シジミバナが咲いた
今日の昼下がり、
玄関の扉を開けると、
春の匂いが
しました。
別れの季節の頃、
いつも感じていた
匂いです。
少し歩みを進めると、
玄関の先では、
白いシジミバナの花の群れが、
咲き始めていました。
一つ一つ控えめで小さな花も、
皆が集まり手を広げ、
上を向いて咲いていると、
とても華やいで見えます。
この春も、
みんなの力で、
これから楽しい何かが、
始まろうとしています。
今日は、
カジュアートスペースが主催する「ニットカフェ」に、
ムスメを連れて参加しました。
「ニットカフェ」とは、
みんなで楽しく編み物と、
そして食事を楽しみましょう!
という会です。
私は打ち合わせがてらでしたし、
編み物については
眺めているだけだったのですが、
ムスメは、
やさしいお姉さんたちに
いろいろ教えを請いつつ、
おしゃべりしながら
編み物作業に参加しました。
「ニットカフェ」を、
昔ながらの日本の民家で
催すという意外性も含め、
とっても楽しかったようです。
(名前からして、街なかの喫茶店か何かで
行うと思っていたそうです。)
そして、
作業の合間に美味しい食事!
今日は特別に、
ブラジルの方や、
イタリア人に見えるイギリス人や、
(本人もイタリア人になりたいとか。
でも機知に富んだ冗句を飛ばすタチは、
間違いなくイギリス人)
いろいろな人たちが居たので、
料理も多国籍。
典型的な日本家屋で、
様々な国の言葉が飛び交う中、
様々な美味しさを、
味わいました。
毛糸を編むだけではなく、
人も文化も世代も
タテヨコに編む、
そんな、楽しい日でした。
生の声を通じて得たことは、
身に沁みる。
昨日、それを実感しました。
車椅子の通行路の話。
私たちは、
車椅子を使う人が通れるように、
できるだけ段差がないように設計します。
高低差がある場合は、
それを斜路によって、
解決しようとします。
かといって、
それが解決策の全てかというと、
そうでもない。
実は長い長い斜路を作るより、
車椅子が昇れる程度の段を随所に作ってもいいから、
できるだけ平らな部分を作ってくれたほうが、
通行が楽、という話を、
昨日現地を目の前にして、
いただきました。
ああ、なるほど、
と思いました。
私も昔、
車椅子生活を
体験したことがあるのですが、
斜路って確かに、
昇るのにものすごく手の力が要る。
そして下るとき、
下る速度が加速するので、
けっこう怖い。
だから余計に、
その話に共感を覚えるのでした。
人間には、
言葉があります。
言葉によって、
今を生きる人たち、
そして昔の人たちが体験してきたことを、
私たちは感じることができます。
しかし同じ言葉でも、
生の声と、
活字の情報とでは、
感度が違う。
できるだけ野に出て、
生の声を聞く。
この大切さは、
幾ら情報手段が発達しようとも、
変わらないのだと、思います。
最近何かが足らないと思ったら、
身体を動かす機会でした。
以前は週末に、
杉板を焼いたり、
柿渋を塗ったり、
色々身体を動かす機会があったのですが、
今年に入ってからというもの、
机に向かっていることが多いのです。
年度末のこの時期、
(あー、これから確定申告)
何かが始まるこの時期は、
どうしてもそうなりがちではあるのですが、
やはり身体を動かす機会がないと、
何か物足りない。
しかし今日は、
きのかの家に行って、
菜園の区割を行うため、
久しぶりに外へ出て作業でした。
最近カゼをひいたこともあって、
何となく重く感じる日々が続いていたのですが、
身体を動かした後の今、
身も心も、
爽快な充実感があります。
春になりました。
カゼもようやく癒えました。
カラダ、動かすか。
久しぶりに、走りに出ようかな。
(確定申告終わったら)
我が家に住み始めて、
六年と半年。
しかし、
主に外廻りなのですが、
未完成のところが幾つかあって、
徐々に徐々に、
いまだに作り進めています。
つい最近は、
玄関の先の土間の部分。
この場で再三紹介している、
共和建材の五十嵐さんの達磨窯で焼いた
尺角の燻し銀の敷瓦を敷きました。
前々からの構想が、
ようやく実現。
敷き詰めてみるとやはり、
達磨窯の中で造形された、
神のみぞ知る模様と色合いが
とてもいい!
そして玄関を出るとき、
普段しげしげと眺めることのない屋根と
地面のつながりを
意識できるのもいい。
こうして何年経っても、
我が家にまだ、
作るべき部分、
変わりゆく部分
があるというのは、
楽しいものです。
さて、次は何するかなー。
先ほど書いたとおり、
湯田さんのお誘いで
土間をたたきがてら、
大和市の泉の森公園内にある二棟の古い民家を
見て回りました。
あたたかな灰色に色づいた茅葺の屋根だったり、
ほおずきなどがぶら下がっている軒の下だったり、
あるいは風雨によって洗い出された土壁だったり、
なぜでしょうか、
建ってから長い年月が経った今もなお、
‘アジ’という言葉以上に、
私たちを惹きつけてやまない
魅力がそこにあります。
そしてさらに不思議だったのは、
壁は少なく、
(基本的に壁は外壁だけといっていいくらい)
思った以上に梁や桁がとび、
その割りに材寸が小さく、
さらには
目分で六尺以上とんでいるにもかかわらず、
何と外壁側に小屋梁を受ける柱がない!
