。
日本の職人文化のこと、木の文化のこと、森のことなどを考えると、この先「伝統的手法」による仕事を続けていきたい。
しかし伝統的手法を使うとしても、こうして「今」の空間を形作っていきたいと思う。
逆に「今」の空間を提案していくことによって、伝統的手法が生きたものとなり、存続していくものだと考えている。
2階に塗った白土が乾いてきている。
写真を見ると、端から乾いている様子がうかがえる。
乾く途中の壁も、立体感があってふくよかな感じがして、いいなあと思う。
自転車で葉山のI邸に向かう。
外はこんなに寒いとは知らず、自転車にまたがって5秒後に、自転車で行く判断をした自分を恨んだ。
耳がちぎれそうだ。
しかし5分も経つと身体も温まり、冷たい風が快感に変わる。
長谷のあたりで国道134号に出る。
海沿いの道を、海風にあたりながら走るのは何とも気持ちが良い。
家を出てから走ること35分。現場に到着。
車で来るのと所要時間はほとんど変わらない。
その後葉山に滞在すること約6時間。
この間葉山のまちなかで自転車で行く用事もあったのだが、このまちは基本的に道が「人間規格」の幅なので、車よりも自転車が便利である。
多少地形の起伏はあるが、それがむしろ心地よい。
Iさんのところに食事に来るときは、なるべく自転車で来よう。
それなら酒も飲めるしね。
(ほんとうは自転車も飲酒運転はあかんらしいが)
I邸の玄関の扉は、鍛冶屋の柳楽さんが手がける鉄製の扉。
明日現場に搬入する前に、柳楽さんのところに伺って、状態を見る。
写真のとおりサビを出しまくり、そのうえに顔料入りのワックスを塗ると、とても雰囲気のよい表情となる。そのサビの状態を見に来た。
見に来がてら、作業場、そして作業の様子を見させてもらい、世間話。
イタリアの建築文化に話が及ぶ。
イタリアというのは「既製品」という概念がないらしい。
街なかにこうした鍛冶屋などがそこらじゅうにいて、こうした建具にしても小さな金物にしても、手作りが基本らしいのだ。
確かにその積み重ねが、街並みに反映されている。
11年前、婚前旅行としてイタリアに行ったときのことを思い出した。
そこには地に足着いた、生活からにじみ出てくる街並みの美しさがあった。
「観光地」でなくても、街中のどこを歩いていても飽きないし楽しかった。
一方で日本の建築は既製品だらけだもんな。
現に設計事務所は、圧倒的な数のカタログの整理に頭を悩ます。
果ては家一軒全体までもがカタログ販売。
安くて機能的な既製品をうまく使いこなすことも設計屋として必要だけど、目の前の鉄扉を見て、やはり自分が手がける家づくりは、手作りを基本姿勢にしていきたいと思った。
やはり手作りのものは、小さくても大きくても、モノが人に与える感動がある。
それと、柳楽さんの作業場の周りの雰囲気が気に入った。
プレハブ製の作業場、工場(こうば)が10棟近く建ち並んでいて、その中では柳楽さんと同じように、手仕事を基本としたものづくりが行われている。
こうした一つ一つの地道なものづくりが行われる光景が、実は「日本」なんだよな、なんて考えたりもした。