ゆっくりじっくり
放課後子どもが集う
「ふかふか」にて。
勤労感謝の日に
おまつりのように
大勢で塗った土壁が
ゆっくりじっくり
乾いてきました。
この時期は
寒いけど乾燥していることが多いので、
思いのほか早く
乾く印象があるのですが、
今年は意外と雨の日が多く、
湿度が高い感じがしますからね。
ゆっくり、じっくりです。
しかし子育てと同じで
よろしいのではないかと
思います。
鎌倉や邸にて。
四年半越しに、
居間に建具が入りました。
腰板が付き、
亀甲模様の格子に
硝子を嵌め込んだ
引込建具です。
建具が納まるように
改修当時に枠は設けたものの、
予算その他諸々の都合で
建具自体は付けずじまいに
しておりましたが、
取り付ける必要が生じたのと、
住みながら建具の要望が
具体的になってきたので、
取り付ける運びとなりました。
今はたてものが完成する時に、
全てが完成するように
作ることが多いと思うのですが、
このように、
一度住んでみることによって、
構想をあたためるという
ものの決め方も、
よいと思います。
住むことによって気づくことも
あるでしょうし、
住みながら作り続ける楽しみを
残しておくことにもなりますからね。
いずれにしても、
イメージどおり、と
喜んでもらえてよかったです。
鎌倉て邸にて。
住み始めてから約5カ月。
今までインターホンなどを
取り付けるための門柱は、
仮のものが立っていましたが、
今日は庭師の遠山さんが
本設のものをこしらえました。
主な材料は、
支柱の枕木以外、
元々敷地に転がっていた石と、
別の現場で余った
ウッドデッキの切れ端。
つまり、
あるもの生かした
庭づくりです。
予算の都合
というだけではなく、
もしかしたら行き場を失い、
捨てられる運命にあったものたちが
こうして活き活きと
輝く場所が見つかると、
なんだかとても
うれしくなります。
とくに石は、
不思議なほど
生まれ変わりますね。
またそれに
緑が添えられると、
さらに輝きを増しました。
空間を作るうえで
やはり草木は偉大です。
神田え邸にて。
洗面所は、
桧の天板の上に
銅の流しと
真鍮の水栓。
きょうだいのような関係の
金属が共存しています。
ところで最近
流しと水栓の関係について
水道屋といろいろ考えるのですが、
水栓の操作は、
流しの器の中で、
もしくは
流しの器の真上で行えるほうがよい
という結論に達しています。
と申しますのも、
手や顔を洗ったあと、
水栓を閉める前に
手をタオルで拭く人はまれで、
たいていの場合
濡れた手で操作しようとします。
すると水栓の操作部の真下に
水滴が飛び散るわけですが、
その水滴を
流しが受け止める位置関係にあれば、
天板はあまり
濡れずに済みます。
木で天板を作る場合、
濡れてもかまわないように
桧など水に強い木を選びますが、
それでもあまり
濡れないにこしたことは
ありませんからね。
なので、
流しの器の中に
水栓を設置できない場合、
水栓の形状は、
壁出しの胴長のものが
今私の中で理想です。
しかも今は
給湯器が適温のお湯を
作ってくれるので、
単水栓で十分です。
壁出しの単水栓は、
安価な傾向にあるというのも
うれしいですね(笑)。
そんなことを
考えたうえでの
この組み合わせです。
神田え邸にて。
杉の箱に
壁を瓦で仕上げた
小さな厨房が
できあがりました。
ここにこもって
一枚一枚表情の違う
瓦と対話しながら
ジャム作りたいです(笑)。
神田え邸にて。
土間の照明器具は、
元々あった器具のデザインに近い
黒いマリンランプにしました。
そして器具への配線は、
元々Fケーブルが際を這い、
化粧モールをかぶせていたのですが、
改修を機に、
碍子引きにしました。
天井裏がなく、
かといって木を掘り込むわけにもいかず、
どうせ配線が見えるのだったら、
目立たないようにする、というよりも、
かえって配線を「見せる」
この碍子引きが好きです。
まだ電気などなかった時代に
建てられたたてものは、
その後目の前に電気がやってきて
後から電気を配線しなければならないという時に、
この碍子がよく使われていましたが、
今はほとんど
見かけなくなりました。
現代では、
電気配線の量と種類が
昔と比べて格段に増えたため、
碍子引きが難しくなった
という事情もあります。
しかし新築の場合でさえも、
電気配線が複雑でなければ、
(実は今ここが難しい)
デザインとして積極的に
取り入れたいとすら
思っています。
「隠れる」よりも、
「見える」ほうが
なんとなく安心感がありますしね。
ちなみに照明器具の台座は、
大工が用意したクリの板です。
神田え邸にて。
厨房の壁に貼るための
敷瓦の中に、
薄雲のかかった
満月の月のような、
美しい円の模様のものが
混ざっていました。
達磨窯で瓦を焼くと、
窯の中での火の当たり具合で
様々な偶然の模様が
出てくるわけですが、
これは偶然にしては
あまりにも美しい円なので、
壁に貼らずに
とっておくことにしました。
神田え邸にて。
今日は現場で
ちょっとした会合がありまして、
床の養生を剝がしたばかりの奥座敷で、
大勢で座卓を囲みました。
遠目にその様子を見たのですが、
なんだか昭和に戻ったような
懐かしい雰囲気を感じました。
さてその座敷には
床の間があり、
今日の会合のために
しつらえられていました。
そして床の間の真ん中に
鎮座していたのは、
解体途中に出てきた、
空襲で焼けた
黒焦げの柱でした。
空襲で焼けても、
当時の人たちがまだ使えると思って
改修して使い続けてきたわけですが、
まさかこういうかたちで
日の目を見ることになるとは、
当時の人たちも
予想ができなかったことでしょう。
それにしても、
この家の歴史を物語り、
そして引き続き
古くなっても
この家の歴史を
新たに作っていこうという
強い意思を
訪問者へ端的に伝える象徴として
究極の飾りものでした。
神田え邸にて。
現在23時過ぎ。
この時間でも、
トーキョーのど真ん中で
タイル屋の小澤さんが
まだ敷瓦貼りを
がんばっています。
自分が把握するかぎり、
晩ごはんも食べていません。
たぶんお昼ごはんも
まともに食べていません。
モーレツサラリーマンも
顔負けの仕事ぶり。
物静かに見える小澤さんですが、
かつては高校野球超名門高校のエース、
内に秘めた闘志を
垣間見たような気がします。
さて、先ほどから
ずーーと目地を撫でていますが、
目地が乾くまで
目地を整えています。
なかなか目地が乾かないので、
途切れずやり続けるしか
ないようようです。
はた目に見た感じでは、
もうそれでいいんじゃないと
思ってしまうのですが、
しかし小澤さんは、
納得のいくまで
手を動かし続けます。
だからですね。
1枚1枚表情もかたちも違う、
達磨窯で焼いた敷瓦が
面になると、
はっとするほど
美しく見えるのは。
瓦の背景にある物語、
またその美しい物語から
紡ぎ出される瓦そのものの
美しさだけではなく、
それを貼る人の手も、
十分に影響しているのだと
思います。