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2024年10月10日

省エネとは

燻し瓦を焼く装置の達磨窯は、耐火煉瓦と土でできてます。窯の中は夜通し約11時間薪をくべ続けて最高1,000度に達するのですが、写真のようにその薪たちの一部は、窯に寄りかかるように積まれています。ということは、約30cm向こう側で1,000度になってても、木には燃え移らないということです。燃えないどころか、窯の表面を触ってもびっくりするほど全く熱くない。瓦を焼くたび、土壁の恐るべき「断熱」性能に驚かされます。

一方で世の中に出回っている断熱材で、同じように窯を作れますでしょうか。いくら高性能であっても、恐らくあっという間に跡形もなく燃えてしまうと思います。しかも異様な悪臭と火の色を放って。(余談ですが、合板や集成材を窯の中に突っ込むと、異様な炎の光とともに、人工的な匂いがします)

しかしそんな恐るべき「断熱」性能を持ち、しかもヘンな加工しなくても身近なここそこで材料を手に入れることのできる土壁のたてものは、制度上法律上、「省エネ」じゃないという理由で年々やりづらくなっていきます。火に対してどうかという話が少々飛躍していること重々承知してますが、しかし土を上手く使えば、「省エネ」できる可能性は絶対にあるって。

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2024年10月1日

伝えたいこと

今日は午前中さいたま市の古民家の中で打ち合わせ。

さいたま市はお昼気温35度以上あったようですが、
ここで今日何度も聞いた言葉は「こりゃエアコンいらないな。」

木と土に包まれて呼吸する空間で、
緑の間を抜けて大きな窓から入ってくる爽やかな風に触れると本当に涼しい。

この感覚を、建築の法律作っている役人たちに本当に感じてもらいたいです(2度目)。

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2024年1月2日

笑い門松から始まる2024

2024年が始まりました。いきなり神様が私たちに大試練を与えてくださっていますが、とにかく一人でも多くの方々の無事を祈るばかりです。そして自分たちの足元もいつそうなるか分かりません。祈りとともに備えを強めていきたいと思います。

ところできらくなたてものやは、今年で設立二十年を迎えます。この工法を仕事にしたい、この工法でまちをつくりたい、その強い思いだけで立ち上げ、それ以外の経営や営業センスなどまるでない私は、設立当初はこんな長い期間仕事が途切れることなく継続できるなんて夢にも思いませんでしたが、本当に支えてくださった全ての皆さんのおかげでここまで来ることができました。最初は年上の職人の方々に教わりながら、その後徐々に仲間が増えていって、気が付けば仲間の中で年長の部類に。今では優秀な「弟子」たちに支えられてきらくなたてものやは成り立っています。

成り立っているだけではなく、若い世代だからこその馬力と発想で、発展的に進化を遂げる兆しがあることがとてもありがたいです。その象徴がこの「笑い門松」。当初は私が竹林作業の際に遊び心で作り始めたものが、いつしか一つの作品として確立されていき、その作り方を弟子が体系的に整理して、今や毎年恒例のWSプログラムになりつつあります。

私の力など知れています。現場でコツコツ手を動かしていたい一方で、物覚えが悪く、要領も悪い私です。そのくせ、やりたいこと、やりたい希望だけはデカい(笑)。だからこそ支えてくださる方が不可欠で、私は全ての仲間が「やりたいこと」に対する気持ちを一つにしつつ、彼らがいかんなく力を引き出せるように、引き続きその環境づくりに努めてまいります。

そしてこの門松のように、きらくなたてものやに関わる全ての方々がえがおになりますように。

それでは今年一年も何卒よろしくお願いいたします。

2023年7月1日

床を気持ちよく

古い家の断熱改修工事が始まりました。

床は大引の間に厚板を落とし込んで、この上に根太を敷き直します。これによって大引の不陸調整ができ、その上に敷く断熱材の落下防止にもなります。古い家の床下を潜ると、よく根太間の断熱材が落ちていますが、根太が収縮するので対策が必要と、床下を潜るたびに思います。

