身体は正直
15年来になろうか、学生時代から使っているセラミックファンヒーターがある。
今仕事机の足元に置いているが、最近それを付けると少し頭痛いなー、で消すと身体が楽になるなーと思っていた。
で、試しにセラミックファンヒーターから30cmほど離れたところを電磁場測定器で測ると、とんでもなく高い数値が。どおりで。
人間感知器もダテではない。
先週開催された木の建築塾の、鳶職人の話の続き。
まずは山口政五郎さんの印象。
典型的な江戸っ子風情。親分肌。
どちらかというといかつい感じ(失礼)だが、言葉がとても丁寧。
お客様を大事にしている心が伺える。
言葉の歯切れもよく、話を聞いていて気持ちいい。
鳶は一昔前はまちの調整・相談役。
コーディネーターといった方が分かりやすいか。
足場をかけたり基礎を打つといった建設作業だけではなく、いざというときは冠婚葬祭などまちのイベントの段取り役だったそうだ。
だから鳶は、「カシラ」とも呼ばれる。
次に印象に残った言葉を幾つか羅列。
「金を出す奴は口出すな。金がなければ知恵を出せ。何もなければ汗をかけ。
…金を出す奴が口出すと、下の奴がシラけてしまう。」
この言葉、とても気に入った。
オレは知恵と汗を出そう。
「大工は、無から有を生み出す。鳶は無から有を生み出し、そしてまた無に帰る。」
はかない。
この日本の美意識に合う仕事。
そういえば、今年の夏、葉山の海の家「ブルームーン」の竹組みを見てとても気に入ったが、あれは鳶の仕事の延長やね。
「日本の建築文化は関西から来ている。だから関西のやり方は合理的であることが多い。」
なるほど。
「縄は切ってはいけない。切らなければ何回でも使える。」
「古くなった縄は、荒木田に混ぜるといい。枯れているからちょうどいい。」
どんなものでも最後まで使い果たす精神。
これを当たり前のようにやっていた。
今僕らが、「エコ」とか「環境共生」とか言っていることは、昔はごく当たり前に取り組んでいた行動規範であった。
酒匂さんの話を聞くと、「パーマカルチャー」もそうだ。
「もったいない」という心がけ。
そういえば昨日、子ども(弟の玄)と椅子作りをした。
前々から「23日に椅子作ろう」と約束していて、子どもはこの日を待ちわびていた。
玄はまだ7歳なので、まだまともに工具を使えないが、横で「何かやることはないのか」とうるさい。といいながら、切れ端を積木代わりに、私の横で何やら夢中になって遊んでいる。
こちらも大工仕事を始めたら始めたで、夢中でとりかかる。
…痺れを切らした玄は、電動ドリルを意味もなく回したり、しきりに工具を使いたがる。
せっかくだから工具の使い方を教えるが、まだまだ危なっかしい。
とまあ、そんな午後のひとときを玄と過ごした。
こういう形で子どもと家で時間を共有したのは実に久しぶりだ。
自分も気分が落ち着くし、子どももなんだかうれしそうだ。
たまには、月に一度くらいは、こうした時間を作ろう。
昨今建築業界は、どこもあの話題でもちきりだ。
住まいは、「構造」ありきです。
なぜならば、字の如く、住まいは人が主(あるじ)だから。
大金はたいて手に入れるものがそう簡単に壊れちゃ人は困る。
ちょっとした自然災害で危険にさらされちゃ人は困る。
「法」で云々以前に、人として人様に建てる家を考えれば、その表現方法は人それぞれだろうけれど、「構造」は前提の一つになるはずだ。
一方、今の住まいづくりって、カネが中心となって回っとりゃせんか。
早く。安く。さらには目に触れないところは安いもんでごまかしちまえ。
今回の事件は、その象徴だ。
今晩は、鳶職人 山口 政五郎さんの話。
まさに江戸っ子、という感じでしたね。
鳶職人の話はなかなか聞く機会がないので興味深かったです。
写真はお仮屋(初めて聞く単語)の模型。
詳しくはまた後ほど。
今日、パーマカルチャーの公開講座のため、東京農業大学に足を運ぶ。
私はスタッフとして、道案内人としてキャンパス内に立っていた。
すると、少しガタイのいい男どもがブレザーを着てぞろぞろと歩く姿が目に入ってきた。
どこかで見た光景だ。
そのうち、後輩と思しき人たちが大きな荷物を持っていて、その中にはラグビーボールが。
やっぱり。
恐らくここでラグビー部の公式戦、もしくはジュニアなどの試合が行われるのであろう。
こうした光景を目にするのは、何年ぶりであろうか。
とても懐かしかった。ラグビーしか見ていなかったあの日々のことを思い出した。
と同時に、思わず右足に目を落とした。
ラグビーの世界に少しでも触れると、どうしても13年前の3月20日、あの瞬間のことを思い出す。右膝の前十字靭帯を傷めた瞬間。今までの人生の中で、恐らく最大の挫折。
その後3回同じところを損傷し、いまだ治っていない。
3回目を損傷したのは3年前になるが、とくにそれ以来、意識的にラグビーの世界と距離を置くようになった。
3年前までは機会があったら草ラグビーを年に数回楽しんでいたが、ちょうど仕事のほうもアブラが乗り始めた頃なので、右膝の件は、「もうラグビーはあきらめようや、仕事に集中せい」という神様の思し召し、と考えるようにして、それ以来ラグビーとはテレビで観戦することさえ遠ざけていたのだ。
しかし今日、10数年前と同じような光景を目にして、その頃の自分、そしてあの瞬間のことを昨日のことのように思い出し、立ち止まって目を閉じた。
10年以上経った今もなお、まだ正面からその現実を受け止めきれない、あきらめきれない自分がいる。
しかし、あの日以来悔しい思いをしたから今があるのだ。
何が起こるか分からんから、行くところまで行け、濃密に生きようという気持ち。
それが強化されたから今の自分がある。仕事に没頭できる自分がある。
そして、人間の弱さを思い知った自分がある。
右膝の縫い傷は、自分の一つの里程標。右膝に感謝!
