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2013年2月1日

素材の方針

カテゴリー: 家づくりの理念

前にもこの場で書きましたが、
私たちの取り組みを表現する言葉として、
「伝統工法」に替わる単語はないものかと
事あることに考えています。

確かに技術としては、
伝統と風土に培われてきたものから
たくさんのことを学びながら
建物を作り続けているので、

伝わりやすい表現ではあるのですが、

作りたいのは、
究極に心地よい、現代の家。

作るのが楽しくて楽しくて
仕方のない家。

そしてその過程を通じて、
みんながつながること。

これを端的に
表現したいと思うのです。

以前は少し長い名前
付けてみたりもしましたが、

そんな言葉探しの旅は、
まだまだしばらく続くとして、

今回は私たちの取り組みを
使う素材に焦点を当てて
考えてみました。

この国の風土と
素材の関係を考えてみると、

この日本という風土では、
木という素材が
身近な場所からなくなることは
ありません。

木がなくなるということは、
恐らくそこに
人類は暮らしていないと
思います。

また、

この日本という風土では、
土という素材が
身近な場所からなくなることは
ありません。

土がなくなるということは、
恐らくそこに
人類は暮らしていないと
思います。

一方で、

例えばグラスウール、
例えばポリスチレン、
例えば羊毛、

つまり断熱材と言われる素材。

これらの大半は、
私たちの身近な場所で、
調達することができるでしょうか。

もし仮に、
エネルギーが枯渇してしまい、
物流どころではない時代になった時、
それらはお手軽に
調達することができるでしょうか。

あるいは百年後、千年後、
それらは私たちが普遍的に
入手可能である保証はあるでしょうか。

あるいはそれらは、
素直に土に還ってくれるでしょうか。

百年後、千年後、
仮に人間がくたばったとしても
必ず存在する素材は木と土。

そして家が枯れた時、
素直に土に還っていきます。

だとすれば、
木と土を主原料とした
伝統に学ぶ工法は、

その技術が途絶えないかぎり、
百年後も千年後の未来も、
ぐるぐるぐるぐると、
存在し続けることができます。

だから、
幸いこの技術を
学ぶことができた私たちは、
これを後世に伝え続ける
責務があります。

そして
もしかしたら百年後千年後、
入手不可能かもしれない
余計なものに頼らななくても、
十分心地よく暮らせるということ、

いやむしろ
気候風土と入念に対話し、
様々に工夫すれば、
究極に心地よいということを
示していきたいと思うわけです。

気がつけば
絶滅危惧種のような
状態ですが、

本当に絶滅してしまえば、
生態の世界と同じように、
復活することは、
とても難しくなります。

少なくとも
その火が消えることのないように、
活動を続けていきたいと思います。

2013年1月29日

得意分野を出し合う

カテゴリー: 家づくりの理念

数年前、
自然農を実践されている方を
囲んだ酒席で、ある方が
「全て自給することをめざさないのですか。」
「あと○○と□□を作れば成立するじゃないですか。」
というような質問を投げかけました。

するとその方は言葉を選ぶように、

「全て自給できたら、それはすばらしいことです。
だけど自分で手をかけることができる範囲に
限界があるのも事実です。

一方で地域を見渡せば、
私たちに必要なものを作っている人たちが
ひととおりいたりして、

地域の中でそれを融通し合えば、
地域として自立していることになります。

そんな社会も
すばらしいことではないでしょうか。」

というような趣旨のことをおっしゃいました。

私はその考えにたいへん共感しました。

さて、先日の鎌倉エネルギーカフェにて、
講師の小澤さんが、
エネルギーの供給システムは
現在の「大規模集約型」も効率が悪いが、
「個に分散した状況」も実は効率が悪く、