(そのうえにさすがに小屋束はなかったような気がしますが…)
ところがあったりするのに、
あるいは防水的な観点から見ると、
こりゃ雨が漏ったり染みるのではないか、
と思う納まりもありましたが、
百年以上も、
もちろん関東大震災も乗り越えて、
今ここにたてものが生き続けているのです。
(近所から移築した建物だそうですが)
そのかわり、
柱の足元を継ぎ換えたり、
壁を塗りなおしたり(湯田さんの仕事だそうです)、
その建物に手を入れ続けてきた跡が
随所にあります。
私は、建物が長く持つかどうかは、
いわゆる今「耐久性」として評価される
物理的要素もさることながら、
そういった要素が大きいのではないか、
と思っています。
愛ある手、愛ある人たちに包まれた建物は、
残そうと思えば建物は残していけるのです。
むやみに包み隠さず、
割と容易に手を入れられる建物かどうか、
また、直す職人の技術があるかどうか、
そして、使い続けたいと思える建物かどうか。
古い建物を見て回るたび、
そうした背景が、その建物にあるかどうか、
これらが建物の生きる長さを決める
大きな要素なのではないかと思うのです。
‘伝統’を踏襲し、
‘伝統’を超え、
そうゆう建物を、
作り続けて、いきたい。
古い民家の小屋裏を見上げながら、
そうした想いを、
いっそう強くするのでした。
昨日の昼下がり、
左官屋の湯田さんのお誘いで、
大和市の「泉の森公園」の一角にある
古い民家の土間をたたいてきました。
到着するなり、
そこに居た皆さんの嬉しそうな笑み。
こちらもやる気満々で、
早速臼のような道具↓でたたかせてもらったのですが、
最初は威勢よくボンボンと叩いていたものの、
一分もしないうちに、
これはえらい仕事だと、
思いました。
あとで棒でたたく作業も行いましたが、
いずれにしても実に地道で体力を使う作業で、
少なくとも少人数で黙々とやるよりは、
おおぜいでワイワイ言いながら
やったほうがよさそうな仕事です。
私が到着したときの、
皆さんの少し含みのある笑顔が、
とても理解できました。
それでもたたけばたたくほどいい、ということで、
先ほどの臼みたいなものや棒でたたき続け、
だいぶやったな、と思って時間を見たら、
まだ1時間も経っていないじゃないですか。
体力にはまだ少々自信のある私ですが、
これには相当応えました。
しかし、
こうして体力的にきつい仕事を
おおぜいの人たちと共有すると、
土間に関する話、
建物に関する話、
あるいはたわいもない話、
そこに居る人たちと、
自ずといろいろ会話が生まれます。
共同作業の、醍醐味ですね。
なお、関係ありませんが、
昨日の夜は、居酒屋「土間土間」で酒を飲みました。
思いがけず、土間づいた日でした。
夕方、知り合いの女の子から、
電話がかかってきました。
その子は大学生で、
自然が大好きで、
森や木にかかわる仕事を探していたのですが、
念願かなって、
そうした仕事につけたのこと。
以前、森や木の世界を紹介した縁で、
そのうれしいお知らせを伝えるために、
電話をくれたのでした。
電話の向こうの、
とてもうれしそうな声。
こちらだって、
女の子が、
森や木に目を向けてくれるだけでも、
うれしいのですが、
これから仕事として
関わってくれるなんて、
ホントうれしいです。
仕事だから、
うれしいことも、
またつらいことも、
この先いろいろあると思いますが、
それも、仕事。
その屈託のない笑顔で、
森や木の世界を、
よりいっそう、
明るくしていってほしいなあ。
先日、友人の観光案内で、
円覚寺に行きました。
こういうとき、
私にとっては、
観光を楽しみがてら、
古い建物を見ることができるので、
一石二鳥です。
こうして古い建物を
見て回るうち、
最近面白いなー、と思うのは、
大きな鐘のぶら下がった鐘楼です。
あれだけ重い鋼の塊をぶら下げながら、
基本的に壁は少なく、
あるいはほとんどなかったりで、
現代の標準的な木構造に対する考え方と、
まるで対照的な建物ですが、
長い年月、
風雪に耐えながら、
お寺の境内の一角に、
凛と屹立しています。
構造的な条件が
実に厳しいといえますが、
それだけに、
力の流れ、
構造上の表現が
研ぎ澄まされていて、
一本一本の木に
それぞれたいせつな意味があるから、
見ていて楽しいのです。
さて円覚寺。
ここの鐘楼は、築約七百年!
ということは、
あの関東大震災も乗り越えて、
今ここにあるということですね。
足固めの下を支える短い列柱。
手すりや柵としては野太すぎますので、
やはり、
そうした機能を兼ねつつも、
足固めの曲げを受けるという、
構造的な意味もあるのではないかと
思います。
破風がごついです。
山の上に建っているから、
文字通り、
風から守るためなのでしょうか。