またそもそも厚板があるだけでも、間の空気層とともに効果があると考えています。

2020年1月6日

場を手入れするような~新年のご挨拶~

毎年秋の新月前、
竹を伐りに行きます。

翌年の建物に使う材料を
確保することが目的なのですが、

この場所で作業すること自体が
とても気持ちいい。

そして私たちの仕事に
応えてくれるように、

竹林もさらに
気持ちいい場所に
なってくれることが
とてもうれしい。

場は、適切に手入れすることで
気持ちよいところになることを
竹林は教えてくれます。

竹林で感じたことに学び、

きらくなたてものやは
場を手入れするようなたてものを
今年も試み続けていきたいと思います。

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2019年2月15日

食卓が軸の家

基本的にはのんびりと
子どもたちを育ててきましたが、

いや、育ててきましたが、と書くのも
ちょっと当てはまらないような気がするので、

子どもたちと過ごしてきましたが、
にします。

そんな中でも
一貫してヨメが貫いてきたことは、

毎日夕ごはん作りに
力いっぱい向き合ってきたこと。

自分が食べたいからも
あるかもしれませんが、

仕事から帰ってきて、
そんな気合入れて
おかず作らんでもええやん、
と思うほど、

質も量も
充実した食卓の日々を
過ごしてきました。

そして私も、
一貫して貫いてきたことは、

自分が食べたいからも
ありますが、

おいしいと思える食材を
手に入れること。

具体的には約15年間、
自然農法による農作物を
購入し続けてきました。

実は数日前、
いつも食べているお米が
米びつの底をついたので、

別のお米の袋を開けました。

それを知らずに
その日のお米を食べたムスメは、

「あれ、お米変えた…?」。

やっぱりいつも食べているお米を
気に入ってくれていたようです。

日常は仕事、
週末はラグビー、

自分の子どもたちのために
どこへ出かけるわけでもなく
なかなか時間もお金も
費やせずにいたのですが、

お米に対する一言で
価値観が伝わっていることを感じて、

なんだか救われたような気がしました。

そんなわけで
自分が間取りを考える時、
食卓を軸に描く傾向が
あるように思います。

2017年10月27日

きらくなお風呂考

カテゴリー: 家づくりの理念

職人がつくる木の家ネットで
お風呂に関する記事が出ました。

ほとんどの人が
毎日お世話になるお風呂。

入る時間の長短はあれど、
一日の汚れを落とし、
明日に向けて再出発するために、
とても大事な場所。

設計するうえでも
力の入る場所の一つです。

さてここで、
少し自分の話をさせていただきます。

私はここ数年、
ごしごしと身体を
洗ったことがありません。

ですので石けんの類も
使ったことがありません。

頭髪にもシャンプーを
使ったことがなく、
お湯だけで洗います。

そのかわり、
最低15分以上、
じんわりと汗が出るまで
お湯に浸かります。

最近では
湯船に浸かりながら、
音楽を聴いたり
動画を見たり
ネットサーフィンしたりするので、

気がついたら
30分以上経っていることもあります。

数年間それを続けてみて
一日の汚れを落とすには、
これで十分だということが
分かりました。

たぶん周囲に
気になるような悪臭も
放っていないと思います(笑)。

実はそのお風呂の入り方は、
そうしてみよう!
と意識していたわけではなく、

知らぬ間にお風呂の中で
眠ってしまうことが多かった頃があり、

眠さで身体をごしごしするのが
めんどくさくなり、

頭だけ洗って出てしまう
というお風呂暮らしから
始まったというのが真相です(笑)。

そしていつだったか、
銭湯に行った時、
備え付けのボディソープとシャンプーを使って
身体と頭を洗ったことがありました。

すると、
ごしごしされることに慣れていない皮膚から
汚れだけではなく身体を守ってくれている何かも
こそぎ落されたような感じがしました。

その後間もなく
早急にそれを復旧するために
身体から何かを分泌しようとして、
かえって身体が‘べとつく’感覚がしたのです。

それ以来、
湯に浸かるだけが
身体にとって自然なことなのかな、
と思うようになりました。

時を同じくして、
耳は自然に老廃物を
外に排出してくれるのだから、
耳掃除もせんほうがいい、

耳掃除はかえって
耳の中を傷める、
という話を聞いて、

ああなるほどな、
と思いました。

身体は自ら代謝機能があるのだから、
それを助けることをするだけで
いいような気がします。

もう一つ、
石けんの話。

石けんは、
油分を取り除いてくれるものと
理解しています。

例えば食器を洗っていると
感じるのですが、

植物性の付着物は、
水またはお湯だけで
十分汚れが落ちます。

しかしそれだけだと
どうにもならないのは、
動物性の油脂。

その場合は仕方なく、
石けんを使います。

それを身体に置き換えてみると、
ほとんどの方は一日の生活の中で、
油まみれになるということは
ないと思います。

かなり汚れたとしても、
埃や汗、泥や煤、
食器のように水またはお湯で洗い流せば、
十分な成分ばかりと思います。

現に例えば、
泥コネをしてどんなに泥まみれになっても、
お湯だけで落とせます。

お風呂は‘豊かなお湯’があれば十分、

もしかしたら私たちは、
洗う時に石けんなどを使わなければならない、
と思いこまされているのかもしれません。

そんなわけで
最近私がとくに力を入れたいのは、
浴槽です。

やっぱり木がいいなあ。

17年前の自分に
言ってやりたいです(笑)。
(17年前に自宅建築。)

