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2006年4月11日

がけぷっち

カテゴリー: 今日のできごと

小学校二年生(7歳)になる息子がいる。

第三者の意見によると、自分と姿かたちが似ているようだ。
息子をどこかに連れて行くと、いろいろな人から「似てますね〜」と言われる。
髪の毛はパーマをかけたのかと思うほどクリクリ、容姿はまだ幼く、同級生の中でもいちばん背丈が小さく細身(まだ18kg)のほうなので、昔から中肉中背(子どもの頃はむしろデカかった)の自分と似ているとはそれほど思わないが、言動や行動を見ているとそうかもしれない、と思うときがある。

その特徴は、以下のとおり。
・感性に従って行動
・一つの物事に没頭し、好きなことなら同じことをし続けても飽きない
・何事も前向き、というかあまり細かいことを気にしない
・自分のことが大好き
・一文字違いをよくする

この前も、例のごとく甲高い甘えた声で、
「○○で読んだんだけど〜、‘がけぷっち’ってなあに〜」
と聞いてきた。
文字で書くと「がけっぷち」を読み間違えたんだと思うが、耳で聞くと、最初アニメのキャラクターなどのことを聞いているのかと思った。

それにしても、「がけっぷち」を「がけぷっち」か。
追い詰められたときでも、なんだか楽しそうな雰囲気だ。
やはり、何事も前向きなやつだ、ということにしておこう。

2006年4月2日

京都のまちを徘徊〜路地を歩く〜

カテゴリー: 今日のできごと

京都のまちは、社会の教科書に載っていたとおり、基本的に碁盤の目。
だからそれぞれの道に名前がついていて、住所はその道の名前にしたがって付けられる。
例えば、河原町通りと四条通が交わる地点は、「四条河原町」
またその四つ角に対して、「上ル」「下ル」「東入ル」などによって住所が定められる。
それもあって、京都の住所は非常に長い。
京都の後横浜に住んだが、横浜の住所もたいがい長かったけど、それでも自分の住所が短くなったことを実感した。
それと郵便番号帳を見るがよい。
この京都の複雑な住所の仕組みにより、郵便番号もすごいことになっていて、京都市だけでかなりの頁を割いている。

最初この仕組みに戸惑ったものだが、しかし慣れるととても便利だった。
夏の1週間、街なかの寿司屋で配達のバイトをしたことがある。
当然住所を頼りに配達するわけだが、道の名前を覚えると行く方向の見当がつくし、複数のお客さん宛に配達するときは、わざわざ地図を見なくても、効率的に回る順番を見出すことができた。

つまり、‘一見さん’には不便に感じるかもしれないが、そのまちに居る人にとっては実に便利な仕組みだった。

さて、その中でも今日歩いた中で印象的な路地を紹介。

まずは「錦」。
ここはたいへん有名な街なかにある京の商店街である。
日曜日の雨模様のお昼、人でごった返していた。
あるいは、人が多かったのは事実だが、道が狭いから余計に賑わっているような感じがして、目的もなく歩いている自分も、何となく楽しい気分になってくる。
それに人がたくさんで先が見えないので、「この先はどうなっているのだろう」という好奇心が芽生える。

次に、四条河原町を北西に入った路地。
両手を伸ばせば届きそうな道の幅。
そこに所狭しと飲食店などが連なる。
実はこの右手に学生時代たまに飲んだ店(部の宴会がよく行われた場所)があったのだが、今はこぎれいな店に様変わりしている。
この道は例外的に曲がりくねっているのだが、それもあって余計にここも「この先どうなっているんだろう」という好奇心が芽生える。

このように京の街なかを歩くと、道路が車のためではなく、そのまちに住む人間にとって便利なように、楽しいように設計されていることに気がつく。
昔の人たちの設計だから、歩く人間が主役なのだ。
だから、景観が多少現代的に変わろうとも、歩いていて楽しいのかもしれない。

京都のまちを徘徊〜土壁を見る〜

カテゴリー: 今日のできごと

先ほどの続編。
今度は土壁について。

土壁のみに視点をあてて京都のまちを歩くのも面白い。
まず色が多様である。
漆喰の白い壁、黄色の土壁、浅黄色の土壁。黒い土壁…
建て主の美意識と個性がここにもふんだんに表れている。
そして芸が細かい。
さすが日本の都、職人の腕も最高峰が集結しているのであろう。
いつだったか左官屋の湯田さんも、左官工事の技能は「京都は最高だよ」と言っていた。

それでは、まちで見かけた土壁を幾つか紹介。

今回見つけた中で気に入った壁の一つ。
大小混ざった砂などが味を出しています。
また、板金に頼らない、こまやかな左官仕事による水切り。
微妙なふくらみが柔らかい印象を与えます。

少し灰色がかった土壁。
この写真は、上の板壁にも注目。
自然にできた(であろう)目透かしが、長い歴史を感じさせるとともに不思議な印象を与えます。

黄色いです。

黒いです。

街なかで見つけた土塀。
土塀に掘り込んで落書きとは、京都ならではです。
皆さんは絶対に真似しないように。
土壁のきずも、いくところまでいくと味があります。
(我が家の壁を見るよう…)