膝が膝なのでもうプレーするのは無理だけど、また再び少しずつラグビーと向き合っていきたいと思った。実は講座の最中、試合の様子が気になってしかたなかったのだ。
経師屋が主に使う糊。写真手前から、
・CMC(ケミカルメチルセルロース)
・テングサ(海藻の一種)
・古糊(正麩を何年もねかしたもの。その間、カビがたくさん生えるそう)
・正麩
糊の話も、これまた奥が深い。
岩崎さんの糊に関する語録を。
・糊は本当は弱く貼る方がいい。今は短所に捉えられるかもしれないが、将来きれいに剥がすことができるので、更新可能。
・現在、正麩のような自然でできた糊と化学合成糊があるけれども、化学合成糊の方が圧倒的に簡単でばらつきがなく、きれいに仕上がる。だけど自分たちが自然の糊にこだわるのは、「意地」でやってる(笑)。
・しかし、10〜20年したらその差は絶対に出てくる。やはり自然の糊で弱く貼った方が長い間きれいだと思う。
・昔の名人は、究極は糊を使わないで水だけ!で貼る。
最後に。岩崎さんが言っていたことで印象的な言葉。
・いい仕事をする職人は宣伝しない。
・自分たちのまちにも、実は名人芸の職人が隠れているかもしれない。
・だから、設計屋はぜひ足で情報をつかんでほしい。
設計屋は、実は体育会系?
だから性分に合っているのか?
そういえば10数年前、グランドで走る量が自慢、なんて時代がありましたなあ(遠い目)。
写真は、むかしむかしの本。
本としては価値がほとんどないそうだけど、経師屋にとっては宝だそう。
何しろ紙質がいいのだそうだ。
古い紙は漂白されていないので、ほぼ昔の状態を留めている。それどころか、紙がなんともいえない柔らかさに落ち着いている。
これらを襖等の下地に使うのだ。
紙の世界は、下地に使う紙でも、本当に奥が深い。
しかし、これを壁の仕上に使ってもおもしろいんじゃない?
今日は、経師屋の岩崎さんの話。
木の建築塾はスタッフとしてお手伝いさせてもらっているが、今回は私が担当。
これまで岩崎さんとは面識がなかったが、これを機会に何回か木場にある岩崎さんの作業場を訪れ、経師屋の世界を垣間見て、今日お話いただくことを楽しみにしていた。
というのも、経師屋には、紙、糊、貼壁、表具、掛軸、屏風…、と多岐にわたる世界が広がっているからだ。
紙一つとっても、実に深く広い世界である。
事前の打合せで、岩崎さんが「2時間で足りるかなあ」というようなことを言っていたが、実際本当に足りなかった。
話し方は職人らしいポツリポツリとしたしゃべり方だけど、次から次に話題が湧き出てきて、次に何が出てくるんだろう、と興味を引き続ける。2時間が本当にあっと言う間であった。
伝統構法に取り組んでいるとはいえ、実は経師屋とはあまり接点がなかったこともあり、とても勉強になった。
紙にまつわる岩崎語録を幾つか。
・紙は古い方がいい。
・今の紙は苛性ソーダで漂白しているので、悪い材料でもごまかすことができる。
・紙には、裏表だけではなく、縦横がある。
・いい和紙の音は、パリパリという音。
・サンプルに載っているものをそのまま使うな。自分で世界を作ってほしい。
(ちなみに写真に写っているのは、ある施主が自分で紙に柿渋で模様をつけた独自のもの)
・「冷やかし」という言葉は、吉原と紙作りから由来している?
通常は年に1度がいいペースなのですが、相当身体がけがれていたのか、またみそぎ期間に入っております。
先週、ブログにアップすべきできごとについては、夏休みの宿題の絵日記のようですが、後でアップしますので、もう少しお待ちあれ!