望ましいのは
「地域単位」で融通し合うしくみ、
という話をされていました。

実感としてそう思うとともに、
その話を聞いて、
私は先ほどの酒席での
会話を思い出しました。

例えば太陽光発電を考えてみます。
方位がよく、太陽が燦々と当たる屋根に
設置すれば効果的ですが、
都市部ではそうもいきません。

しかも私は、
こうした設備機器は
メンテナンスが重要だと
考えているのですが、

一戸建て住宅用のような
勾配屋根に設置されていると、

架台やそれを受ける屋根の下地も含めて、
メンテナンスが容易とはいえません。

それに対して公共施設や
(低層)集合住宅の屋上などは、
日当たりやメンテナンスの点からも、
比較的適していると思います。

あるいは遊休地化した
少し広めの土地なども、
向いているといえそうです。

そんな感じで、
個々に自立することも
ステキかもしれませんが、
地域の中で敷地の特性を踏まえた
「得意分野」を出し合って、

それを融通し合う仕組みができれば
それもすばらしい!と思います。

チームプレー、チームプレー。
やりましょう、鎌倉で!

2012年11月1日

体質

カテゴリー: 家づくりの理念

少し古い建物を
解体する時思うのですが、

その際出てくるゴミのうち、
燃やして土に還しても
差し支えないもの、

あるいは素直に
土に還るものが、

一体どれくらいの割合で
あるのでしょうか。

最近金属製品や石油製品は、
リサイクルできるようですが、

それを差し引いても、
合板、集成材、薬漬けの木、
ボードに糊で貼りついた
塩化ビニル製のクロス、

仮に燃やしたら、
目や鼻がよじれそうな
ものばかりです。

あるいは、
たまに出くわすアスベスト―。

施工性が高く、

また仕上材としても
一見美しく見えるそれらは、

大量生産が可能であったために、
経済的にも優れていました。

このため高度成長期を境に、
従来の木や土に替わり、
急速にそれらが
使われるようになりましたが、

しかし寿命を迎えた後のことは、
今の状況を見る限り、
あまり考えてこなかったように
思います。

これからますます、
壊される建物が増えてくるというのに、
土に還らないゴミの捨て場の容量は
大丈夫なのでしょうか。

それだけではなく、
新たに建物を建てるたび、
そちらからも
同じような大量のゴミが
出てくるというのに、です。

こうした懸念は、
最近とくに思うのですが、
別の産業の分野にも
あてはまりますね。

その一つが、原発。

原発が耐用年数を迎え、
あるいは昨年の震災の時のように
壊れてしまった時に、

原発の稼働に際し、
核燃料をはじめとする
廃棄物の処理の目途が
立っていなかったことを知った時は、
たいへん驚いたものでしたが、

しかし考えてみれば、
同時期に建築がしてきたことと、
さして体質は
変わらないように思います。

生産性、経済性、機能性、
それらはモノづくりの立場として、
とても大事な要素です。

ただこれまでは、
それらの最大値を
今だけ、目先だけを見て
追い求めてきました。

言葉は悪いかもしれませんが、

目先の経済さえよければいい、
今を逃げ切れればそれでいい、

という発想のように
私には映ります。

今ちょうどラジオから、
政治のニュースが流れてきましたが、
政治の世界も
まさしくそうだな。

これまでは、
それで何とか
やってこれましたが、

そろそろ手に負えないほころびが
目立ち始めています。

仕事柄、
子どもたちと接することも
あるのですが、

そのたびに子どもたちから
楽しさと癒しをいただく一方で、

私たちはこの子どもたちのために、
美しい未来を残すことが
できるのだろうか、

それでええんか、オレたちは!