最後に、板壁がはがれたところから見え隠れする下地の土壁を発見。
昨日京都動物園を歩いても感じたことですが、京都の土は白っぽいようです。

京都のまちを徘徊〜瓦の軒先を見る〜

カテゴリー: 今日のできごと

ヨメの帰省のため、年に2〜3度は関西に行くのだが、その度に一日は一人京都に足を運んでいる。
毎回だいたいの方面は決めるものの、目的もなく、気の赴くままにぶらぶらと歩くことにしている。
今回は、三条〜四条の間、まさに街中を歩くことにした。
京都の街中だから、碁盤の目をジグザグに歩く。

京都の街中を歩くと気がつくことだが、そこに建っている古い建物はだいたいが、
・前面には細かい間隔の格子
・前面の壁は腰までが板壁、その上が左官壁
・妻側の壁は縦張りの板壁
・屋根には瓦
という構成。
それしかないといっても言い過ぎではないくらい定型化されている。
しかし、その定型化された建物の一つ一つをよく見ていくと、壁にせよ瓦にせよ一つ一つ微妙な差があることに気がつく。
その中で建物の持ち主は、自分の美意識と個性を表現している。
もしくは、時代ごとの流行が反映されているのかもしれない。
いずれにせよ建物の意匠の微妙な差を発見していくことは、街なかで宝探しをしているようで、本当に面白い。
デジタルカメラでそれらを採取して歩いていたら、あっという間に3時間が経っていた。

まずは京の瓦の世界を紹介。
軒先の意匠に注目してみる。
以下の写真は全て何百mも離れていないところで採取。


鎌の軒先。
鎌の軒先はどちらかというと細く緊張感のある印象を与えるが、ここでは漆喰の曲線の影響で柔らかい感じがする。


鎌の先に唐草模様が入っている。
唐草模様が入っていることで、こちらも柔らかい印象がある。
また、唐草模様が入っているということは、格式も高いのかな?


模様がたくさん入っている。
派手ですね。
この模様は家紋かな?


分厚い一文字の軒先。
重厚感がある。
格式の高い家柄なのだろうか。


一文字の変形。
(きっとこの形状に正式名称があるに違いない。)
この形状は初めて見た。
すっきりしてなおかつ柔らかい印象である。


同じく一文字の変形。
お寺さんの塀で採取。
一つ前の写真よりも角ばっていて、カチッとした印象である。

2006年4月1日

もうひとつの故郷に顔を出す

カテゴリー: 今日のできごと


昨日から4月3日まで、子どもの春休みを利用して、また私の友人の結婚祝いへの出席を兼ねて、滋賀県にあるヨメの実家に滞在。

この日は、子どもといとこを京都動物園に連れて行くことにした。
滋賀県にあるヨメの実家から京都に入るのに、国道1号がどうも混んでいたので、山中越えを使うことにした。
そうすると、私が学生時代住んでいた下宿の近くを通ることになる。
めったにない機会なので、立ち寄ってみる。

古い建物だったし、あれから10年以上経っているのでどうなっているかと思ったが、全く変わっていないことに安堵する。
横に流れる白川のせせらぎの音の中で、しばしそこに佇みながら、当時の生活ぶりを思い出す。
10年以上前の時間旅行だ。
まさかここに子どもを連れて来ることになろうとは。

ここの住まいは、家賃が14,500円/月であった。
そしてその家賃は、毎月大家さんに手渡し。
毎月お金を渡しに行く度に、大家のおばあちゃんの昔話を聞いたものだ。
10年以上前のことだが、かなり珍しい家賃設定と送金方法。
そういえば、当時グランド通いのためにポンコツ車を持っていたが、その駐車場代が17,000円/月だったから、車のほうが「高級」なところに住んでいた。

仕送りは決して潤沢ではなく、しかし当時ラグビーに明け暮れ、十分にバイトなどできなかった私としては、とてもありがたい話であった。
しかも環境はというと、白川のせせらぎが聞こえてくるばかりで、とても閑静。

で、どんな住まいだったかというと、5.5畳(京間)の居室+0.5畳の押入、便所と炊事場は共同。洗濯機も共同。風呂はなし。エアコンはもちろんなし。
当時はこれで十分満足だったし、楽しかった。
風呂は京都のそこらじゅうにある銭湯を利用すればよかったし、むしろ毎日いろいろな風呂を楽しむことができたりした。
そして洗濯機が共同で使える、というのは隠れた長所だった。
こうした下宿の場合は通常コインランドリーに頼る必要があったからだ。
まあ、たまに大きな蜂が入ってくるのと、隣で何のテレビ番組を見ているのか分かるくらい隣と音が筒抜けだったのが難点だったが。
それでもかまわず、そこにみんな女の子やたまに地元から来る友だちを呼んでいた。
「お互い様」の世界だったし、本当に迷惑だと思ったら「うるさいで!」と言えばよかった。

