素材の方針
前にもこの場で書きましたが、
私たちの取り組みを表現する言葉として、
「伝統工法」に替わる単語はないものかと
事あることに考えています。
確かに技術としては、
伝統と風土に培われてきたものから
たくさんのことを学びながら
建物を作り続けているので、
伝わりやすい表現ではあるのですが、
作りたいのは、
究極に心地よい、現代の家。
作るのが楽しくて楽しくて
仕方のない家。
そしてその過程を通じて、
みんながつながること。
これを端的に
表現したいと思うのです。
以前は少し長い名前を
付けてみたりもしましたが、
そんな言葉探しの旅は、
まだまだしばらく続くとして、
今回は私たちの取り組みを
使う素材に焦点を当てて
考えてみました。
この国の風土と
素材の関係を考えてみると、
この日本という風土では、
木という素材が
身近な場所からなくなることは
ありません。
木がなくなるということは、
恐らくそこに
人類は暮らしていないと
思います。
また、
この日本という風土では、
土という素材が
身近な場所からなくなることは
ありません。
土がなくなるということは、
恐らくそこに
人類は暮らしていないと
思います。
一方で、
例えばグラスウール、
例えばポリスチレン、
例えば羊毛、
つまり断熱材と言われる素材。
これらの大半は、
私たちの身近な場所で、
調達することができるでしょうか。
もし仮に、
エネルギーが枯渇してしまい、
物流どころではない時代になった時、
それらはお手軽に
調達することができるでしょうか。
あるいは百年後、千年後、
それらは私たちが普遍的に
入手可能である保証はあるでしょうか。
あるいはそれらは、
素直に土に還ってくれるでしょうか。
百年後、千年後、
仮に人間がくたばったとしても
必ず存在する素材は木と土。
そして家が枯れた時、
素直に土に還っていきます。
だとすれば、
木と土を主原料とした
伝統に学ぶ工法は、
その技術が途絶えないかぎり、
百年後も千年後の未来も、
ぐるぐるぐるぐると、
存在し続けることができます。
だから、
幸いこの技術を
学ぶことができた私たちは、
これを後世に伝え続ける
責務があります。
そして
もしかしたら百年後千年後、
入手不可能かもしれない
余計なものに頼らななくても、
十分心地よく暮らせるということ、
いやむしろ
気候風土と入念に対話し、
様々に工夫すれば、
究極に心地よいということを
示していきたいと思うわけです。
気がつけば
絶滅危惧種のような
状態ですが、
本当に絶滅してしまえば、
生態の世界と同じように、
復活することは、
とても難しくなります。
少なくとも
その火が消えることのないように、
活動を続けていきたいと思います。