という思いがよぎります。

子どもたち、
そしてその子どもたち、

はたまたずっと先の
百年千年先の子孫たちも、
楽しく笑って暮らせる、

そんなことも見据えて
私たちの行動を選ぶ体質に
変えていきたいものです。

2012年10月11日

決意の栗おこわ

カテゴリー: 家づくりの理念

2年前に完成した某邸で
不具合があるという
連絡をいただいたので、

一昨日、大工、左官屋と
お住まいに伺いました。

不具合で参ったというのに、
早速、栗おこわ、モナカ、
自家製栗の甘露煮、
漬物、みかん等々、
実に豪勢なおもてなしとともに、

相変わらず八十半ばとは到底思えない、
機知に富んだ溢れ出る会話。

お聞きしていると、
その不具合以外は、
たいへん心地よく
暮らしているとのこと。

もっと突っ込んで
夏と冬の住み心地を
聞いてみましたが、

夏はエアコンに頼らなくても涼しく、

冬は朝夕の床暖房と、
たまにエアコンを使うだけで
温かく過ごされているようです。

この家も、木組みと瓦と土壁の家。

いわゆる「断熱材」を使っておらず、
理論上の外皮性能は決してよくありません。

一方で建主さんは
普段から歯に衣着せぬ物言いで、
決してお世辞を言わない方なので、
おそらく正直な感想なのだと思います。

私が作りたいのは美しい「未来」。
「伝統」に学びつつも
決して「伝統」に
固執しているわけでは
ないのですが、

身近に採れる木と土により
「足るを知る」室内環境が得られるならば
それでいい、

いやそれがいいと
考えています。

またそのほうが、
365日24時間ずっと快適と言われる
温熱環境下で暮らすよりも、

むしろ身体への負荷が小さく、
長い目で見れば
その素材感と相俟って
心地よいと考えています。

しかしこうした家は、
確かに日本広しといえど
0.001%程度の割合しかありませんが、
しばらくすると「省エネ化」の大号令の下、
このままでは法律上作ることが
難しくなります。