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2017年1月4日

素材の生命をいただく

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

皆さまはどんなお正月を
お過ごしになりましたか。

私はといえば、
正月に体調を崩したこともあり、

テレビでラグビーを観ながら、
寝込んでいました。

ゆっくりラグビーが観れるのも、
ゆっくり寝込むことができるのも、
正月ならでは、ですね。

明日から仕事始めなのですが、

体調のほうは
うまい具合に間に合いそうなので、
大丈夫です。

さて今年の年賀状は、
以下の写真に、
「素材の生命をいただく」
という言葉を添えました。

黄土を横に引き摺って
掻き落とした土壁と、

五十嵐さんが
達磨窯で焼いた
一枚一枚表情の違う敷瓦。

職人たちの手による
土という素材を
様々な手法で生かした
表現です。

土は無機質で、
それ自体恒久的に存在するものですが、

職人が手塩にかけて育て上げたものは、
まるで生命が吹き込まれたようです。

事実まるで命あるもののように、
日によって見え方が変わり、

あるいは少しずつ
時の経過に伴って、
表情が変化していきます。

さて、話は変わりますが、

昨年末の大掃除で
アルミサッシの網戸を
洗ったところ、

十数年前とほぼ同じと思えるほど
きれいになりました。

よかったよかった、と思う一方で、
これは木の建具では
ありえないことだと思いました。

アルミサッシに限らず、
現代の建築を見てみると、

外部に使われる素材の多くは、
洗い流したら簡単に元に戻る、

つまり「永遠」を追求した
素材に囲まれているように思います。

そういえば昨年末に
誰かと何度か、

現代的な住宅が、
同じ素材に統一されて
ずらりと並んでいるまちなみを
たまに見受けますが、

それが美しいと感じるかどうか、
という議論になりました。

そこで聞こえてきた意見の多くは、
あまり美しいとは感じない、
というものでした。

一方で例えば、
日本の伝統的な建物が
立ち並ぶまちなみは、

木や土といった素材で
統一されていて、

その統一感がむしろ
美しいと感じさせるのですが、

現代の素材は
どうしてそう思わせて
くれないのだろうか。

ちょうどそんな疑問を
抱いていたところなのですが、

アルミサッシの網戸を洗ったあと、
自分の中でなんとなく
答えを得たような気がしました。

それは、
私たちはいつかは朽ち、
いつかは消えゆく
命あるものを美しいと感じる
本能があるのではないか、
ということです。

例えば一般論として、
美しいと感じる度合いは、

如何に均整の取れたマネキンも、
命ある生身の人間には
かなわないのと同じです。

この現代は技術が発達して、
ほぼ「永遠」の素材や工法が可能となり、

その集積として今の住宅は、
おそらく耐久性が
格段に上がっているのだと思います。

それはそれで、
いい面もあるのだと思うのですが、

正直ワクワクしない、
というのが本音です。

そこで
本能に素直な私は(笑)、

その本能にしたがい、

ワクワクすると感じる
‘生きている’素材の命をいただき、
‘生きている’職人の手で作り、

心地よい、美しいと思う場作りを
今年も試み続けていきたいと思います。

それでは今年一年、
よろしくお願いいたします。

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2016年12月20日

「構法」か「工法」か

カテゴリー: 家づくりの理念

自分が取り組んでいる建築の分野を
技術的に言い表すと、

伝統的な木造建築ということに
なると思います。

伝統的な、ということについては、
以前にもこの場で
書かせていただいたことがあるのですが、

「伝統」に対する私の姿勢は、

この現代において、
与えられた土地において、

如何に心地よい場を作るか、
如何に美しい場を作るか、
如何に愛に満ちた場を作るか。

そうした場を作る目的のために、
伝統的な技術がたいへん有効であるから