狭いし、夏は暑いし、冬は寒いし(とくに京都は)、客観的に見たら現代日本の中では決して良い生活とはいえなかったであろう。
しかし「足るを知る」ことで幸福を感じ、その中で生活を豊かにしようとする術を学んだ。
そして共同で暮らすことの楽しさ、共有することの合理性を体験として得ることができた。

「住まうとは何なのか」
「幸せとは何なのか」
私は今、たてものやとしてこれらの問いを考え続ける日々だが、ここでの愉快な生活体験は、その解を得るうえでたくさんのヒントを与えてくれる。


下宿から南側を望む。
右は白川、その先にちょっとした桜並木がある。
東よりも西のほうが寒かったのか、まだ開花していない。

2006年3月15日

ぜ〜

カテゴリー: 今日のできごと

本日確定申告の最終日。
一昨日から領収書の整理を始めたのだが、今朝になってもまだ少し残っている。
しかも今日は朝から会議だ。
会議が予定よりも長引き、自宅に14時30分頃戻る。
移動時間を30分見たとすると、あと2時間しかない。

人は追いこまれると「バカ力」を発揮する。
年に何度とない集中力で、何とか16時45分に作業終了。
(正確に言うとわずかに残っていたのだが)
急いで自転車をまたぎ、鎌倉税務署に駆ける。
17時ちょうどぐらいに到着し、税務署に入れてもらう。
シャカリキに自転車をこいだので、もう、冷や汗交じりの汗だくである。
汗を幾度となくぬぐい、呼吸を整え、少しそこで作業して、無事(?)確定申告書を提出した。

確定申告前は、普段使わない「脳ミソ」を使う日である。
実に気が重いのであるが、しかしこの作業を自分でやることによって、自分の経済状況と世の中の仕組みの一部をよく把握できるので、自分にとって必要なコトなのだ、と言い聞かせて作業している。
そして作業が終わり、税務署の方に書類を提出した後は、学校の期末試験、あるいは大学受験が終わった直後のような、領収書の箱とともに実にスッキリした気分になる。つまり、何だか若返ったような気がするのである。

とはいえ、こんなギリギリではなくて日程に余裕を持ってまとめるなり、また日々、とまではいかなくてもせめて月単位で自分の経済をとりまとめるなりしようと、帰り自転車をゆっくりとこぎながら、自分に強く言い聞かせた次第である。

2006年3月11日

原始の記憶が蘇る

カテゴリー: 今日のできごと


「雑木林でガーデニング!」のイベントにて作られた椅子の一つ。
そのうえに乗っているのは、木のパズル。
そのパズルで子どもたちが喜んで遊んでいた。

雑木林の木を使って工作する技術は、気の赴くままに、思いついたままに工夫して作ることができる。
形状も、割いた形なり、削った形なりで、結論は神のみぞ知る世界に近い。
(プロになれば違うんでしょうけれども)

そして、青空の下、森の中で作業するという状況が、私たちの原始の体験と記憶が蘇り、「人間」の「人間」たる確証を得るような、そんな気がした。

お手軽に椅子を作る

カテゴリー: 今日のできごと


「雑木林でガーデニング!」では、ほとんど皆さん、野外で使う用の椅子を作っていた。
見本がそうだったからかな?

何しろ簡単だ。
作ろうと思えば15分程度で作れる。
木を板状にして、その裏に3点穴を空け、その穴に入るように削った足を差し込んで叩き込めば完成!!
その手軽さがいい。
またその粗野さがかえってカッコよかったりする。

削り馬を使っている様子

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「シェービングホース」を使って削る様子。
使用者が手にしているのは、「ドローナイフ」。
両手に持って、手前に引いて木を削る。
ちょっとした「カンナ」がわりだ。
自分に向かって削るなんて危ない、と思うかもしれないが、両手で持って削っているかぎりは、よっぽど肩の関節の柔らかい人でないかぎり、まず自分の胴体には到達しない。
試しに何か棒を両手で持って自分の胸のほうに近づけてみるとよい。
胸に棒をつけようとするには、けっこうな努力がいるはずだ。

さて、これで削っていると楽しくて、つい自分の世界に入ってしまう。
目的もなく、ひたすら削っているだけでも楽しいのだ。
あるいは「おのれ〜」とか言いながら削れば、ストレス解消にいいかも。

削り馬

カテゴリー: 今日のできごと


写真の道具は「シェービングホース」というそうだ。
いわゆる「万力」の役目をする。
これで木を固定して木を削る。
足の動きで木を固定したり緩めたりするので、木の固定がラクラクできる。
作業性がいいのだ。

この道具は伝統的な英国の技術らしいが、昔の英国の山の人たちはこうした道具すらまず山の中で作り、そしてその道具を使って現地で椅子などの家具を作ったそうだ。
この技術があれば、一生山の中で暮らしていける。

う〜ん、うらやましいというか見習いたい技術だ。