方向性の理念は理解できますが、

この方だけではなく
多くの建主さんから、
住んでみて同様の感想を
いただいているというのに、

何も作れなくすることはねえだろ、
と思うわけです。

現在それを打開すべく
諸関係者と議論を進めているところですが、

0.001%とはいえ、
やはり私は最後まで抵抗しようと、

久しぶりに私たちと再会して
うれしそうな建主さんの顔を見て、
さらにその思いを強くしました。

2012年8月14日

「社会」にとって大事なこと

カテゴリー: 家づくりの理念

どうやら経済界は、
「原発反対」に反対の意見が
多いようです。

一方で、
生活者である個々の人間の間では、
原発は0%!の意見が
優勢の印象がありますし、

実際パブコメの状況を見ていても
そのようです。

それなのに、
なぜ人間としての哲学と、
経済界の哲学は、
これほどの大きな隔たりが
あるのでしょうか。

この現代、
私たち一人一人、
経済界の一員でもあるのに
実に不思議な現象。

これはいにしえより続く、
支配者と労働者階級の構図が
そのまま受け継がれて
いるのでしょうか。

現代は幸い
私たち一人一人が主権の
民主主義、

生きていく「命」があって
初めて社会が成立するということを
声を出し続けていかなければ、
と思います。

どんな分野も、
数多の「命」が大事にされる
世の中であってほしいです。

明日はお盆。

そして終戦記念日。

2012年8月13日

「環境」にとって大事なこと

カテゴリー: 家づくりの理念

住宅の省エネ性能を強化する
改正省エネ法が数年後に
施行されることを受けて、

最近伝統工法の環境性能を
調査する取り組みが
始まっているのですが、

今日は鎌倉か邸を訪れて、
調査のお願いを
してまいりました。

この家は
断熱材もなく、
エアコンもありませんが、

一番暑いお昼過ぎに
家の中の表面温度を測ってみると、

あまり温度ムラがないことが
改めて分かりました。

やはり外気から
柔らかく家を包む
土壁と瓦の
おかげでしょうか。

しかも東西南北それぞれに
開口部があるため、

各方角から入る風のおかげで、
暑さを楽しめるといえる
室内環境でした。

しかしこの家は、
それだけではないような気がします。

というのも、
この家の周りは
緑と地面に囲まれ、

しかも敷地の一片に、
小川が流れているのです。

こうした家々を囲む環境も、
住み心地に影響しているのだとすれば、

そういった点も、
改正省エネ法の施策の中に
盛り込んではいかがかと
思っております。

例えば、
小川を作ることは
難しいとしても(笑)、
家を建てるときは、
必ず木を3本植えよう、
とかですね。

大規模建築物には、
たいがい緑化が
義務付けられていますが、

一戸建て住宅も、
たとえささやかでいいから、
緑化の条件を
定めてはいかがでしょうか。

温熱環境性能だけではなく、
風景も改善すると思います。

2012年7月27日

「吾唯足知」の着地点

カテゴリー: 家づくりの理念

大学時代、
私に向けた何の寄せ書きだったかは
ちょっと思い出せないのですが、

私の親しかった友人が、
「吾唯足知」と、
「口」の四方に文字を重ねた
竜安寺のつくばいそのままを
書いてくれたことは
よく覚えています。

その時は、
おもしろいな、程度に
この文字を眺めていたのですが、

今になって
この文字こそが
現代社会における幸福論において、
鍵となる言葉だと
強く思っています。

経済のこと、

食のこと、

エネルギーのこと、

そして住まいに関しても
それが当てはまると
考えています。

例えば現在、
住宅の省エネ性能の確保が
将来義務化されることに先立ち、
伝統工法の温熱環境に関する研究が
本格的に始まったところなのですが、

温熱環境を改善するために、
例えば土壁に「断熱材」を添えれば、
割と簡便に解決するのだと思います。

しかし断熱材のことを
色々調べてみると、

その大半は原料を海外に頼り、

またそれを作るのに、
莫大な生産エネルギーを
要するようです。

だとすれば、
まだまだ施策を決める前の研究段階、

今私が取り組んでいるように、
いわゆる「断熱材」に頼らないことを
めざしてみたいのです。

つまり、木や土、藁や竹、紙や石など
身近にいただくことのできる素材を使った住宅の、
「足るを知る」温熱環境の着地点は
一体どこなのか、ということを探りたい。

暑くないわけではないけど、
十分暮らせる家、
寒くないわけではないけど、
十分暮らせる家。

それに行き着くことが
真の「省エネ」、
真の快適な家なのではないかと
考えています。

「足るを知れ」というと、
何か禁欲的な響きを
感じる向きもあろうかと思いますが、

むしろ遠い将来まで見据えた
「おいしい」「楽しい」「心地よい」

そして「健康」をもたらす
哲学と捉えて、

今後強く意識し、
提案していきたいと
思います。

2012年6月11日

低炭素、に向けて

カテゴリー: 家づくりの理念

本日、
低炭素社会に向けた住まいと住まい方の
推進方策について中間とりまとめ(案)に対して
パブリックコメントを
提出させていただきました。

まずは今日期限のところ、
今日の夕方から作文を始めたので、
間に合ってよかったです(笑)