それを使わせていただいており、

つまり最初から
「伝統的であること」が
目的なのではなく、

以上の目的を達成するための
「手段」としてとらえています。

逆に言えば、
気をつけなければ、

伝統的だから心地よいとは限らず、
伝統的だがら美しいとは限らず、
伝統的だから愛に満ちるとは
限らないということです。

だから「伝統」という表現に替わる
言葉があるといいと思っていますが、

とはいえ「伝統」は
仕事の内容を伝えるのに
分かりやすいと言えば分かりやすく、
今はそれでいいかなと、
割り切っています。

それはともかくとして、
今日の本題は、
伝統、に続く言葉の話です。

と申しますのも、
伝統的な建築のあり方に対して
「伝統工法」、もしくは
「伝統構法」という、

同じ「こうほう」でも
二通りの表記を見かけます。

どちらを選ぶかは、
人によって様々のようですが、

これに関しては
私は強いこだわりがあり、

「工法」という表記を
必ず選びます。

「構」は、
かまえ、組み立てるもの、
つまり建物の構造や骨格という
つまり「モノ」としての表現、

一方で「工」は、
たくみ、職人の技、作る、
つまり、作ることの総体を
言い表していて、

それは大工をはじめ、
基礎も左官も水道も、
全ての職人の仕事を指すと
私は考えています。

それだけではなく、

建主さん、ご近所さん、
お手伝いに来てくださる方々、

そうしたたてものづくりを取り巻く
全ての人たちの仕事さえも含んだ
意味を持つ字だととらえています。

そんな「モノ」だけではなく、
「人」を感じる「工」という字、

私は「工」という字に
誇りを持ち、

「工法」という言葉で
自分の取り組みを
表現したいと思っています。

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2016年2月16日

心地よさの一端を測る

カテゴリー: 家づくりの理念

image国会議事堂脇の衆議院会館という
ニュースでよく見るような場所にまいりまして、

「伝統的木造住宅と省エネルギー基準」

-調査データからわかる多様性と実態-

という報告会で15分ばかり

事例報告をさせていただきました。

まず驚いたのは、

集まってくださった人数の多さ。

この問題に対する関心の高さ、

趣旨は分かるけど、

どこかおかしくないか、

と疑問を持たれている方が

多いことが伺えます。

事実、今日お話をされた

大半の事例は、

予定している外皮性能の基準に

満たないものでしたが、

実際の消費エネルギーを

調べてみると、

むしろ平均値より少なく、

外皮性能と、

実際の消費エネルギーが

比例関係にないことが分かりました。

かといって、

夏の暑さ、冬の寒さを

無防備に受け入れているわけではなく、

温熱調査を行ってみても、

暮らし方に一工夫必要かもしれませんが、

十分に受け入れられる状況、どころか、

むしろゆるやかな温度変動が

心地よいという感想を

多くいただきます。

例えば添付した画像は、

壁は土壁のみ、

床は板を二重に貼った家の

2月上旬に計測した

居間の温度の推移なのですが、

最低室温を見ていただくと、

早朝の温度が下がりきった時点でも、

せいぜい13度です。

13度あれば、

朝、寒さに震えて布団に包まり、

起きてこれない、というほどの

状態ではありません。

また家の中の心地よさは、

温度だけではなく、

素材に触れる皮膚感覚だったり、

木などの香りだったり、

湿度が安定している状況だったり、

帯電しない感覚だったり、

多様な要素で

そう思わせるのだと思います。

数字で評価できなさそうな

それらの要素も含めて

心地よさを分かりやすく表現する

何かいい手立てはないかと

思うのですが、

しかし一方で、

私たちの反省点として、

いいと思うことは多いはずなのに

何でこういう工法が廃れてしまったのか、

ということには、

真摯に向き合っていく

必要があるのだと思います。

明日からも、

心地よい家を作り続けていくために

日々精進です。