そんな感じで書いたので、
内容に若干手を加えて、
以下のとおり発表させていただきます。

なお、この問題は、
建築の法規制の一つですが、
生活文化全体に及ぶことだと
考えております。

建築関係者だけではなく、
みんなで考えていきたい
問題です。

この趣旨に賛成の人も反対の人も、
この問題に関心を持っていただければ
幸いです。

・・・・・・・・・・

3.11を契機に
原発を巡る問題が
顕在化したこともあり、

社会全体が
省エネルギーを目ざすことについては
大いに賛同します。

また、
住宅の断熱性能を高めることにより
空調設備負荷が低減し、
省エネルギー化につながることも
理解できます。

しかし現時点で
「改正省エネ法」がめざす方向性は、
空調設備機械の使用により、
一年中快適と思える室温を維持することが
前提のように思います。

それは一見快適かもしれませんが、
医学的な見地からみて、
そのような住環境に慣れると、
私たちの暑さ、寒さに対する適応力が
衰えるとともに、

身体の体温調節機能の退化に伴って
免疫力の低下を招きやすくなる、
という指摘を耳にします。

一方で日本の住宅は、
つい数十年前まで
木と土壁の家が一般的でした。

さらに遡れば、
縄文時代の竪穴式住居は、
いわば土壁の家です。

日本の先人たちは
数万年に及ぶ歴史の中で、
寒さを凌ぐために、
適度に温度を保ってくれる
土の中に暮らすことを
選んできたのですが、

戦後の高度成長期を境に、
施工に手間と時間を要すること等を理由に
土壁は敬遠され、

代わりに暑さ寒さを凌ぐ手段として、
工業製品としての
「断熱材」を使うようになりました。

土壁は、
確かに断熱材に比べれば
熱抵抗が小さいです。

しかし私は
伝統的な木と土壁の家に暮らしていますが、

その実感として、
ほどほどに気密性を保持すれば、
冬場はそれほど冷え込まず、
適度に寒さを楽しむことができます。

また夏場は、
よく言われるように、
湿気がこもらず、
温度変化が緩やかであるために、
室内が灼熱地獄に陥るということがなく、
適度に暑さを楽しむことができます。

つまり木と土の家は、
外気の熱環境を「断つ」のではなく、
緩やかに外気から家を包み、
ほどほどに暑さ、寒さを
楽しむことのできる家です。

そのような家は、
先ほどの「身体」という視点で見ると、
もしかしたらかえって
健康的であるかもしれませんし、

私たちの気候適応力が
衰える懸念が小さいことから、
長期的にみればむしろ
省エネルギーにつながるような気すらします。

しかし、
そのような気候風土に培われた
伝統的な住宅は、

断熱性能を重視する
改正省エネ法が施行されると、
もしかしたらエネルギーの使用量は
高断熱の家と比べて遜色ない可能性があるのに、
法律の下で作ることができなくなります。

それは文化的に見ても
マイナスのことだと思います。

更に申せば、
そのような家は
シックハウス対策としての
24時間換気設備の設置義務が
免除されているために
換気扇を回すエネルギーが不要、

また住宅施工時に要する生産エネルギーや
その際発生する産業廃棄物量は、
断熱材をたくさん使った住宅に比べて、
有利なはずなのに、です。

このように、
空調エネルギーの低減のみという
狭い視点で省エネルギーを考えるのではなく、

生活文化、建築文化、
医学、環境問題等、
総合的な視点を踏まえて
省エネルギー施策を
改めて考えていくことが
できないものでしょうか。

とくに、
法施行まで数年の猶予期間が
あるようですので、

総合的な視点で
伝統的な住宅の省エネルギー性を
検証していければと思います。

そのような視点がなければ、
断熱性で不利な窓を
極限まで小さくした、
閉鎖的な家が主流となる
懸念すらありえます。

時に設備や技術は
必要だと思いますが、
しかしそれ一辺倒ではなく、

日本人として
四季のある暮らしを楽しむ、
という発想も
大切にしていきたいと思います。

2012年4月26日

やっぱ木の風呂!

カテゴリー: 家づくりの理念

雰囲気といい、
香りといい、
お湯の質といい、
やはり木の風呂はいい!

確かに手入れに手間がかかりますが、
それ以上の快楽が
一日の疲れを癒してくれます。

2012年4月22日

いただきますと、対話の建築

カテゴリー: 家づくりの理念

私は今、
いわゆる伝統工法による
木造建築の設計を
生業とさせていただいております。

しかし「伝統工法」という言葉は、
取り組んでいることを表現するのに
分かりやすいとは思うのですが、

伝統を再現することが目的ではないし、

この現代、未来の家族の器作りとして
仕事しているわけですので、
常日頃、もっといい表現は
ないものかと思っています。

そこで漠然とですが、
今思い至っている表現は、
少し長いですけれども、

「いただきますと、対話の建築」。

先人の知恵をいただき、

現代の感性をいただき、

素材の生命をいただき、

建主と対話し、

職人と対話し、

土地と対話し、

建築を契機に
みんながつながり、
楽しみながら
作り上げる建築。

今心がけている
家づくりの心を書き並べたら、

「いただきます」と「対話」が
言葉として名を連ねたので、
そのような表現に至りました。

実際建築は、
料理と似ているな、
と思うことがあります。

しかしやはり、
四字熟語がいいのかな(笑)

いずれにしても、

伝統に学ぶべきことは
大いにあり、
伝統の技術は、
心地よい暮らしづくりのための
手段の一つ。

しかし「伝統」から離れた表現を
私なりにもう少し模索して、
答えを導いていきたいと思います。